
ウィリアム・フェーヴルは、1850年に設立されたドメーヌ。1950年にウィリアム・フェーヴル氏が相続しました。ウィリアム・フェーヴル氏はシャブリ生産組合の理事長として、新世界で造られる白ワインに「シャブリ」と名づけて販売する「偽シャブリ」の追放運動に尽力。また、シャブリ特有の「キンメリジャン」土壌以外の土地に畑を拡大しシャブリのアペラシオン(原産地呼称)を名乗ることに異を唱えて、シャブリという原産地呼称を保護してきた人物です。 他にも、冷涼なシャブリの土地での最大の悩みであった春の遅霜対策として、畑でストーブを焚く方法を開発。自社のワイン造りだけでなく、地元シャブリに大きな貢献をした人物でした。 ![]() ウィリアム・フェーヴル氏には跡継ぎがいなかったため1998年引退の際にドメーヌを売却。 このシャブリトップドメーヌの買収には多くの買い手が名乗りをあげましたが、その中から選ばれたのがシャンパーニュメゾン・アンリオ社のジョセフ・アンリオ氏。 ジョセフ・アンリオ氏はブルゴーニュの名門・ブシャール・ペール・エ・フィスを1995年に買収、改革を行い見事に名門の復活に成功を収めていました。 ウィリアム・フェーヴルの所有畑は48ha。うちグラン・クリュが15.2ha、プルミエ・クリュが12ha。グラン・クリュの最大所有ドメーヌであり、7つのグラン・クリュのうち6つを所有しています。しかもその多くが樹齢30〜40年のヴィエイユ・ヴィーニュ(古樹)で占められているのも特徴の一つです。 アンリオ氏はこのすばらしい畑を活かすため、ブシャールP&F社醸造チームにいた若き醸造家ディディエ・セギエ氏を抜擢。化学物質の使用を最小限に抑え、収量も大幅に制限。 機械収穫が主流のシャブリにおいてACシャブリからグラン・クリュに至るまで、すべて手摘みに変更。畑をテロワールによって80に分類し、別々に醸造・管理。ネゴシアン業においてはワインを買うことは廃止し、自ら醸造を行っています。 収穫には小さなプラスチックケースを使用してブドウを傷つけずに運搬。醸造所は、収穫されたブドウを運ぶトラックが到着する場所から選果、圧搾、発酵・・とポンプではなく重力による果汁(ワイン)の移動が出来るよう、作業工程に準じて地下へ降りていく配置となっています。 ![]() シャブリのテロワールを表現するために樽の使用を制限するようになったのも、アンリオ後のこと。その年の特徴を見極めて、樽香がシャブリ特有のテロワールを覆い隠さないように樽の熟成期間を決定しています。 |

ウィリアム・フェーヴルは、1850年に設立されたドメーヌ。1950年にウィリアム・フェーヴル氏が相続しました。
アンリオ氏はこのすばらしい畑を活かすため、ブシャールP&F社醸造チームにいた若き醸造家ディディエ・セギエ氏を抜擢。