日本ワインコラム

THE CELLAR ワイン特集
北海道・余市 中井観光農園

北海道・余市 中井観光農園

  日本ワインコラム | 北海道・余市 中井観光農園 北海道余市町にある観光農園。道路から敷地に入ると売店があり、その奥に進むと様々な果樹が植わっている。美味しそうな果物だなぁ・・・と涎を我慢して畑を進むと、穏やかな丘に整然と並ぶブドウの木がパーっと広がる。そしてその先に見えるのが青い海と印象的なシリパ半島。吸い込まれるような景色だ。 ▲ (左)看板の後ろにはブドウ畑。そして、その奥の方には、シリパ岬と海が見える。, (右)中井観光農園の売店。中にはワインやジュース、ジャム、季節の果物等が販売されている。 今回お邪魔したのは、中井観光農園の中井淳さん。息子さんの瑞葵さんにもお話を伺った。余市のワイン産地としての歴史は40年程前に遡るが、中井さんのお父様は、余市でワイン用ブドウの栽培を大々的に手掛けた7人の内の1人だ。現在、ワイン用ブドウは5haの栽培面積にまで増え、リンゴやサクランボ等の果樹を含め、計8haの畑を管理されている。 先代達から受け継いだ畑を守り続けて 中井さんは4代目。代々続く果樹園には、リンゴやサクランボ、プルーン、梨、プラム、ネクタリン、生食用ブドウ等が植わっている。観光農園として運営していることもあり、小さな子供から大人までお客様が出入りする。特に夏から秋にかけては、たわわに実ったフルーツを収穫して頬張る人の姿が見られる場所だ。その場所にワイン用ブドウが植えられたのは、中井さんの先代から。1970年代頃からリンゴ価格の大暴落が起こり、余市の若手農家7人がワイン用ブドウに活路を見出したのだ(→詳細はこちら「安藝農園」から)。その歴史を物語る様に、畑には37~38年前に植えられたケルナーの古木もある。 ▲ 左から生食用ブドウ、梨、プルーン。生食用ブドウの「旅路」という名前に心がくすぐられる。 余市町は、暖流の対馬海流の影響もあり、道内では比較的温暖だ。この温暖な気候の恩恵を受け、古くから果樹栽培が行われてきた。比較的温暖とは言え、そこは北海道。冬は寒く雪深いので、ブドウの樹を凍害から守る必要がある。そこで、余市では、古くから雪の重さで枝が折れないようにブドウの植付け角度を斜めにする工夫がなされている。それだけではない。秋の収穫後、厳寒期を迎える前の短い期間に、木をワイヤーから外して地面に寝かしつける必要がある。ブドウの木の上に雪が積ることで、枝折れや雪布団による保温効果で凍害を防ぐのだ。寝かしつけたものは、春には起こさないといけない。そして剪定も待っている。広大な土地に植えられている木一本一本対応しなければならないのだ。その作業を想像するだけでクラクラする…。そこまで世話をしても、やはり雪の重さや凍害で被害を受ける木もある。また、年数を重ねたブドウは重くなるので、ブドウの木の上げ下ろし作業が輪をかけて辛くなる。これらを考慮し、ブドウの木が20年を超えるころから、計画的に植え替えを行うそうだ。定期的に対応したとしても10年、20年の単位で年数を要する作業である。こういう地道な作業を繰り返すことで、守られていく畑。頭が下がる思いだ。 (左)ブドウの植え付け角度が斜めになっている様子が分かる。, (右)色付いたブドウの房も立派! 農家としての矜持 中井さんの語り口は非常に穏やか。物腰は柔らかく、とても腰が低い方だ。「どうだ!凄いだろう!?」みたいなことは一切口にされず穏やかに語って下さるのだが、その影に隠れるようにして熟練の技みたいなものがチラチラと垣間見られるので、却って凄さを感じるのだ。ワイン用ブドウは、栽培を始めた当初から付き合いのあるはこだてわいんの他、ドメーヌ・タカヒコ、タキザワワイナリー等、現在は6社に卸している。畑はメーカー毎に管理。メーカーそれぞれに作りたいスタイルが異なるので、要望もまちまち。一つ一つ要望に応えて、栽培方法も収穫のタイミングも変えているそうだ。栽培品種もメーカーときちんと話し合う。現在、植えられている品種は、ケルナー、ミュラー・トゥルガウ、ソーヴィニョン・ブラン、ピノ・グリ、バッカス、ツヴァイゲルト・レーベ、ドルンフェルダー、ピノ・ノワールの8種類。気がかりなのは地球温暖化の影響だ。昨今は最高気温が更に上がり、最低気温は更に下がる傾向にあり、寒暖差が大きくなってきた。9月に入って30℃を超す気温はこれまでなかったが、この数年は劇的に変わってきている。そのため、これから植え替える品種は温暖化の影響を考えていかなければならない。ブドウの木は4~5年で一人前になる。いざ収穫というタイミングで、温暖化の影響で実のなりが悪いだなんて、笑えない話だ。野菜のようにまた植え直すということは決してできない。だから、 「品種選びは真剣勝負」 ときりっとした表情で仰る。 一方で、沢山の果樹を育てているからこその軽やかさがある。 「ブドウはまだいい。リンゴは一人前になるのに10年かかる。こっちの方が品種選びを間違えると大変なことになる」 と、余裕を感じさせる一言が続くのだ。それだけではない。リンゴ栽培に用いる技術をワイン用ブドウの栽培にも応用するという。色んなものを育てているからこそ得られる知識や技術があるのだ。リンゴ栽培の後にブドウを植えると、ブドウの成長に好影響を与えるが、ブドウの後にブドウを植えると連作障害を起こすそう。だから果樹の植え替えの場所にも心を配る。そして、果樹を植える前にしっかりと土壌改良も行う。土壌改良なしでも果樹は育つかもしれないが、果実の仕上がりが全く違うそうだ。土壌改良には資金力も労力も必要になるので、中には省く人もいる。しかし、中井さんは商品として提供するものに妥協は許さない。そういう強い信念を感じさせる。高い技術力を持って育てられる中井さんのブドウ。今でこそ、栽培農家の名前をラベルに表記するワイナリーは増えたが、中井観光農園のブドウを使ったワインは昔からラベルに表記されることが多かった。それだけ、ワイナリーからの信頼感も厚いということだろう。 ▲ ブドウ畑の隣にはリンゴの木が。リンゴ栽培の技術をブドウ栽培にも活かすという。沢山の果樹を育てているからこその知恵だ。 中井さんはポソっと仰った。 「周りに迷惑をかけないことを大事にしている。だから、自分のエゴを押し付けないようにしている」 と。できるようでできないことだ。 中井さん程のキャリアがあれば、ブドウを始めとする果樹栽培の知識や技量はトップクラスだ。これだけの経験を持っている人であれば、こうした方がいいと思うことも沢山あるだろう。多少、自分の要望を強く出して周りに協力を願ったって、誰も文句は言わないはずだ。だが、中井さんはそんなことはしない。ニコニコと笑顔を絶やさず、相手を立てる。周りに迷惑をかけないように、大変な作業も黙々と行う。中井さんは果樹を育てているだけではない。観光農園を運営するということは、子供から大人まで安全に過ごせるよう、施設の整備や農園の整備等、追加で対応が必要になるのだ。労力や気配りは半端ないはずだ。だけど、中井さんはそんな素振りを一切見せない。ニコニコとして、「いい景色でしょう~?」と嬉しそうに、畑とそこから見える海、岬を眺める。こういう方こそ強い人と評されるのではないか、と思う。「周りに迷惑をかけない」という軸を持って、他は柳のようにしなやか。だから折れない強さがある。そんな感じがする。...

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北海道・余市 中井観光農園

  日本ワインコラム | 北海道・余市 中井観光農園 北海道余市町にある観光農園。道路から敷地に入ると売店があり、その奥に進むと様々な果樹が植わっている。美味しそうな果物だなぁ・・・と涎を我慢して畑を進むと、穏やかな丘に整然と並ぶブドウの木がパーっと広がる。そしてその先に見えるのが青い海と印象的なシリパ半島。吸い込まれるような景色だ。 ▲ (左)看板の後ろにはブドウ畑。そして、その奥の方には、シリパ岬と海が見える。, (右)中井観光農園の売店。中にはワインやジュース、ジャム、季節の果物等が販売されている。 今回お邪魔したのは、中井観光農園の中井淳さん。息子さんの瑞葵さんにもお話を伺った。余市のワイン産地としての歴史は40年程前に遡るが、中井さんのお父様は、余市でワイン用ブドウの栽培を大々的に手掛けた7人の内の1人だ。現在、ワイン用ブドウは5haの栽培面積にまで増え、リンゴやサクランボ等の果樹を含め、計8haの畑を管理されている。 先代達から受け継いだ畑を守り続けて 中井さんは4代目。代々続く果樹園には、リンゴやサクランボ、プルーン、梨、プラム、ネクタリン、生食用ブドウ等が植わっている。観光農園として運営していることもあり、小さな子供から大人までお客様が出入りする。特に夏から秋にかけては、たわわに実ったフルーツを収穫して頬張る人の姿が見られる場所だ。その場所にワイン用ブドウが植えられたのは、中井さんの先代から。1970年代頃からリンゴ価格の大暴落が起こり、余市の若手農家7人がワイン用ブドウに活路を見出したのだ(→詳細はこちら「安藝農園」から)。その歴史を物語る様に、畑には37~38年前に植えられたケルナーの古木もある。 ▲ 左から生食用ブドウ、梨、プルーン。生食用ブドウの「旅路」という名前に心がくすぐられる。 余市町は、暖流の対馬海流の影響もあり、道内では比較的温暖だ。この温暖な気候の恩恵を受け、古くから果樹栽培が行われてきた。比較的温暖とは言え、そこは北海道。冬は寒く雪深いので、ブドウの樹を凍害から守る必要がある。そこで、余市では、古くから雪の重さで枝が折れないようにブドウの植付け角度を斜めにする工夫がなされている。それだけではない。秋の収穫後、厳寒期を迎える前の短い期間に、木をワイヤーから外して地面に寝かしつける必要がある。ブドウの木の上に雪が積ることで、枝折れや雪布団による保温効果で凍害を防ぐのだ。寝かしつけたものは、春には起こさないといけない。そして剪定も待っている。広大な土地に植えられている木一本一本対応しなければならないのだ。その作業を想像するだけでクラクラする…。そこまで世話をしても、やはり雪の重さや凍害で被害を受ける木もある。また、年数を重ねたブドウは重くなるので、ブドウの木の上げ下ろし作業が輪をかけて辛くなる。これらを考慮し、ブドウの木が20年を超えるころから、計画的に植え替えを行うそうだ。定期的に対応したとしても10年、20年の単位で年数を要する作業である。こういう地道な作業を繰り返すことで、守られていく畑。頭が下がる思いだ。 (左)ブドウの植え付け角度が斜めになっている様子が分かる。, (右)色付いたブドウの房も立派! 農家としての矜持 中井さんの語り口は非常に穏やか。物腰は柔らかく、とても腰が低い方だ。「どうだ!凄いだろう!?」みたいなことは一切口にされず穏やかに語って下さるのだが、その影に隠れるようにして熟練の技みたいなものがチラチラと垣間見られるので、却って凄さを感じるのだ。ワイン用ブドウは、栽培を始めた当初から付き合いのあるはこだてわいんの他、ドメーヌ・タカヒコ、タキザワワイナリー等、現在は6社に卸している。畑はメーカー毎に管理。メーカーそれぞれに作りたいスタイルが異なるので、要望もまちまち。一つ一つ要望に応えて、栽培方法も収穫のタイミングも変えているそうだ。栽培品種もメーカーときちんと話し合う。現在、植えられている品種は、ケルナー、ミュラー・トゥルガウ、ソーヴィニョン・ブラン、ピノ・グリ、バッカス、ツヴァイゲルト・レーベ、ドルンフェルダー、ピノ・ノワールの8種類。気がかりなのは地球温暖化の影響だ。昨今は最高気温が更に上がり、最低気温は更に下がる傾向にあり、寒暖差が大きくなってきた。9月に入って30℃を超す気温はこれまでなかったが、この数年は劇的に変わってきている。そのため、これから植え替える品種は温暖化の影響を考えていかなければならない。ブドウの木は4~5年で一人前になる。いざ収穫というタイミングで、温暖化の影響で実のなりが悪いだなんて、笑えない話だ。野菜のようにまた植え直すということは決してできない。だから、 「品種選びは真剣勝負」 ときりっとした表情で仰る。 一方で、沢山の果樹を育てているからこその軽やかさがある。 「ブドウはまだいい。リンゴは一人前になるのに10年かかる。こっちの方が品種選びを間違えると大変なことになる」 と、余裕を感じさせる一言が続くのだ。それだけではない。リンゴ栽培に用いる技術をワイン用ブドウの栽培にも応用するという。色んなものを育てているからこそ得られる知識や技術があるのだ。リンゴ栽培の後にブドウを植えると、ブドウの成長に好影響を与えるが、ブドウの後にブドウを植えると連作障害を起こすそう。だから果樹の植え替えの場所にも心を配る。そして、果樹を植える前にしっかりと土壌改良も行う。土壌改良なしでも果樹は育つかもしれないが、果実の仕上がりが全く違うそうだ。土壌改良には資金力も労力も必要になるので、中には省く人もいる。しかし、中井さんは商品として提供するものに妥協は許さない。そういう強い信念を感じさせる。高い技術力を持って育てられる中井さんのブドウ。今でこそ、栽培農家の名前をラベルに表記するワイナリーは増えたが、中井観光農園のブドウを使ったワインは昔からラベルに表記されることが多かった。それだけ、ワイナリーからの信頼感も厚いということだろう。 ▲ ブドウ畑の隣にはリンゴの木が。リンゴ栽培の技術をブドウ栽培にも活かすという。沢山の果樹を育てているからこその知恵だ。 中井さんはポソっと仰った。 「周りに迷惑をかけないことを大事にしている。だから、自分のエゴを押し付けないようにしている」 と。できるようでできないことだ。 中井さん程のキャリアがあれば、ブドウを始めとする果樹栽培の知識や技量はトップクラスだ。これだけの経験を持っている人であれば、こうした方がいいと思うことも沢山あるだろう。多少、自分の要望を強く出して周りに協力を願ったって、誰も文句は言わないはずだ。だが、中井さんはそんなことはしない。ニコニコと笑顔を絶やさず、相手を立てる。周りに迷惑をかけないように、大変な作業も黙々と行う。中井さんは果樹を育てているだけではない。観光農園を運営するということは、子供から大人まで安全に過ごせるよう、施設の整備や農園の整備等、追加で対応が必要になるのだ。労力や気配りは半端ないはずだ。だけど、中井さんはそんな素振りを一切見せない。ニコニコとして、「いい景色でしょう~?」と嬉しそうに、畑とそこから見える海、岬を眺める。こういう方こそ強い人と評されるのではないか、と思う。「周りに迷惑をかけない」という軸を持って、他は柳のようにしなやか。だから折れない強さがある。そんな感じがする。...

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北海道・余市 安藝農園

北海道・余市 安藝農園

日本ワインコラム | 北海道・余市 安藝農園 北海道余市町。ワイン・ラヴァーの誰もが認める日本有数のワイン産地である。新千歳空港から快速エアポートと普通電車を乗り継ぎ2時間弱。北海道の西側に位置し、積丹ブルーで有名な積丹半島の付け根にある余市町は、暖流の対馬海流の影響もあり、道内では比較的温暖で、古くから果樹栽培で有名な場所である。日本におけるワイン造りは約140年前から始まったと言われる中、余市町のワイン産地としての歴史は40年程と長くない。この短い期間で一気に日本ワイン産地のキラ星となったのだが、その一翼を担ったのが今回お邪魔した安藝農園さんだ。今回、5代目の安藝慎一さんと6代目の元伸さんにお話を伺った。 ▲ 右が5代目の慎一さん、左が6代目の元伸さん。なんとなく、佇まいが似ていると感じさせるお二人。 代々続く家族の物語 安藝農園は町に流れる余市川の右岸側にある登地区に位置するヴィンヤード。畑上空から見ると、余市町のシンボルのシリパ岬がくっきりと見える。畑から海に抜ける景色がなんとも美しい。 ▲ 訪問した朝は雨がぱらつく日だったが、それでもこの美しさ。深呼吸したくなる。 1899年、初代が四国の徳島県から北海道に移り住んだ。移住当初は穀物や除虫菊等の栽培をしていたが、その後はリンゴ栽培を中心に生計を立ててきたという。現在の畑がある場所に移り住んだのは3代目。 日露戦争の報奨金を元手に入手した、 「命と引き換えにして得た土地だ」 と5代目の慎一さんは仰る。6代目の元伸さんも、 「命をかけて戦争に行った3代目から代々守ってきた場所を、父の代で終わらしてはいけないと思い、家業を継ぐことを決めた」 と仰る。重みのある言葉だ。元伸さんは大学卒業後民間企業で2年間働いていたそうだ。仕事が休みの時は畑仕事を手伝ってきたが、10年前に6代目を継ぐ決心し戻ってきた。てっきりお父様の慎一さんから戻ってきてほしいと懇願されたのかと思ったら違った。慎一さん自身は、親を慕う気持ちから、幼少期には農家になることを決めていたそうだが、元伸さんにはその考えを押し付けなかった。 父親から言われても反発するだけだろうと考え、元伸さんの気持ちを尊重したのだ。その影でずっと元伸さんに継ぐよう言い続けたのは元伸さんのお祖父様にあたる4代目だった。お正月やお盆で帰省する孫に問いかけ続けたという。 子を思う父、その父を思う祖父・・・こうやって親子のストーリーが折り重なって互いを思いやる気持ちが強くなるのだろうなぁと気付かされる話である。 さて、代々リンゴ農家として生計を立てていたこの家族が、どうしてワイン用ブドウ栽培を始めたのか。その転機となったのは、慎一さんが4代目と共に農園を切り盛りしていた頃に遡る。余市町のリンゴ栽培は明治時代から続く主力産業だったが、他産地のリンゴが売れ始め、1970年代からは価格が暴落するようになる。このままでは食べていかれない・・・切実な問題を抱え、次の一手をどうするのか模索し続けていた。 その時歴史は動いた ― 余市の7人衆 ▲ 歴史を作った瞬間の話であっても、大袈裟に語ることなく、朴訥とした口調でお話される慎一さん。実直なお人柄が感じられる。 品質が落ちたという訳でもないのに、 手塩にかけて育てたリンゴの価格が下落の一途を辿る。 その恐怖は真綿で首を絞められるようなものだったのではないかと想像する。 何とかしなければならない。 その強い危機感が同じ気持ちの人達と繋がるきっかけとなったのだろう。 慎一さんは、近隣の他のリンゴ農家と共にワイン用ブドウの栽培に乗り出した。ワイン用ブドウを栽培するのは初めてだったが、余市町と隣の仁木町の農業試験地の責任者だった小賀野四郎さんが農家を集め、技術指導してくれたそうだ。慎一さんは何度も感謝の気持ちを述べられた。小賀野さんの指導を受けたのは慎一さんを含めた7人の若手農家達。その中にいた土野茂さんが7人を束ねる役割を果たしてくれたと懐かしそうに語られた。...

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北海道・余市 安藝農園

日本ワインコラム | 北海道・余市 安藝農園 北海道余市町。ワイン・ラヴァーの誰もが認める日本有数のワイン産地である。新千歳空港から快速エアポートと普通電車を乗り継ぎ2時間弱。北海道の西側に位置し、積丹ブルーで有名な積丹半島の付け根にある余市町は、暖流の対馬海流の影響もあり、道内では比較的温暖で、古くから果樹栽培で有名な場所である。日本におけるワイン造りは約140年前から始まったと言われる中、余市町のワイン産地としての歴史は40年程と長くない。この短い期間で一気に日本ワイン産地のキラ星となったのだが、その一翼を担ったのが今回お邪魔した安藝農園さんだ。今回、5代目の安藝慎一さんと6代目の元伸さんにお話を伺った。 ▲ 右が5代目の慎一さん、左が6代目の元伸さん。なんとなく、佇まいが似ていると感じさせるお二人。 代々続く家族の物語 安藝農園は町に流れる余市川の右岸側にある登地区に位置するヴィンヤード。畑上空から見ると、余市町のシンボルのシリパ岬がくっきりと見える。畑から海に抜ける景色がなんとも美しい。 ▲ 訪問した朝は雨がぱらつく日だったが、それでもこの美しさ。深呼吸したくなる。 1899年、初代が四国の徳島県から北海道に移り住んだ。移住当初は穀物や除虫菊等の栽培をしていたが、その後はリンゴ栽培を中心に生計を立ててきたという。現在の畑がある場所に移り住んだのは3代目。 日露戦争の報奨金を元手に入手した、 「命と引き換えにして得た土地だ」 と5代目の慎一さんは仰る。6代目の元伸さんも、 「命をかけて戦争に行った3代目から代々守ってきた場所を、父の代で終わらしてはいけないと思い、家業を継ぐことを決めた」 と仰る。重みのある言葉だ。元伸さんは大学卒業後民間企業で2年間働いていたそうだ。仕事が休みの時は畑仕事を手伝ってきたが、10年前に6代目を継ぐ決心し戻ってきた。てっきりお父様の慎一さんから戻ってきてほしいと懇願されたのかと思ったら違った。慎一さん自身は、親を慕う気持ちから、幼少期には農家になることを決めていたそうだが、元伸さんにはその考えを押し付けなかった。 父親から言われても反発するだけだろうと考え、元伸さんの気持ちを尊重したのだ。その影でずっと元伸さんに継ぐよう言い続けたのは元伸さんのお祖父様にあたる4代目だった。お正月やお盆で帰省する孫に問いかけ続けたという。 子を思う父、その父を思う祖父・・・こうやって親子のストーリーが折り重なって互いを思いやる気持ちが強くなるのだろうなぁと気付かされる話である。 さて、代々リンゴ農家として生計を立てていたこの家族が、どうしてワイン用ブドウ栽培を始めたのか。その転機となったのは、慎一さんが4代目と共に農園を切り盛りしていた頃に遡る。余市町のリンゴ栽培は明治時代から続く主力産業だったが、他産地のリンゴが売れ始め、1970年代からは価格が暴落するようになる。このままでは食べていかれない・・・切実な問題を抱え、次の一手をどうするのか模索し続けていた。 その時歴史は動いた ― 余市の7人衆 ▲ 歴史を作った瞬間の話であっても、大袈裟に語ることなく、朴訥とした口調でお話される慎一さん。実直なお人柄が感じられる。 品質が落ちたという訳でもないのに、 手塩にかけて育てたリンゴの価格が下落の一途を辿る。 その恐怖は真綿で首を絞められるようなものだったのではないかと想像する。 何とかしなければならない。 その強い危機感が同じ気持ちの人達と繋がるきっかけとなったのだろう。 慎一さんは、近隣の他のリンゴ農家と共にワイン用ブドウの栽培に乗り出した。ワイン用ブドウを栽培するのは初めてだったが、余市町と隣の仁木町の農業試験地の責任者だった小賀野四郎さんが農家を集め、技術指導してくれたそうだ。慎一さんは何度も感謝の気持ちを述べられた。小賀野さんの指導を受けたのは慎一さんを含めた7人の若手農家達。その中にいた土野茂さんが7人を束ねる役割を果たしてくれたと懐かしそうに語られた。...

日本ワインコラム
北海道・余市 ラフェト・デ・ヴィニュロン・ ア・ヨイチ2022

北海道・余市 ラフェト・デ・ヴィニュロン・ ア・ヨイチ2022

  日本ワインコラム | ラフェト・デ・ヴィニュロン・ア・ヨイチ 2022 「400枚のチケットが3分で完売!」と聞いたら、どこぞの人気アーティストのイベントか!?と思うだろう。が、そうではない。北海道余市町登地区を中心とするワイン・ブドウ園を巡る農園開放祭「ラ・フェト・デ・ヴィニュロン・ア・ヨイチ2022」のチケット販売の記録だ。2015年から開催しているイベントで、コロナの影響で開催見送りが続いてきたが、今回、満を持して3年ぶりの開催となった。約30のヴィンヤードとワイナリーが1日限定で農園を開放し、人気のワインや限定物のワイン等を提供する。参加者は、生産者と直接話をしたり、畑や農園を歩きながら色んな種類のワインを試飲したりできるので、涎もののイベントなのだ。 ▲ 会場入口の様子。 のぼりが見えてくると「おぉー。来た~!」という気持ちが高まる。 ▲ ブースで受付け後、試飲用のグラスとマップをゲットして、いざ出陣となる。 急成長を遂げた余市町のワイン産業 こんなイベントが開催されるような地域なのだから、古くからワイン産業が盛んな土地と思われるかもしれないが、余市町で本格的にワイン用ブドウ栽培が始まったのは1983年。40年弱と歴史は浅い。北海道は北緯41-45度に位置し、ご存知の通り、冬は寒く雪深い。しかし、余市町は道内でも比較的温暖な気候で、古くから果樹栽培が盛んな場所だった。今回、イベントに参加していたヴィンヤードの中には、ワイン用ブドウのみならず、生食用ブドウやリンゴ、さくらんぼ、プルーン等を栽培しているところも沢山ある。イベントでは、ワインの他に、食べ物や果物を販売するブースも出展されていた。販売されていたプルーンを食べてみたのだが、本当に美味しくて、仰天ものだった!しっかり熟した果実はみずみずしさを残しつつ、凝縮された甘味が最高なのだ。今までのプルーンのイメージを超える甘味と凝縮感。恐るべし余市・・・ ▲ 摘み取られたばかりのプルーン。その中から選りすぐりの甘いプルーンを頂く。しっかり熟した後に摘み取られた果実がこんなにも美味しいとは!忘れられない味だ。 さて、ワイン用ブドウが栽培されるきっかけとなったのは、当時栽培の主流だったリンゴ価格の大暴落という、やむにやまれぬ理由からだ。このままでは路頭に迷う・・・という危機感から、何人かの農家が勝負に出たという。生食用ブドウの栽培経験を持つ農家もいるが、ワイン用ブドウ栽培の経験はゼロ。一つ一つ手探りで栽培方法を模索し、産地として育て上げていったのだ。今では、ワイン用ブドウの栽培農家は50軒以上、ワイナリーは余市町と隣の仁木町と合わせて20軒まで増えた。この成長ぶりは数値で見てみると圧巻だ。日本全国のワイン用ブドウ栽培面積で北海道の占める割合は37%、うち余市町が道内の31%を占めトップ。収穫量も北海道は全国の28%を占めるが、うち余市町は道内の48%を占めトップ。まさに、「北海道はでっかいどう」な規模感であり、余市町はその中で彗星如く現れたキラリと輝く産地なのだ。栽培されているのは、寒冷地向けの品種中心で、ケルナー、ツヴァイゲルトレーベ、ミュラー・トゥルガウといったドイツ系やオーストリア系の品種が多いが、ピノ・ノワールやピノ・グリ、ソーヴィニョン・ブランといった品種の栽培も増えてきている。温暖化の影響もあり、ピノ・ノワールの熟度も上がり、メルロまで育つようになってきているらしい。 ▲ 北海道はでっかいどう!!スケールの大きいワイン畑が広がる。 最高の景色に包まれて 9月4日(日)、イベント開催日の余市町は最高の天気だった。この時期の東京は、秋の気配を少し感じつつも日差しは強く、まとわりつく湿度で汗がたらぁーと流れる。しかし、この日の余市町はからっとした晴天。湿度も低く、日向を歩くと暑さを感じるが、木陰に入れば涼しい。同じ日本とは思えない程だ。 実は、話を聞いていると、過去には嵐のような大雨だったり、本州よりも暑い35℃以上の炎天下だったり、過酷な環境下での開催が続いていたそうだ。なので、主催者やヴィンヤード・ワイナリーの皆さんが、今年の天気こそが本来の余市の姿なのだ、と口を揃えて仰っていたのが印象的だ。こんな日に参加できたのは、日頃の行いが良いからだと信じたい(笑)。 ▲ (左)左側に見えるのがシリパ岬。海の地平線と空が重なり合う。あぁ絶景!! ▲ (右)ブドウもきれいに色付いて、収穫を待つばかりだ。 さて、今回、イベントが開催された一帯は、町に流れる余市川の右岸側にある余市町登地区。積丹半島の付け根にあたる場所に位置する。ブドウ畑がなだらかな丘陵地に広がり、畑からは余市湾と余市町のシンボル的存在のシリパ岬(シリパとはアイヌ語で、sir=山、pa=頭の意味)が見渡せる。紺碧の空の下に広がる畑の緑、そして、その奥には「積丹ブルー」と呼ばれる息を呑む美しさの青い海・・・視界を遮るものがなく、パノラマ・ビューを堪能できるのだ。そして、心地よい風が常に畑を通り抜け、ブドウの葉をゆらゆらと揺らす。あと1ヶ月半程で収穫を迎えるブドウは美しく色付き、ワインになる前から美味しいワインになるに違いないと確信させてくれる。 ▲ 余市観光協会HPより抜粋 マップを見て頂くと、個々のワイナリーやヴィンヤードが隣接しているのがお分かりになるだろう。コンパクトに纏まっているので、周りやすいのが嬉しい。 直線距離にすると2km強程度。脇道に逸れたとしても往復で-5-6㎞程度なので、ゴルフでカートを使って1ラウンドする時に歩く距離と同じくらいではないだろうか。...

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北海道・余市 ラフェト・デ・ヴィニュロン・ ア・ヨイチ2022

  日本ワインコラム | ラフェト・デ・ヴィニュロン・ア・ヨイチ 2022 「400枚のチケットが3分で完売!」と聞いたら、どこぞの人気アーティストのイベントか!?と思うだろう。が、そうではない。北海道余市町登地区を中心とするワイン・ブドウ園を巡る農園開放祭「ラ・フェト・デ・ヴィニュロン・ア・ヨイチ2022」のチケット販売の記録だ。2015年から開催しているイベントで、コロナの影響で開催見送りが続いてきたが、今回、満を持して3年ぶりの開催となった。約30のヴィンヤードとワイナリーが1日限定で農園を開放し、人気のワインや限定物のワイン等を提供する。参加者は、生産者と直接話をしたり、畑や農園を歩きながら色んな種類のワインを試飲したりできるので、涎もののイベントなのだ。 ▲ 会場入口の様子。 のぼりが見えてくると「おぉー。来た~!」という気持ちが高まる。 ▲ ブースで受付け後、試飲用のグラスとマップをゲットして、いざ出陣となる。 急成長を遂げた余市町のワイン産業 こんなイベントが開催されるような地域なのだから、古くからワイン産業が盛んな土地と思われるかもしれないが、余市町で本格的にワイン用ブドウ栽培が始まったのは1983年。40年弱と歴史は浅い。北海道は北緯41-45度に位置し、ご存知の通り、冬は寒く雪深い。しかし、余市町は道内でも比較的温暖な気候で、古くから果樹栽培が盛んな場所だった。今回、イベントに参加していたヴィンヤードの中には、ワイン用ブドウのみならず、生食用ブドウやリンゴ、さくらんぼ、プルーン等を栽培しているところも沢山ある。イベントでは、ワインの他に、食べ物や果物を販売するブースも出展されていた。販売されていたプルーンを食べてみたのだが、本当に美味しくて、仰天ものだった!しっかり熟した果実はみずみずしさを残しつつ、凝縮された甘味が最高なのだ。今までのプルーンのイメージを超える甘味と凝縮感。恐るべし余市・・・ ▲ 摘み取られたばかりのプルーン。その中から選りすぐりの甘いプルーンを頂く。しっかり熟した後に摘み取られた果実がこんなにも美味しいとは!忘れられない味だ。 さて、ワイン用ブドウが栽培されるきっかけとなったのは、当時栽培の主流だったリンゴ価格の大暴落という、やむにやまれぬ理由からだ。このままでは路頭に迷う・・・という危機感から、何人かの農家が勝負に出たという。生食用ブドウの栽培経験を持つ農家もいるが、ワイン用ブドウ栽培の経験はゼロ。一つ一つ手探りで栽培方法を模索し、産地として育て上げていったのだ。今では、ワイン用ブドウの栽培農家は50軒以上、ワイナリーは余市町と隣の仁木町と合わせて20軒まで増えた。この成長ぶりは数値で見てみると圧巻だ。日本全国のワイン用ブドウ栽培面積で北海道の占める割合は37%、うち余市町が道内の31%を占めトップ。収穫量も北海道は全国の28%を占めるが、うち余市町は道内の48%を占めトップ。まさに、「北海道はでっかいどう」な規模感であり、余市町はその中で彗星如く現れたキラリと輝く産地なのだ。栽培されているのは、寒冷地向けの品種中心で、ケルナー、ツヴァイゲルトレーベ、ミュラー・トゥルガウといったドイツ系やオーストリア系の品種が多いが、ピノ・ノワールやピノ・グリ、ソーヴィニョン・ブランといった品種の栽培も増えてきている。温暖化の影響もあり、ピノ・ノワールの熟度も上がり、メルロまで育つようになってきているらしい。 ▲ 北海道はでっかいどう!!スケールの大きいワイン畑が広がる。 最高の景色に包まれて 9月4日(日)、イベント開催日の余市町は最高の天気だった。この時期の東京は、秋の気配を少し感じつつも日差しは強く、まとわりつく湿度で汗がたらぁーと流れる。しかし、この日の余市町はからっとした晴天。湿度も低く、日向を歩くと暑さを感じるが、木陰に入れば涼しい。同じ日本とは思えない程だ。 実は、話を聞いていると、過去には嵐のような大雨だったり、本州よりも暑い35℃以上の炎天下だったり、過酷な環境下での開催が続いていたそうだ。なので、主催者やヴィンヤード・ワイナリーの皆さんが、今年の天気こそが本来の余市の姿なのだ、と口を揃えて仰っていたのが印象的だ。こんな日に参加できたのは、日頃の行いが良いからだと信じたい(笑)。 ▲ (左)左側に見えるのがシリパ岬。海の地平線と空が重なり合う。あぁ絶景!! ▲ (右)ブドウもきれいに色付いて、収穫を待つばかりだ。 さて、今回、イベントが開催された一帯は、町に流れる余市川の右岸側にある余市町登地区。積丹半島の付け根にあたる場所に位置する。ブドウ畑がなだらかな丘陵地に広がり、畑からは余市湾と余市町のシンボル的存在のシリパ岬(シリパとはアイヌ語で、sir=山、pa=頭の意味)が見渡せる。紺碧の空の下に広がる畑の緑、そして、その奥には「積丹ブルー」と呼ばれる息を呑む美しさの青い海・・・視界を遮るものがなく、パノラマ・ビューを堪能できるのだ。そして、心地よい風が常に畑を通り抜け、ブドウの葉をゆらゆらと揺らす。あと1ヶ月半程で収穫を迎えるブドウは美しく色付き、ワインになる前から美味しいワインになるに違いないと確信させてくれる。 ▲ 余市観光協会HPより抜粋 マップを見て頂くと、個々のワイナリーやヴィンヤードが隣接しているのがお分かりになるだろう。コンパクトに纏まっているので、周りやすいのが嬉しい。 直線距離にすると2km強程度。脇道に逸れたとしても往復で-5-6㎞程度なので、ゴルフでカートを使って1ラウンドする時に歩く距離と同じくらいではないだろうか。...

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長野・シクロヴィンヤード

長野・シクロヴィンヤード

日本ワインコラム | 長野 496ワイナリー ボルドーにやってきた。のではないが、日本のボルドーと言われる場所にやってきた。東京から新幹線で約1時間半。信州が誇る一大ワイン産地、千曲川ワインバレーだ。千曲川の流域に広がる産地で、右岸と左岸で個性の異なるブドウ栽培が盛んな場所だ。今回訪れた496ワイナリーがあるのは左岸側。そこで飯島さんは奥様の祐子さんと共に2014年からワイン用ブドウの栽培を始め、2019年には自社ワイナリーを設立、ブドウと向き合う日々を過ごされている。 ▲ 訪れた日は生憎の雨。だけど、深緑色の縁取りが素敵なワイナリーと味のある看板を見ると、「着いたー!」とテンションが上がる。ワイナリーの周りに植えられたお花やオブジェも可愛らしい。 496=シクロ=Cyclo=自転車 ワイナリー名の496にはフランス語で自転車を意味する「シクロ」という意味合いが隠されている。実は、飯島さんはもともと自転車競技の選手。個人追い抜き種目のパシュートと呼ばれる競技では、マスターズ部門の世界記録を樹立したという信じられない経歴の持ち主だ。スポーツ選手でこれだけの経歴の持ち主であれば、引退後にスポーツ関連の職に就くことは容易だっただろうと想像する。しかし、飯島さんは40代後半で全く異なる分野のブドウ栽培&醸造家に転身する。このジャンプはどこから来るのだろう?と不思議に思っていた。 ▲ ワイナリーの中にはそれとなく、自転車に関するオブジェがワインと一緒にディスプレイされている。さりげない感じが逆に小粋だ。 飯島さんはきっぱりと仰る。「過去はどうでもいい。今を大事にしている」 と。選手時代には、自転車で地球15周分を走ったそうだ(驚愕!)。もはやそれがどんな距離なのか想像の域を超えているが、永遠とも思える距離を走りぬき、やりきったという感覚があるのだろう。 次は、何かモノを作って、人に喜んでもらいたいという強い思いがあったそうだ。では、何を作るのか?選手時代、海外に遠征に行った時に出されたワインは、「常に楽しい時のわき役」だったという。ワインは幸せの記憶に直結するもの。そして、ワインには「人を繋げる力がある」と言う。 みんなでボトルに入った液体を分け合いながら飲む。ワインの周りには人が集まる。それだけではない。ワインを目的に旅先を選ぶこともあり、ワインを通じた新しい出会いがある。他の農産物で、こんな形で人を結びつけるものはそうはない。ワインで人に喜んでもらいたい、幸せを感じてもらいたい、人との繋がりを大事にしたい。自転車の世界を経験したからこそ見つけられた次の世界だった。 飯島さんは、目標に向かってもくもくと打ち込むタイプだと祐子さんは仰る。これだ!と思ったものに対しては、迷いなく全エネルギーを注ぐ、猪突猛進型。ワインも自転車も長距離走。2つは全く違う畑のように見えるが、飯島さんの向き合い方は変わらない。365日、休みなく畑に出かけて行くそうだ。 畑との出会い — 流れに身を任せたら最高の場所だった 人に喜んでもらいたいという気持ちから始めたワインの道。出来上がったワインを飲んでもらわないと意味がない。お客様の多い関東圏から近い場所にワイナリーを設立したいと思った。 長野県は首都圏からのアクセスがいい。行政も誘致に積極的で、周りの農家達の風通しも良かった。千曲川ワインバレーは、日本有数の日照時間を誇り、降雨量が少なく、標高が高さによる昼夜の寒暖差があり、ブドウ栽培に恵まれた土地だ。ワイナリーの多くは右岸側にある。左岸よりも更に標高が高く、火山性の黒ボク土を土壌とするところが多い。一方の左岸は、右岸よりも標高が低く、粘土質の土壌を持つ。飯島さんも多くのワイナリー同様、移住当時は右岸で農地を探した。もう少しで契約となったが、所有者側の権利関係に不備があることが判明し、破談になったそうだ。そんな折、左岸の農家にお手伝いをしていた祐子さん経由で今の土地に巡りあった。 蓼科山の地下水+強粘土質土壌+寒暖差という好条件が揃うお米の名産地で、畑の目の前は田んぼが広がる。飯島さんの畑は斜面でお米を作ることができないことから田んぼにならず手付かずで残っていたという。 ▲ 畑の前には田んぼが広がる。新緑の稲と整列するブドウ畑のコントラストが美しい。ブドウ畑と田んぼという組み合わせは珍しいが、日本ならではの癒される景色だ。 当時、粘土質土壌の左岸は果樹不毛と言われていた。果樹の成長速度は遅く、一本当たりの収量も少なく経済性が悪い。一方、栄養分が豊富な粘土質土壌で収穫された果実の味わいは濃いという利点もあった。要は、栽培は大変だが、収穫されたものの質は高いということだ。畑は丘陵でなだらか斜面となっており、実際に畑に足を運ぶといい印象を持ったそうだ。飯島さんの畑は標高680mの台地の南東のヘリにある。実は同じ台地の北西のヘリには、老舗シャトー・メルシャンが自社管理圃場として設立し、高品質なブドウが栽培されていると有名な椀子ワイナリーがある。 北西のヘリで高品質なブドウが育つのであれば、朝から十分な日照を得ることができる南東向きのこの土地はもっと良いに違いないと踏んだ。確かに強教粘土質土壌ではあるが、斜面で水はけも良いのでブドウ栽培にとっては好条件だ。ワイン用ブドウを育てる上で最高の場所だと感じた。 ▲ 斜面に植わっているブドウの木。真直ぐと整列する様が本当に美しい。畝も南北に整備されていて、ムラなく太陽の恵みを長時間受けることが可能だ。 飯島さんは過去に固執しないと言ったが、祐子さんも「行ってみてダメなら遮断されるはず。それが運命。」という考えの持ち主だ。お二人は、「目に見えない導きによって流れていく」という考えを共有している。最初の畑の契約がうまくいかなかったのはそういう運命。今の畑に出会ったのも運命。流れに抗わず、今できることに目一杯力を注ぐことで新たな流れが生まれてくるのだ。 右岸の方が左岸よりも標高が高いなら、寒暖差も右岸の方があると思われる読者も多いだろう。しかし、実は左岸の方が寒暖差はあるのだ。右岸にあるワイナリーの多くは標高800mを超えるが、ゆるやかな南西向きの斜面に畑があり、西日を受けた畑は夜の間も熱が残る。一方、左岸にある飯島さんの畑は南東向きで、西日が少なく、朝は放射冷却の影響でぐんと冷え込む。そのため、5月~6月の頭まで遅霜のリスクがある。リスクはあるが、リターンは大きい。まず、日中は標高が低い分、右岸に比べて2-3℃温度が高くなり、ブドウが熟して糖度が上がる。そして、夜は気温が下がり、ワインに必要不可欠な適度な酸を維持することが可能なのだ。ブドウ栽培環境は抜群にいいと胸を張る。...

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日本ワインコラム | 長野 496ワイナリー ボルドーにやってきた。のではないが、日本のボルドーと言われる場所にやってきた。東京から新幹線で約1時間半。信州が誇る一大ワイン産地、千曲川ワインバレーだ。千曲川の流域に広がる産地で、右岸と左岸で個性の異なるブドウ栽培が盛んな場所だ。今回訪れた496ワイナリーがあるのは左岸側。そこで飯島さんは奥様の祐子さんと共に2014年からワイン用ブドウの栽培を始め、2019年には自社ワイナリーを設立、ブドウと向き合う日々を過ごされている。 ▲ 訪れた日は生憎の雨。だけど、深緑色の縁取りが素敵なワイナリーと味のある看板を見ると、「着いたー!」とテンションが上がる。ワイナリーの周りに植えられたお花やオブジェも可愛らしい。 496=シクロ=Cyclo=自転車 ワイナリー名の496にはフランス語で自転車を意味する「シクロ」という意味合いが隠されている。実は、飯島さんはもともと自転車競技の選手。個人追い抜き種目のパシュートと呼ばれる競技では、マスターズ部門の世界記録を樹立したという信じられない経歴の持ち主だ。スポーツ選手でこれだけの経歴の持ち主であれば、引退後にスポーツ関連の職に就くことは容易だっただろうと想像する。しかし、飯島さんは40代後半で全く異なる分野のブドウ栽培&醸造家に転身する。このジャンプはどこから来るのだろう?と不思議に思っていた。 ▲ ワイナリーの中にはそれとなく、自転車に関するオブジェがワインと一緒にディスプレイされている。さりげない感じが逆に小粋だ。 飯島さんはきっぱりと仰る。「過去はどうでもいい。今を大事にしている」 と。選手時代には、自転車で地球15周分を走ったそうだ(驚愕!)。もはやそれがどんな距離なのか想像の域を超えているが、永遠とも思える距離を走りぬき、やりきったという感覚があるのだろう。 次は、何かモノを作って、人に喜んでもらいたいという強い思いがあったそうだ。では、何を作るのか?選手時代、海外に遠征に行った時に出されたワインは、「常に楽しい時のわき役」だったという。ワインは幸せの記憶に直結するもの。そして、ワインには「人を繋げる力がある」と言う。 みんなでボトルに入った液体を分け合いながら飲む。ワインの周りには人が集まる。それだけではない。ワインを目的に旅先を選ぶこともあり、ワインを通じた新しい出会いがある。他の農産物で、こんな形で人を結びつけるものはそうはない。ワインで人に喜んでもらいたい、幸せを感じてもらいたい、人との繋がりを大事にしたい。自転車の世界を経験したからこそ見つけられた次の世界だった。 飯島さんは、目標に向かってもくもくと打ち込むタイプだと祐子さんは仰る。これだ!と思ったものに対しては、迷いなく全エネルギーを注ぐ、猪突猛進型。ワインも自転車も長距離走。2つは全く違う畑のように見えるが、飯島さんの向き合い方は変わらない。365日、休みなく畑に出かけて行くそうだ。 畑との出会い — 流れに身を任せたら最高の場所だった 人に喜んでもらいたいという気持ちから始めたワインの道。出来上がったワインを飲んでもらわないと意味がない。お客様の多い関東圏から近い場所にワイナリーを設立したいと思った。 長野県は首都圏からのアクセスがいい。行政も誘致に積極的で、周りの農家達の風通しも良かった。千曲川ワインバレーは、日本有数の日照時間を誇り、降雨量が少なく、標高が高さによる昼夜の寒暖差があり、ブドウ栽培に恵まれた土地だ。ワイナリーの多くは右岸側にある。左岸よりも更に標高が高く、火山性の黒ボク土を土壌とするところが多い。一方の左岸は、右岸よりも標高が低く、粘土質の土壌を持つ。飯島さんも多くのワイナリー同様、移住当時は右岸で農地を探した。もう少しで契約となったが、所有者側の権利関係に不備があることが判明し、破談になったそうだ。そんな折、左岸の農家にお手伝いをしていた祐子さん経由で今の土地に巡りあった。 蓼科山の地下水+強粘土質土壌+寒暖差という好条件が揃うお米の名産地で、畑の目の前は田んぼが広がる。飯島さんの畑は斜面でお米を作ることができないことから田んぼにならず手付かずで残っていたという。 ▲ 畑の前には田んぼが広がる。新緑の稲と整列するブドウ畑のコントラストが美しい。ブドウ畑と田んぼという組み合わせは珍しいが、日本ならではの癒される景色だ。 当時、粘土質土壌の左岸は果樹不毛と言われていた。果樹の成長速度は遅く、一本当たりの収量も少なく経済性が悪い。一方、栄養分が豊富な粘土質土壌で収穫された果実の味わいは濃いという利点もあった。要は、栽培は大変だが、収穫されたものの質は高いということだ。畑は丘陵でなだらか斜面となっており、実際に畑に足を運ぶといい印象を持ったそうだ。飯島さんの畑は標高680mの台地の南東のヘリにある。実は同じ台地の北西のヘリには、老舗シャトー・メルシャンが自社管理圃場として設立し、高品質なブドウが栽培されていると有名な椀子ワイナリーがある。 北西のヘリで高品質なブドウが育つのであれば、朝から十分な日照を得ることができる南東向きのこの土地はもっと良いに違いないと踏んだ。確かに強教粘土質土壌ではあるが、斜面で水はけも良いのでブドウ栽培にとっては好条件だ。ワイン用ブドウを育てる上で最高の場所だと感じた。 ▲ 斜面に植わっているブドウの木。真直ぐと整列する様が本当に美しい。畝も南北に整備されていて、ムラなく太陽の恵みを長時間受けることが可能だ。 飯島さんは過去に固執しないと言ったが、祐子さんも「行ってみてダメなら遮断されるはず。それが運命。」という考えの持ち主だ。お二人は、「目に見えない導きによって流れていく」という考えを共有している。最初の畑の契約がうまくいかなかったのはそういう運命。今の畑に出会ったのも運命。流れに抗わず、今できることに目一杯力を注ぐことで新たな流れが生まれてくるのだ。 右岸の方が左岸よりも標高が高いなら、寒暖差も右岸の方があると思われる読者も多いだろう。しかし、実は左岸の方が寒暖差はあるのだ。右岸にあるワイナリーの多くは標高800mを超えるが、ゆるやかな南西向きの斜面に畑があり、西日を受けた畑は夜の間も熱が残る。一方、左岸にある飯島さんの畑は南東向きで、西日が少なく、朝は放射冷却の影響でぐんと冷え込む。そのため、5月~6月の頭まで遅霜のリスクがある。リスクはあるが、リターンは大きい。まず、日中は標高が低い分、右岸に比べて2-3℃温度が高くなり、ブドウが熟して糖度が上がる。そして、夜は気温が下がり、ワインに必要不可欠な適度な酸を維持することが可能なのだ。ブドウ栽培環境は抜群にいいと胸を張る。...

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長野・レ・ヴァン・ヴィヴァン

長野・レ・ヴァン・ヴィヴァン

日本ワインコラム | 長野 レ・ヴァン・ヴィヴァン 山梨県出身の貴博さんと北海道出身の朋子さん。山梨県も北海道も名の通った素晴らしいワイン産地だ。にも関わらず、荻野ご夫妻はなぜか長野県東御市でワイン造りに精を出す。この辺りからして、一筋縄ではいかない何かを感じてもらえるだろう。けれども、ご夫妻にとっては自然な流れでここに来たのだ。 冷涼系ブドウを育てたいと思っていたご夫妻にとって、長野県東御市は県内有数の冷涼な気候でドンピシャ。また、千曲川ワインバレーとして県が力を入れている先でもあり、サポート体制もしっかりしているところも安心材料だった。2016年からワイン用ブドウの栽培を始め、2019年秋にはワイナリーも完成した。今回は、そのワイナリーでお2人の哲学をじっくりお伺いしてみた。 ▲ 白い壁が目を引く、雰囲気のあるワイナリー。併設する畑は、ご夫妻が委託を受けて育てているブドウの木が植わっている。 Lightening could strike. ご夫妻は以前、東京のレストランで働く同僚だった。仕事柄、ワインの勉強としてボルドーの格付けシャトーを覚えたり、周りの大人達から薦められて、名の通ったワインを飲んだりもした。確かに、有名どころのワインは美味しいが、体で納得する味わいではなかった。ところがある日、ヴァン ナチュールを初めて飲んだ時に衝撃が走った。お出汁を飲んだみたいに体に沁み込む感じがして、「ワインって本当に美味しい!」と心底思ったのだ。 当時はまだ日本ワインブームの始まりと言われる時期で、日本でヴァン ナチュールを造っているところは少なかった。日本では無理だと言われていたのだ。そうだとしても、自分達も日本でやってみたい・・・最初にヴァン ナチュールを造りたいと言い出したのは貴博さん。朋子さんもすぐに賛同した。15年程前の話である。 ▲ 最初にヴァン ナチュールを造りたいと言い出した貴博さん。朴訥とした語り口の中にアツイ気持ちが見え隠れする。 その後、山梨の中央葡萄酒株式会社(グレイスワイン)で修行を重ね、フランスのボジョレーやアルザスのヴァン ナチュール生産者の元でも経験も積み、今の場所に居を構えることになる。その間、日本のヴァン ナチュール先駆者達も歩みを進めていた。ご夫妻は、金井醸造場のマスカット・ベイリーAを飲んだ時、日本にもこんな考えを持って美味しいワインを造り上げている人がいるなんて・・・!と衝撃を受けたそうだ。自分達もやらなきゃという思いを強くしたと語る。 ▲ ワイナリーの中のディスプレイが一つ一つオシャレ。素朴で温かみがあって居心地がいい雰囲気なのだ。 そう、ヴァンナチュールとの出会いによって、お2人は稲妻並みの衝撃を受け、今の道に繋がったという訳なのだ。「ジョー・ブラックによろしく」という映画をご存知だろうか?アンソニー・ホプキンズ演じる億万長者が娘に「Stay open. Lightening could strike!」と語るのだが、まさに「Stay open...

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長野・レ・ヴァン・ヴィヴァン

日本ワインコラム | 長野 レ・ヴァン・ヴィヴァン 山梨県出身の貴博さんと北海道出身の朋子さん。山梨県も北海道も名の通った素晴らしいワイン産地だ。にも関わらず、荻野ご夫妻はなぜか長野県東御市でワイン造りに精を出す。この辺りからして、一筋縄ではいかない何かを感じてもらえるだろう。けれども、ご夫妻にとっては自然な流れでここに来たのだ。 冷涼系ブドウを育てたいと思っていたご夫妻にとって、長野県東御市は県内有数の冷涼な気候でドンピシャ。また、千曲川ワインバレーとして県が力を入れている先でもあり、サポート体制もしっかりしているところも安心材料だった。2016年からワイン用ブドウの栽培を始め、2019年秋にはワイナリーも完成した。今回は、そのワイナリーでお2人の哲学をじっくりお伺いしてみた。 ▲ 白い壁が目を引く、雰囲気のあるワイナリー。併設する畑は、ご夫妻が委託を受けて育てているブドウの木が植わっている。 Lightening could strike. ご夫妻は以前、東京のレストランで働く同僚だった。仕事柄、ワインの勉強としてボルドーの格付けシャトーを覚えたり、周りの大人達から薦められて、名の通ったワインを飲んだりもした。確かに、有名どころのワインは美味しいが、体で納得する味わいではなかった。ところがある日、ヴァン ナチュールを初めて飲んだ時に衝撃が走った。お出汁を飲んだみたいに体に沁み込む感じがして、「ワインって本当に美味しい!」と心底思ったのだ。 当時はまだ日本ワインブームの始まりと言われる時期で、日本でヴァン ナチュールを造っているところは少なかった。日本では無理だと言われていたのだ。そうだとしても、自分達も日本でやってみたい・・・最初にヴァン ナチュールを造りたいと言い出したのは貴博さん。朋子さんもすぐに賛同した。15年程前の話である。 ▲ 最初にヴァン ナチュールを造りたいと言い出した貴博さん。朴訥とした語り口の中にアツイ気持ちが見え隠れする。 その後、山梨の中央葡萄酒株式会社(グレイスワイン)で修行を重ね、フランスのボジョレーやアルザスのヴァン ナチュール生産者の元でも経験も積み、今の場所に居を構えることになる。その間、日本のヴァン ナチュール先駆者達も歩みを進めていた。ご夫妻は、金井醸造場のマスカット・ベイリーAを飲んだ時、日本にもこんな考えを持って美味しいワインを造り上げている人がいるなんて・・・!と衝撃を受けたそうだ。自分達もやらなきゃという思いを強くしたと語る。 ▲ ワイナリーの中のディスプレイが一つ一つオシャレ。素朴で温かみがあって居心地がいい雰囲気なのだ。 そう、ヴァンナチュールとの出会いによって、お2人は稲妻並みの衝撃を受け、今の道に繋がったという訳なのだ。「ジョー・ブラックによろしく」という映画をご存知だろうか?アンソニー・ホプキンズ演じる億万長者が娘に「Stay open. Lightening could strike!」と語るのだが、まさに「Stay open...

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長野・テール・ド・シエル

長野・テール・ド・シエル

日本ワインコラム | 長野 テール・ド・シエル 目線を遮るものは何もない。目前にブドウ畑を捉えながら、真直ぐ視線を送れば、八ヶ岳連峰や北アルプス、中央アルプス、そして富士山までもが遠くで連なる様子が見え、眼下には御牧ケ原の台地や小諸市内が見渡せる。山の下の方から風が優しくふわーっと吹き上がる。心地よい風の音、そして鳥と虫の声。気温は山の下の市内に比べると低く、7月でも涼しさを感じる程だ。足を置く土はフカフカと気持ちがいい。ずっとここに立っていたい。そう感じさせる場所である。 ▲ 写真を眺めるだけでも深呼吸したくなってしまう。畑から見える景色は息を飲む美しさだ。 テール・ド・シエル(Terre de Ciel)は、天空の大地という意味のフランス語。長野県小諸市糠地地区にあるワイナリーは標高950m、隣接する畑は標高920-940mに位置しており、日本一標高の高い場所にあるワイナリーだ。ブドウ畑から雲海が見える日もあるというのだから、その高さをお分かり頂けるだろう。 今回は、そこで栽培と醸造の責任者を務める桒原さんにお話を伺った。 ▲ 畑の入り口にある熊の置物はワイン・グローワーの家族を表しているものだそう。 一目ぼれの力 異色の二人がタッグを組む 2015年にこの地でブドウ栽培を開始し、2020年にはワイナリーを設立して自家醸造も手掛けるようになった。最初にワイナリー設立に向けて動き始めたのは、桒原さんの義父の池田さん。池田さんの前職は通信系会社の役員で、定年退職後、第二の人生としてワイン造りの道に進みたいと考え、千曲川ワインアカデミーを卒業されたという、大変パワフルなお方だ。 そして、桒原さんは、そのチャレンジの傍で当初は池田さんの相談役として、そして2020年のワイナリー開設からは池田さんと二人三脚で一緒に走り続けている。桒原さんの経歴も大変興味深い。元々は消防士としてキャリアをスタートされたが、消防士の仕事の関係で指定障がい者支援施設「こころみ学園」を訪れる。同学園が運営するココ・ファーム・ワイナリー(同ワイナリーの詳細はこちらをどうぞ。)で、知的障がいを持つ学園生が労働しながらワイン造りをしていることに興味を持ち、ボランティアとして通う中、ご自身も学園生と共にワインを造りたいと思い、転職されたという。そこで15年以上、ブドウ栽培とワイン醸造の経験を積んでこられたのだ。 ▲ 2020年のワイナリー開設以降、池田さん(左)と桒原さん(右)がタッグを組んでワイナリーの運営に当たっておられる。 前例がないなら自分が前例になればいい 池田さんから畑の場所をどうすべきか相談があった際、桒原さんは、標高の高い場所がいいのではないかとアドバイスをされたという。小諸市は高品質なブドウを育てているワイナリーもあることから有望視していたが、ヨーロッパ系品種を育てるのであれば冷涼な場所が良いと考え、同市内でも特に標高の高い場所が良いと踏んでいた。 池田さんが畑探しを続ける中、小諸市から糠地地区を紹介され、今の畑に出会う。そして、畑からの絶景に一目ぼれ。相談を受けていた桒原さんもこの景色に心を奪われたそうだ。 土地入手の段になって県に相談した時は、あまりにも標高が高いのでブドウ栽培には適さないと反対されたそうだ。長野で育てるのなら、県名産のメルロとシャルドネが有望で、この場所は冷涼すぎると。それでも、この場所はその他のヨーロッパ系品種を育てるにもポテンシャルが高いと見込んでいた。冷涼だが、日照時間が長く、雨が少ない。風もある。寒暖差が大きく、酸がしっかりと残るはず。 この考えが正しいものだったと確証したのが、2017年に池田さんが近くのワイナリーに委託醸造をお願いしたソーヴィニヨン・ブランの仕上がりを確認した時。きれいな酸味が残ったエレガントな仕上がりで、県の考えもガラッと変わった。今では新規就農希望の方に、なるべく標高の高いところで、メルロやシャルドネ以外の品種の栽培も推奨しているそうだから驚きだ。前例がないからといって諦めるのではなく、自らが前例となって後進を育てていく。リスクは避けるのではなくマネージするものと捉え、果敢にチャレンジされる姿に感服する。 テロワールを追い求めて~天・地・人~ 「テロワール」という言葉を聞いたことがある方も多いだろう。ワインの味わいを決める大変重要な要素で、ワインをかじったことのある人なら、「このワインはテロワールがうまく表現されたものだ」なんて謳い文句を耳にしたことが何度かあるだろう。一方で、この言葉の定義を日本語で表現するのはとても難しく、人によって解釈に幅がある言葉でもあるのも事実だ。土壌や気候といったブドウの栽培環境をイメージしている人もいるだろうし、その土地の風土をイメージされる方もいるだろう。 そんな中、桒原さんは、「天:気候」、「地:土壌」、「人:造り手の考え」が三位一体となって表現するものがテロワールだと定義されている。テール・ド・シエルの味わいは、この三要素が重要な骨格となっているので共有したい。 天:気候について 日本一標高が高い場所にあるだけあり、気候は冷涼。冷涼な気候に合う、ヨーロッパ系品種を中心に育てている。最初に植えたのはソーヴィニヨン・ブラン。その後、ピノ・ノワール、メルロ、シャルドネ、ピノ・グリと品種を増やしてきた。 畑は西南西に向いており、日中の日照量、日照時間共に十分だ。夏場は34、5℃まで気温は上がり、ブドウの糖度も上がる。一方、太陽が沈むと一気に冷え込むので昼夜の寒暖差があり、ブドウの酸持ちが良い。そして、長野県は秋が長い。年間降雨量は少なく、特に10月中旬以降の雨が少ないので、長い秋の間にブドウが熟すことができる。そこで、後から開墾した畑には、リースリングやシュナン・ブラン、シラー、カベルネ・フラン、サヴァニャンといった成熟に時間がかかる品種を植えている。...

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長野・テール・ド・シエル

日本ワインコラム | 長野 テール・ド・シエル 目線を遮るものは何もない。目前にブドウ畑を捉えながら、真直ぐ視線を送れば、八ヶ岳連峰や北アルプス、中央アルプス、そして富士山までもが遠くで連なる様子が見え、眼下には御牧ケ原の台地や小諸市内が見渡せる。山の下の方から風が優しくふわーっと吹き上がる。心地よい風の音、そして鳥と虫の声。気温は山の下の市内に比べると低く、7月でも涼しさを感じる程だ。足を置く土はフカフカと気持ちがいい。ずっとここに立っていたい。そう感じさせる場所である。 ▲ 写真を眺めるだけでも深呼吸したくなってしまう。畑から見える景色は息を飲む美しさだ。 テール・ド・シエル(Terre de Ciel)は、天空の大地という意味のフランス語。長野県小諸市糠地地区にあるワイナリーは標高950m、隣接する畑は標高920-940mに位置しており、日本一標高の高い場所にあるワイナリーだ。ブドウ畑から雲海が見える日もあるというのだから、その高さをお分かり頂けるだろう。 今回は、そこで栽培と醸造の責任者を務める桒原さんにお話を伺った。 ▲ 畑の入り口にある熊の置物はワイン・グローワーの家族を表しているものだそう。 一目ぼれの力 異色の二人がタッグを組む 2015年にこの地でブドウ栽培を開始し、2020年にはワイナリーを設立して自家醸造も手掛けるようになった。最初にワイナリー設立に向けて動き始めたのは、桒原さんの義父の池田さん。池田さんの前職は通信系会社の役員で、定年退職後、第二の人生としてワイン造りの道に進みたいと考え、千曲川ワインアカデミーを卒業されたという、大変パワフルなお方だ。 そして、桒原さんは、そのチャレンジの傍で当初は池田さんの相談役として、そして2020年のワイナリー開設からは池田さんと二人三脚で一緒に走り続けている。桒原さんの経歴も大変興味深い。元々は消防士としてキャリアをスタートされたが、消防士の仕事の関係で指定障がい者支援施設「こころみ学園」を訪れる。同学園が運営するココ・ファーム・ワイナリー(同ワイナリーの詳細はこちらをどうぞ。)で、知的障がいを持つ学園生が労働しながらワイン造りをしていることに興味を持ち、ボランティアとして通う中、ご自身も学園生と共にワインを造りたいと思い、転職されたという。そこで15年以上、ブドウ栽培とワイン醸造の経験を積んでこられたのだ。 ▲ 2020年のワイナリー開設以降、池田さん(左)と桒原さん(右)がタッグを組んでワイナリーの運営に当たっておられる。 前例がないなら自分が前例になればいい 池田さんから畑の場所をどうすべきか相談があった際、桒原さんは、標高の高い場所がいいのではないかとアドバイスをされたという。小諸市は高品質なブドウを育てているワイナリーもあることから有望視していたが、ヨーロッパ系品種を育てるのであれば冷涼な場所が良いと考え、同市内でも特に標高の高い場所が良いと踏んでいた。 池田さんが畑探しを続ける中、小諸市から糠地地区を紹介され、今の畑に出会う。そして、畑からの絶景に一目ぼれ。相談を受けていた桒原さんもこの景色に心を奪われたそうだ。 土地入手の段になって県に相談した時は、あまりにも標高が高いのでブドウ栽培には適さないと反対されたそうだ。長野で育てるのなら、県名産のメルロとシャルドネが有望で、この場所は冷涼すぎると。それでも、この場所はその他のヨーロッパ系品種を育てるにもポテンシャルが高いと見込んでいた。冷涼だが、日照時間が長く、雨が少ない。風もある。寒暖差が大きく、酸がしっかりと残るはず。 この考えが正しいものだったと確証したのが、2017年に池田さんが近くのワイナリーに委託醸造をお願いしたソーヴィニヨン・ブランの仕上がりを確認した時。きれいな酸味が残ったエレガントな仕上がりで、県の考えもガラッと変わった。今では新規就農希望の方に、なるべく標高の高いところで、メルロやシャルドネ以外の品種の栽培も推奨しているそうだから驚きだ。前例がないからといって諦めるのではなく、自らが前例となって後進を育てていく。リスクは避けるのではなくマネージするものと捉え、果敢にチャレンジされる姿に感服する。 テロワールを追い求めて~天・地・人~ 「テロワール」という言葉を聞いたことがある方も多いだろう。ワインの味わいを決める大変重要な要素で、ワインをかじったことのある人なら、「このワインはテロワールがうまく表現されたものだ」なんて謳い文句を耳にしたことが何度かあるだろう。一方で、この言葉の定義を日本語で表現するのはとても難しく、人によって解釈に幅がある言葉でもあるのも事実だ。土壌や気候といったブドウの栽培環境をイメージしている人もいるだろうし、その土地の風土をイメージされる方もいるだろう。 そんな中、桒原さんは、「天:気候」、「地:土壌」、「人:造り手の考え」が三位一体となって表現するものがテロワールだと定義されている。テール・ド・シエルの味わいは、この三要素が重要な骨格となっているので共有したい。 天:気候について 日本一標高が高い場所にあるだけあり、気候は冷涼。冷涼な気候に合う、ヨーロッパ系品種を中心に育てている。最初に植えたのはソーヴィニヨン・ブラン。その後、ピノ・ノワール、メルロ、シャルドネ、ピノ・グリと品種を増やしてきた。 畑は西南西に向いており、日中の日照量、日照時間共に十分だ。夏場は34、5℃まで気温は上がり、ブドウの糖度も上がる。一方、太陽が沈むと一気に冷え込むので昼夜の寒暖差があり、ブドウの酸持ちが良い。そして、長野県は秋が長い。年間降雨量は少なく、特に10月中旬以降の雨が少ないので、長い秋の間にブドウが熟すことができる。そこで、後から開墾した畑には、リースリングやシュナン・ブラン、シラー、カベルネ・フラン、サヴァニャンといった成熟に時間がかかる品種を植えている。...

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