日本ワインコラム

THE CELLAR ワイン特集
京都・丹波ワイン

京都・丹波ワイン

日本ワインコラム | 丹波ワイン 京都という言葉を聞くだけで心が躍るのはなぜだろう。神社仏閣、京料理、芸能など、伝統文化が色濃く残りながらモダンで魅力が色褪せない。はんなりした京言葉が行き交う小粋な大人の街といった印象で、とにかくオシャレな「和」の筆頭を走るのだ。そんな「和」の世界に「洋」のワインを融合させたのが今回の取材先、1979年創業の丹波ワインだ。京都市内から車で45分程度、京都府のほぼ中央部にある京丹波に居を構える。なぜ京都でワインを造ることになったのか。「和」と「洋」が融合する味わいが生みだされる秘訣はどこにあるのか。ワイン造りのきっかけとなった豪快な創業者、そしてその意を汲んで日々知恵を出し合い、実践を重ねるスタッフの皆さんがいるからこそ、丹波ワインという形が出来上がっている。今回はその足取りをお届けしたい。 ▲ 丹波ワインの看板の背後にある建物が醸造所。写真右手奥には自社畑が広がる。 京都の食文化に合うワインを目指して 往々にして創業者は強い好奇心と高い行動力を有するものだが、丹波ワインの創業者、故・黒井哲夫氏もかなり大胆で豪快な方だったようだ。当時、照明器機メーカー、クロイ電機(株)の社長だった黒井氏が、出張先の海外の駅のホームやカフェで気軽に楽しめるワインの美味しさに感動し、ワインをお土産として持ち帰った。だが、日本で同じワインを飲んでも感動が蘇らない。なぜだろうと考えを巡らせ見えてきたのが、その土地の自然環境や人々の日々暮らし、他地域との往来など、長い歴史を経て形成されてきた食文化との相性だ。 ▲ 創業者である故・黒井哲夫氏のご子息で、丹波ワイン現社長の黒井衛氏。とても気さくで物腰が柔らかいお人柄! たいていの人は、「ああ、そういうことか」で終わる話だが、黒井氏は一味も二味も違う。クロイ電機の社長業を辞め、私財を注ぎ込み、「京都の食文化に合うワイン造り」を目指すのだ。そして1979年、当時生食用ブドウ園を経営していた元丹波町長の山崎高明氏と協力し、丹波ワインを誕生させたのだ。行動力の高さに目を見張る一方、生活がかかっている家族は反対しなかったのだろうか…と心配になった。「幼少期の父親のイメージはお酒が好きな人。家族が反対している様子もなかったし驚きもなかった」と、哲夫氏のご子息で現社長の黒井衛氏(以降、黒井社長)は振り返る。家族が心配する暇を与えない程のスピード感とバイタリティで物事が進んでいったのかもしれない。尚、黒井社長自身は「お酒があまり強くない」そうで、前社長のアルコール分解能力は遺伝しなかったようだ。笑 京丹波の環境に応じたブドウ栽培 京丹波は丹波高原の木々に囲まれた里山で、食の宝庫と呼ばれる程、京料理に欠かせない食材が多数実る豊かな場所だ。栗、黒豆、松茸、牛肉など、「丹波ブランド」と呼ばれる特産物は全国的にも有名なので、ご存知の方も多いだろう。因みに、丹波ワインでは、丹波栗入りのデザートワインも作っている。栗の甘みを感じる上品な和菓子を彷彿とさせる味わいなので、栗好きの方に是非オススメしたい。 ▲ 販売所に展示されていたマップ。醸造所と各畑の位置関係がよく分かる。「向上野」では主にシャルドネとサンジョヴェーゼを、「千原」ではタナを、そして「平林」ではメルロ、ピノ・ノワール、タナ、ピノ・グリ、ソーヴィニヨン・ブラン、シュナン・ブランなどを植えている。因みにタナが植わっていた場所ではもともとカベルネ・ソーヴィニヨンを育てていたが、生育が悪く最近植え替えたものだ。 そんな自然豊かな場所に、丹波ワインは21,000坪(約7ha)という広大な敷地を持つ。もともとクロイ電機の工場建設予定地だった場所を開墾して造られた場所だ。敷地には、自社畑、醸造所、ワインショップ、レストラン等の施設が揃っている。自社畑はワイナリーに併設する「鳥居野」、そこから道路を挟んで隣接する「向上野」と「千原」、そして車で5分程の場所にある「平林」の4ヶ所で、合計4.5haある。これらの畑では、京丹波の環境を理解した上で管理がなされている。具体的に見ていこう。 西日本の中では雨は少なめ、それでも必須の雨対策 京丹波は内陸性気候と日本海式気候の特徴を持ち合わせる。冬は雪の降る日はあるものの積雪はそこまで多くなく、内陸性気候の影響もあり、年間、1,500mm前後と西日本の中では比較的降雨量は少ない。但し、7月後半頃に京丹波で発生し京都市内へと流れていく積乱雲、通称「丹波太郎」の影響でゲリラ豪雨的な夕立が毎日のように起こり、「この時期は、毎夕畑作業がいったん休止になります」と、販売業務営業部エグゼクティブ・マネージャーの坂本さんと栽培部の岡市さんは声を揃えた。 ▲ 坂本さんの語り口は優しく、話のネタが多い!沢山の引き出しから興味深いお話をお聞かせ頂いた。 ▲ 今年から畑作業をリードする立場に昇格した岡市さん。丁寧な説明と真摯な眼差しが爽やかで、「ザ・ナイス・ガイ」と言いたくなるお方だ。 本の中では降雨量は少なめかもしれないが、やはり病気を予防する上で雨対策は必須だ。丹波ワインでは全て垣根仕立てでブドウ栽培されており、垣根全体を覆うレインカット又はフルーツゾーンのみの雨よけを施している。「雨に当てないことで、病気をかなり抑えられます。例えばピノ・ノワールは果実が密集して小さな房状になることから病気になりやすいですが、レインカットを施すことで病害をかなり抑えることが出来ています」と、岡市さんは手応えを語る。 ▲ 手前側は、垣根全体のレインカットを施されている。通路を挟んで左側がセミヨン、右側にピノ・ノワールが植わっている。 よりよい土壌環境を目指して続く改良 京丹波は黒ボク土が多く、肥沃で保水性と排水性が大きいのが特徴だ。この土があるからこそ、様々な農産品が育つのだろう。丹波ワインの畑も黒ボク土を含むが、粘土質が多い土壌のため、排水性が悪いところには暗渠を設置し、水はけのよさを確保している。また、除草剤は一切使わずに草生栽培を行い、刈り込んだ草は土に混ぜ込んで緑肥として利用。その他にもブドウを搾汁した後に残る種や皮などの搾りかすやワインの澱を畑の一角で発酵堆肥化し、有機肥料として畑に還元している。地道な作業の積み重ねにより、土壌の構造と質の改良が進んでいる。 ▲ 畑の一角にある発酵堆肥を作る場所。ブドウの搾りかすや澱があるのが分かる。 昼夜の寒暖差と霧を活かした栽培...

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京都・丹波ワイン

日本ワインコラム | 丹波ワイン 京都という言葉を聞くだけで心が躍るのはなぜだろう。神社仏閣、京料理、芸能など、伝統文化が色濃く残りながらモダンで魅力が色褪せない。はんなりした京言葉が行き交う小粋な大人の街といった印象で、とにかくオシャレな「和」の筆頭を走るのだ。そんな「和」の世界に「洋」のワインを融合させたのが今回の取材先、1979年創業の丹波ワインだ。京都市内から車で45分程度、京都府のほぼ中央部にある京丹波に居を構える。なぜ京都でワインを造ることになったのか。「和」と「洋」が融合する味わいが生みだされる秘訣はどこにあるのか。ワイン造りのきっかけとなった豪快な創業者、そしてその意を汲んで日々知恵を出し合い、実践を重ねるスタッフの皆さんがいるからこそ、丹波ワインという形が出来上がっている。今回はその足取りをお届けしたい。 ▲ 丹波ワインの看板の背後にある建物が醸造所。写真右手奥には自社畑が広がる。 京都の食文化に合うワインを目指して 往々にして創業者は強い好奇心と高い行動力を有するものだが、丹波ワインの創業者、故・黒井哲夫氏もかなり大胆で豪快な方だったようだ。当時、照明器機メーカー、クロイ電機(株)の社長だった黒井氏が、出張先の海外の駅のホームやカフェで気軽に楽しめるワインの美味しさに感動し、ワインをお土産として持ち帰った。だが、日本で同じワインを飲んでも感動が蘇らない。なぜだろうと考えを巡らせ見えてきたのが、その土地の自然環境や人々の日々暮らし、他地域との往来など、長い歴史を経て形成されてきた食文化との相性だ。 ▲ 創業者である故・黒井哲夫氏のご子息で、丹波ワイン現社長の黒井衛氏。とても気さくで物腰が柔らかいお人柄! たいていの人は、「ああ、そういうことか」で終わる話だが、黒井氏は一味も二味も違う。クロイ電機の社長業を辞め、私財を注ぎ込み、「京都の食文化に合うワイン造り」を目指すのだ。そして1979年、当時生食用ブドウ園を経営していた元丹波町長の山崎高明氏と協力し、丹波ワインを誕生させたのだ。行動力の高さに目を見張る一方、生活がかかっている家族は反対しなかったのだろうか…と心配になった。「幼少期の父親のイメージはお酒が好きな人。家族が反対している様子もなかったし驚きもなかった」と、哲夫氏のご子息で現社長の黒井衛氏(以降、黒井社長)は振り返る。家族が心配する暇を与えない程のスピード感とバイタリティで物事が進んでいったのかもしれない。尚、黒井社長自身は「お酒があまり強くない」そうで、前社長のアルコール分解能力は遺伝しなかったようだ。笑 京丹波の環境に応じたブドウ栽培 京丹波は丹波高原の木々に囲まれた里山で、食の宝庫と呼ばれる程、京料理に欠かせない食材が多数実る豊かな場所だ。栗、黒豆、松茸、牛肉など、「丹波ブランド」と呼ばれる特産物は全国的にも有名なので、ご存知の方も多いだろう。因みに、丹波ワインでは、丹波栗入りのデザートワインも作っている。栗の甘みを感じる上品な和菓子を彷彿とさせる味わいなので、栗好きの方に是非オススメしたい。 ▲ 販売所に展示されていたマップ。醸造所と各畑の位置関係がよく分かる。「向上野」では主にシャルドネとサンジョヴェーゼを、「千原」ではタナを、そして「平林」ではメルロ、ピノ・ノワール、タナ、ピノ・グリ、ソーヴィニヨン・ブラン、シュナン・ブランなどを植えている。因みにタナが植わっていた場所ではもともとカベルネ・ソーヴィニヨンを育てていたが、生育が悪く最近植え替えたものだ。 そんな自然豊かな場所に、丹波ワインは21,000坪(約7ha)という広大な敷地を持つ。もともとクロイ電機の工場建設予定地だった場所を開墾して造られた場所だ。敷地には、自社畑、醸造所、ワインショップ、レストラン等の施設が揃っている。自社畑はワイナリーに併設する「鳥居野」、そこから道路を挟んで隣接する「向上野」と「千原」、そして車で5分程の場所にある「平林」の4ヶ所で、合計4.5haある。これらの畑では、京丹波の環境を理解した上で管理がなされている。具体的に見ていこう。 西日本の中では雨は少なめ、それでも必須の雨対策 京丹波は内陸性気候と日本海式気候の特徴を持ち合わせる。冬は雪の降る日はあるものの積雪はそこまで多くなく、内陸性気候の影響もあり、年間、1,500mm前後と西日本の中では比較的降雨量は少ない。但し、7月後半頃に京丹波で発生し京都市内へと流れていく積乱雲、通称「丹波太郎」の影響でゲリラ豪雨的な夕立が毎日のように起こり、「この時期は、毎夕畑作業がいったん休止になります」と、販売業務営業部エグゼクティブ・マネージャーの坂本さんと栽培部の岡市さんは声を揃えた。 ▲ 坂本さんの語り口は優しく、話のネタが多い!沢山の引き出しから興味深いお話をお聞かせ頂いた。 ▲ 今年から畑作業をリードする立場に昇格した岡市さん。丁寧な説明と真摯な眼差しが爽やかで、「ザ・ナイス・ガイ」と言いたくなるお方だ。 本の中では降雨量は少なめかもしれないが、やはり病気を予防する上で雨対策は必須だ。丹波ワインでは全て垣根仕立てでブドウ栽培されており、垣根全体を覆うレインカット又はフルーツゾーンのみの雨よけを施している。「雨に当てないことで、病気をかなり抑えられます。例えばピノ・ノワールは果実が密集して小さな房状になることから病気になりやすいですが、レインカットを施すことで病害をかなり抑えることが出来ています」と、岡市さんは手応えを語る。 ▲ 手前側は、垣根全体のレインカットを施されている。通路を挟んで左側がセミヨン、右側にピノ・ノワールが植わっている。 よりよい土壌環境を目指して続く改良 京丹波は黒ボク土が多く、肥沃で保水性と排水性が大きいのが特徴だ。この土があるからこそ、様々な農産品が育つのだろう。丹波ワインの畑も黒ボク土を含むが、粘土質が多い土壌のため、排水性が悪いところには暗渠を設置し、水はけのよさを確保している。また、除草剤は一切使わずに草生栽培を行い、刈り込んだ草は土に混ぜ込んで緑肥として利用。その他にもブドウを搾汁した後に残る種や皮などの搾りかすやワインの澱を畑の一角で発酵堆肥化し、有機肥料として畑に還元している。地道な作業の積み重ねにより、土壌の構造と質の改良が進んでいる。 ▲ 畑の一角にある発酵堆肥を作る場所。ブドウの搾りかすや澱があるのが分かる。 昼夜の寒暖差と霧を活かした栽培...

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鳥取・北条ワイン醸造所

鳥取・北条ワイン醸造所

日本ワインコラム | 北条ワイン醸造所 「中四国最古のワイナリー」と聞いて、どこを思い浮かべるだろうか?フルーツ王国と言われる岡山県?温暖な瀬戸内から冷涼な中北部まで産地が広がる広島県?驚くなかれ、答えは鳥取県。しかも、日本海に沿って発達した北条砂丘にあるのだ! 砂丘という言葉を聞くと、風で砂が動いて描かれるさざ波状の茶色い模様が思い起こされ、ブドウなどの果樹や作物が育つイメージはないのではないだろうか。そんなステレオタイプを払拭してくれたのが、今回の訪問先である北条ワイン醸造所(以下、北条ワイン)の皆さん。不毛な砂丘でブドウ栽培することになった経緯、また、なぜ北条ワインがワイン造りを始めたのかを伺うと、厳しい時代を生き抜いた人々の歴史が垣間見えてくる。そして、その歴史を受け継ぎ、次の世代にバトンを繋ぐべく奮闘する皆さんの姿も浮かび上がるのだ。 ▲ どこか懐かしさを覚える看板。色合いが優しく、ほっこりした気分にさせてくれる。 過酷な労働を経て得た砂丘農地 鳥取県の中央部に位置する北条砂丘は、日本海に沿って発達した海岸砂丘で、東西10km、南北1.5kmに広がる。同じ鳥取県の東部にある鳥取砂丘は観光地として有名だが、北条砂丘は開墾されて農業地帯として利用されているのが特徴で、その歴史は江戸時代まで遡る。慢性的な食糧不足を解消すべく鳥取藩による開拓が進められたが、水はけが良すぎる砂地での潅水は想像を絶する激務。浜井戸を掘り、そこから湧き出る水を女性がくみ上げ、水桶を担いで何往復も運んでいたそうで、あまりの過酷な労働から「嫁殺し」と言われたほど。歯を食いしばって耐えてきた女性がいたのかと思うと頭が下がるし、そのやるせなさを思うと涙が出てくる。ブドウ栽培もそんな江戸時代の末期に始まる。北条町の豪農に出入りしていた植木屋が甲斐の国(山梨県)から持ってきた甲州ブドウの苗木1本を庭先に植えたのがきっかけと言われている。砂地の環境に合っていたのだろう、明治時代に入ると一大産地になるほど栽培が広がった。昭和に入ると、デラウェアやネオマスカット、巨峰、ピオーネなどのブドウの栽培が増え、県内一のブドウ産地になったのだ。 ▲ 現在は、自動制御のスプリンクラーで散水される農地が広がり、長芋(ねばりっこ)、らっきょ、長ネギなどの野菜や桑の実が栽培されている。昔は葉タバコも多く栽培されていたそうだが、今は栽培者が減っている。逆に増えているのが芝栽培。写真は北条ワインのブドウ畑の隣で栽培中の芝。砂地で剥がしやすいというメリットがあるそう。 酒石酸を得るためのワイン造り 北条ワインは1944年創業で、80年以上の歴史を誇る。実は、ワイン造りはその前から行われていたが、その目的はワインそのものではなく、醸造の過程で副産物として生成される少量の酒石酸にあった。酒石酸を精製するとロッシェル塩(酒石酸カリウムナトリウム)という結晶体ができる。ロッシェル塩は音波を即座に捉えられることから、音波防御レーダーとして艦船に装備し、潜水艦や魚雷に対抗する兵器として用いられていたのだ。 ブドウ産地だったことに目を付けた軍からの要請を受け、北条ワインは地元の農家から甲州ブドウを集めワインを造ることになる。「何を造っているか聞かされていなかったようですから、悶々としながら醸造しては酒石酸を取り出して、ワインを垂れ流していたのだと思います」と、3代目の山田さんは遠い目をした。尚、当時は山梨県のワイナリー「サドヤ」が国内で唯一ロッシェル塩の精製技術を有していたことから、日本全国から酒石酸が集められていたそうだ。 ▲ 創業当時から変わらない蔵の中に立つ北条ワイン3代目の山田代表。 1944年に入ると軍からの要請がパタッと途絶えた。「恐らく、戦局が非常に厳しくなっていたのでしょう。軍からの酒石酸の需要がないのであれば本体のワインを造ろう、と切り替えたことが今に繋がります。この様な経緯から創業は1944年としています」と山田さんは語ってくれた。軍事目的のためにワインが造られていたという歴史があったとは…。知らず知らずのうちに戦争に巻き込まれていく恐ろしさを感じるが、軍の要請がなくなった直後にはワイン造りを決めていたという人々の逞しさに救いを見出す。 砂丘ならではの環境が質の高いブドウに繋がる 一本の甲州ブドウから地域全体に広がったブドウ栽培。栽培が増えたのは、砂丘という環境がブドウ栽培に適していたからだろう。その秘訣を紐解いていこう。 砂地がもたらす水はけのよさと反射熱の効果 北条砂丘という名前が表す通り、土壌はさらさらの砂地。よって、水はけは非常にいい。取材前日から直前まで雨が降っていたにも関わらず、畑の土壌はぬかるみ一つなかった。水分があっという間に土壌に吸い込まれていったのが良く分かる。程よい水分ストレスがかかったブドウは果実の凝縮感が増し、雨が多い日本でも根腐れが起こりにくいので、ブドウ栽培において強みとなる。また、砂地は水分に加えて養分も蓄えにくいので、ブドウはゆっくり育つ。樹勢が抑えられて果実の成熟とのバランスが取りやすいという側面もある。 ▲ 雨の後とは思えない程、ぬかるみのない土壌。 ▲ 北条ワインのインスタ投稿より。雨が降っていない時は白っぽいさらさらの土壌なのがよく分かる。 ▲ 海岸から700-800m程にある自社畑では、メルロとカベルネ・ソーヴィニヨンが育つ。2018年に植樹し8年目を迎えるが、全体的にブドウ樹は細め。ゆっくりと成長しているのがよく分かる。 砂地は比熱が小さく地温が上がりやすい。そのため春先の早いタイミングから根が活動し、ブドウの成長期間を長く取ることが出来る。また、北条砂丘の砂は白いので反射熱があり、光合成やブドウの成熟に寄与する。但し、夏場の表面温度は危険な程高くなるそうで、栽培部長の田村さん曰く、「靴底にインソールをしっかり入れないと火傷してしまうほど」だそう。温暖化により夏場の気温が上がりやすく、日焼けや縮果症といった負の影響も出てきているそうで、「垣根栽培をしている品種の場合、地面とブドウの主枝の距離は70-80cm程度ですが、新規に植えるものについては110cm程度にするようにしています」と、田村さんは対策を教えてくれた。 ▲ 栽培部長の田村さん。小柄で可憐な印象だが、炎天下など何のそのと言わんばかりのタフさがある!...

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鳥取・北条ワイン醸造所

日本ワインコラム | 北条ワイン醸造所 「中四国最古のワイナリー」と聞いて、どこを思い浮かべるだろうか?フルーツ王国と言われる岡山県?温暖な瀬戸内から冷涼な中北部まで産地が広がる広島県?驚くなかれ、答えは鳥取県。しかも、日本海に沿って発達した北条砂丘にあるのだ! 砂丘という言葉を聞くと、風で砂が動いて描かれるさざ波状の茶色い模様が思い起こされ、ブドウなどの果樹や作物が育つイメージはないのではないだろうか。そんなステレオタイプを払拭してくれたのが、今回の訪問先である北条ワイン醸造所(以下、北条ワイン)の皆さん。不毛な砂丘でブドウ栽培することになった経緯、また、なぜ北条ワインがワイン造りを始めたのかを伺うと、厳しい時代を生き抜いた人々の歴史が垣間見えてくる。そして、その歴史を受け継ぎ、次の世代にバトンを繋ぐべく奮闘する皆さんの姿も浮かび上がるのだ。 ▲ どこか懐かしさを覚える看板。色合いが優しく、ほっこりした気分にさせてくれる。 過酷な労働を経て得た砂丘農地 鳥取県の中央部に位置する北条砂丘は、日本海に沿って発達した海岸砂丘で、東西10km、南北1.5kmに広がる。同じ鳥取県の東部にある鳥取砂丘は観光地として有名だが、北条砂丘は開墾されて農業地帯として利用されているのが特徴で、その歴史は江戸時代まで遡る。慢性的な食糧不足を解消すべく鳥取藩による開拓が進められたが、水はけが良すぎる砂地での潅水は想像を絶する激務。浜井戸を掘り、そこから湧き出る水を女性がくみ上げ、水桶を担いで何往復も運んでいたそうで、あまりの過酷な労働から「嫁殺し」と言われたほど。歯を食いしばって耐えてきた女性がいたのかと思うと頭が下がるし、そのやるせなさを思うと涙が出てくる。ブドウ栽培もそんな江戸時代の末期に始まる。北条町の豪農に出入りしていた植木屋が甲斐の国(山梨県)から持ってきた甲州ブドウの苗木1本を庭先に植えたのがきっかけと言われている。砂地の環境に合っていたのだろう、明治時代に入ると一大産地になるほど栽培が広がった。昭和に入ると、デラウェアやネオマスカット、巨峰、ピオーネなどのブドウの栽培が増え、県内一のブドウ産地になったのだ。 ▲ 現在は、自動制御のスプリンクラーで散水される農地が広がり、長芋(ねばりっこ)、らっきょ、長ネギなどの野菜や桑の実が栽培されている。昔は葉タバコも多く栽培されていたそうだが、今は栽培者が減っている。逆に増えているのが芝栽培。写真は北条ワインのブドウ畑の隣で栽培中の芝。砂地で剥がしやすいというメリットがあるそう。 酒石酸を得るためのワイン造り 北条ワインは1944年創業で、80年以上の歴史を誇る。実は、ワイン造りはその前から行われていたが、その目的はワインそのものではなく、醸造の過程で副産物として生成される少量の酒石酸にあった。酒石酸を精製するとロッシェル塩(酒石酸カリウムナトリウム)という結晶体ができる。ロッシェル塩は音波を即座に捉えられることから、音波防御レーダーとして艦船に装備し、潜水艦や魚雷に対抗する兵器として用いられていたのだ。 ブドウ産地だったことに目を付けた軍からの要請を受け、北条ワインは地元の農家から甲州ブドウを集めワインを造ることになる。「何を造っているか聞かされていなかったようですから、悶々としながら醸造しては酒石酸を取り出して、ワインを垂れ流していたのだと思います」と、3代目の山田さんは遠い目をした。尚、当時は山梨県のワイナリー「サドヤ」が国内で唯一ロッシェル塩の精製技術を有していたことから、日本全国から酒石酸が集められていたそうだ。 ▲ 創業当時から変わらない蔵の中に立つ北条ワイン3代目の山田代表。 1944年に入ると軍からの要請がパタッと途絶えた。「恐らく、戦局が非常に厳しくなっていたのでしょう。軍からの酒石酸の需要がないのであれば本体のワインを造ろう、と切り替えたことが今に繋がります。この様な経緯から創業は1944年としています」と山田さんは語ってくれた。軍事目的のためにワインが造られていたという歴史があったとは…。知らず知らずのうちに戦争に巻き込まれていく恐ろしさを感じるが、軍の要請がなくなった直後にはワイン造りを決めていたという人々の逞しさに救いを見出す。 砂丘ならではの環境が質の高いブドウに繋がる 一本の甲州ブドウから地域全体に広がったブドウ栽培。栽培が増えたのは、砂丘という環境がブドウ栽培に適していたからだろう。その秘訣を紐解いていこう。 砂地がもたらす水はけのよさと反射熱の効果 北条砂丘という名前が表す通り、土壌はさらさらの砂地。よって、水はけは非常にいい。取材前日から直前まで雨が降っていたにも関わらず、畑の土壌はぬかるみ一つなかった。水分があっという間に土壌に吸い込まれていったのが良く分かる。程よい水分ストレスがかかったブドウは果実の凝縮感が増し、雨が多い日本でも根腐れが起こりにくいので、ブドウ栽培において強みとなる。また、砂地は水分に加えて養分も蓄えにくいので、ブドウはゆっくり育つ。樹勢が抑えられて果実の成熟とのバランスが取りやすいという側面もある。 ▲ 雨の後とは思えない程、ぬかるみのない土壌。 ▲ 北条ワインのインスタ投稿より。雨が降っていない時は白っぽいさらさらの土壌なのがよく分かる。 ▲ 海岸から700-800m程にある自社畑では、メルロとカベルネ・ソーヴィニヨンが育つ。2018年に植樹し8年目を迎えるが、全体的にブドウ樹は細め。ゆっくりと成長しているのがよく分かる。 砂地は比熱が小さく地温が上がりやすい。そのため春先の早いタイミングから根が活動し、ブドウの成長期間を長く取ることが出来る。また、北条砂丘の砂は白いので反射熱があり、光合成やブドウの成熟に寄与する。但し、夏場の表面温度は危険な程高くなるそうで、栽培部長の田村さん曰く、「靴底にインソールをしっかり入れないと火傷してしまうほど」だそう。温暖化により夏場の気温が上がりやすく、日焼けや縮果症といった負の影響も出てきているそうで、「垣根栽培をしている品種の場合、地面とブドウの主枝の距離は70-80cm程度ですが、新規に植えるものについては110cm程度にするようにしています」と、田村さんは対策を教えてくれた。 ▲ 栽培部長の田村さん。小柄で可憐な印象だが、炎天下など何のそのと言わんばかりのタフさがある!...

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長野・テール・ド・シエル vol.2

長野・テール・ド・シエル vol.2

日本ワインコラム | 長野 テール・ド・シエル vol.2 / vol.1 はこちら 約3年ぶり、2度目の来訪となった。 奥行きのあるパノラマの景色、優しく吹き抜ける風、ふかふかの土…何度も立ち止まって深呼吸したくなる場所だ。前回訪問時に味わった感動は全く色褪せることなく、むしろより色濃くなって溢れ出す。何度来ても、「気持ちいい…」という言葉が口に出る、心地の良い空間に佇むのが、テール・ド・シエルの畑と醸造所だ。 ▲ やはりこの場所は何度来ても癒される。じわぁっと体がほぐれていくのだ。 ブドウ栽培、ワイン醸造への真摯な姿勢はそのままに(テール・ド・シエルの成り立ちやワイン造りの考え方についてはVol.1へ)。その上で、3年という月日を経て得た新たな気付きについて、栽培と醸造の責任者を務める桒原さんに色々伺った。 ▲ 前回と変わらない桒原さんの出で立ちに嬉しくなる! 畑は広がっても、きめ細やかな管理を徹底する 元々雑木林だったところを2015年に開墾し始め、10年が経過した。畑は4haまで広がったが、来年は更に60-70a広げ、5ha弱となる見込みだ。開墾する際に気を付けたのは、山を削ることなく、元々の地形をそのまま残すこと。その結果、テール・ド・シエルの畑は色んな方向を向いた様々な角度の斜面となっている。美しい景色が広がるが、急な斜面が多いため機械化は難しく、手作業中心とならざるを得ないし、一枚畑に比べると畑の管理に時間を要するので、栽培者にかかる負荷は大きい。 ▲ 畑の土壌は、7-8割程度を占める粘土質に2-3割程度の火山灰が混ざったもの。千曲川左岸の強粘土質の土壌に比べると、粘土の割合は少ない。 お邪魔した際、1回目の芽かき作業が終わり、誘引を行っているところだった。広い畑なので、1回の芽かきで2-3週間要するという。今年はミノムシが大量発生したそう。ブドウの新芽や葉を食害するのでやっかいな存在だ。これまでに500匹捕殺したとのことだが(驚愕!)、ブドウの収量に影響が出ないよう、1度目の芽かきは慎重に行い、2度目で収量調整を行う予定だという。自然相手の畑で、殺虫剤の使用も極限まで減らしているからこそ、細かい畑の観察とこまめな対策が不可欠なのだ。また、畑では除草剤も使用しないので、草刈りも一仕事。一巡したと思ったら、最初の畑の草は伸びているとのこと。骨の折れる作業を地道に繰り返されているのだ。 ▲ キレイに並ぶブドウの樹。根元も含め、草刈りがしっかりと行われているのがよく分かる。 ▲ 誘引作業により、2本のワイヤーの間に枝がきちんと収まっている。 流石にこの広さを一人で管理しきれないので、地元のシルバーさんに助けてもらっているとのこと。「社長が10年前から地域と繋がってきてくれたからこそ、『今度○○△△という作業をする予定で…』と言えば、周りの皆さんが色々と手伝ってくれている。本当に有難い」と、桒原さんの義父であり、テール・ド・シエルの社長でもある池田さんと、サポートしてくれている地域の皆さんへの感謝の気持ちを述べられた。サポートが入るとは言え、「手が回らなくなるのも怖い」とも仰る。真摯に畑に向き合っているからこその、誠実な言葉だ。 ▲ 千曲川ワインアカデミー2期生でもある池田さん。ワイナリー社長業に加え、ワイナリーから車で数分の場所にある「Nukaji Wine House(糠地ワインハウス)」を切り盛りしておられる。「外様」と言われたこともあったらしいが、地域との調和を大事に、時間をかけて関係を作り上げてきたそう。この関係性があるからこそ、地域の皆さんが快くワイナリーをサポートして下さるのだ。 相性の良さが分かってきた...

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長野・テール・ド・シエル vol.2

日本ワインコラム | 長野 テール・ド・シエル vol.2 / vol.1 はこちら 約3年ぶり、2度目の来訪となった。 奥行きのあるパノラマの景色、優しく吹き抜ける風、ふかふかの土…何度も立ち止まって深呼吸したくなる場所だ。前回訪問時に味わった感動は全く色褪せることなく、むしろより色濃くなって溢れ出す。何度来ても、「気持ちいい…」という言葉が口に出る、心地の良い空間に佇むのが、テール・ド・シエルの畑と醸造所だ。 ▲ やはりこの場所は何度来ても癒される。じわぁっと体がほぐれていくのだ。 ブドウ栽培、ワイン醸造への真摯な姿勢はそのままに(テール・ド・シエルの成り立ちやワイン造りの考え方についてはVol.1へ)。その上で、3年という月日を経て得た新たな気付きについて、栽培と醸造の責任者を務める桒原さんに色々伺った。 ▲ 前回と変わらない桒原さんの出で立ちに嬉しくなる! 畑は広がっても、きめ細やかな管理を徹底する 元々雑木林だったところを2015年に開墾し始め、10年が経過した。畑は4haまで広がったが、来年は更に60-70a広げ、5ha弱となる見込みだ。開墾する際に気を付けたのは、山を削ることなく、元々の地形をそのまま残すこと。その結果、テール・ド・シエルの畑は色んな方向を向いた様々な角度の斜面となっている。美しい景色が広がるが、急な斜面が多いため機械化は難しく、手作業中心とならざるを得ないし、一枚畑に比べると畑の管理に時間を要するので、栽培者にかかる負荷は大きい。 ▲ 畑の土壌は、7-8割程度を占める粘土質に2-3割程度の火山灰が混ざったもの。千曲川左岸の強粘土質の土壌に比べると、粘土の割合は少ない。 お邪魔した際、1回目の芽かき作業が終わり、誘引を行っているところだった。広い畑なので、1回の芽かきで2-3週間要するという。今年はミノムシが大量発生したそう。ブドウの新芽や葉を食害するのでやっかいな存在だ。これまでに500匹捕殺したとのことだが(驚愕!)、ブドウの収量に影響が出ないよう、1度目の芽かきは慎重に行い、2度目で収量調整を行う予定だという。自然相手の畑で、殺虫剤の使用も極限まで減らしているからこそ、細かい畑の観察とこまめな対策が不可欠なのだ。また、畑では除草剤も使用しないので、草刈りも一仕事。一巡したと思ったら、最初の畑の草は伸びているとのこと。骨の折れる作業を地道に繰り返されているのだ。 ▲ キレイに並ぶブドウの樹。根元も含め、草刈りがしっかりと行われているのがよく分かる。 ▲ 誘引作業により、2本のワイヤーの間に枝がきちんと収まっている。 流石にこの広さを一人で管理しきれないので、地元のシルバーさんに助けてもらっているとのこと。「社長が10年前から地域と繋がってきてくれたからこそ、『今度○○△△という作業をする予定で…』と言えば、周りの皆さんが色々と手伝ってくれている。本当に有難い」と、桒原さんの義父であり、テール・ド・シエルの社長でもある池田さんと、サポートしてくれている地域の皆さんへの感謝の気持ちを述べられた。サポートが入るとは言え、「手が回らなくなるのも怖い」とも仰る。真摯に畑に向き合っているからこその、誠実な言葉だ。 ▲ 千曲川ワインアカデミー2期生でもある池田さん。ワイナリー社長業に加え、ワイナリーから車で数分の場所にある「Nukaji Wine House(糠地ワインハウス)」を切り盛りしておられる。「外様」と言われたこともあったらしいが、地域との調和を大事に、時間をかけて関係を作り上げてきたそう。この関係性があるからこそ、地域の皆さんが快くワイナリーをサポートして下さるのだ。 相性の良さが分かってきた...

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山形・ベルウッド ヴィンヤード ワイナリー vol.2

山形・ベルウッド ヴィンヤード ワイナリー vol.2

日本ワインコラム | 山形・ベルウッド ヴィンヤード ワイナリー vol.2 / vol.1 はこちら 山形県上山市の久保手地区にあるベルウッド・ヴィンヤード。前回お邪魔したのは、ちょうどワイナリーが完成した年だったので、約5年前になる。あの時と変わらぬ、ぱっと目を引くスタイリッシュな鈴木さん。そして、木材とテーマカラーの黒を掛け合わせ造られたワイナリーの洗練された雰囲気も変わらない。 ▲ 木材をふんだんに使いつつ、黒で締めることで、武骨でインダストリアルな雰囲気のあるワイナリー。 大きく異なるのは外の景色。前回は初冬に訪問したが、今回は猛暑真っ只中。一歩外に出れば汗ぐっしょりで、人間は日差しの強さに負けそうになるが、その分、逞しく成長しているブドウの生命力の強さを感じる。5年という年月を経て、細かったブドウの樹も大きく成長し、青々とした葉っぱを茂らせ、元気一杯だ。鈴木さんもちょっとのことでは動じない、ある種余裕さえ感じる佇まいだ。いい意味での脱力感はありつつ、スパっと行動に移す軽やかさがある。鈴木さんの造るワインに感じる洒脱さは、やはり鈴木さんの人柄が滲み出ているのだろう。 好き→アンテナが伸びる→センスが磨かれる 鈴木さんの周りは、どこを切り取っても洒落ている。ご本人の風貌はもちろんのこと、持ち物、ワイナリー内のディスプレイ、ワインのラベル、そしてその味わいさえも。近寄りがたさのある尖ったオシャレではなく、居心地のよさを感じるオシャレだ。 ▲ ワイナリー内には、鈴木さんの審美眼に選ばれたアウトドアグッズが飾れている。 前回訪問時に、 「独立してからは、何を置くにしても、周囲には自分の好きなものだけを置くように、それだけは曲げたくないと思っています。ラベルにしても何にしても、ひとつひとつを、自分を表現する一部として考えているのです。」 と答えられていたように、やはりご自身の「好き」が集まった空間には、ジャンルが違っても統一感があるし、どれを取っても「鈴木さん」を感じるのだ。 きっと、ワインも「好き」を大事にして始められたのかと思いきや、意外な歴史を教えてくれた。 「山形県朝日町出身で、高校卒業後、仙台の専門学校に進学したのですが、留年して…卒業後もなかなか進路が決まらなくて。そしたら、親が知らない間に朝日町ワインに履歴書を送っていて、「ここに入れ」と言われるままに就職したんです(苦笑)。」 なんともビックリだ。若かりし頃の鈴木さんは、「やりたいことがわからない」というモヤモヤした不安みたいなものがあったのだろうか…それにしても、ご両親のアシストがなければワインの道に進んでいなかった訳なので、感謝してもしきれない。きっと、鈴木さんの好みをある程度理解した上で、半ば強引に道を作ってくれたのではないだろうか。 ▲ 本当、ワインの道に進んでくれた良かったです~!! 鈴木さんのぶっちゃけはここで止まらない。「折角朝日町ワインに就職したんですが、余暇の遊びが楽しくて、そっちで生計を立てようかと思ったこともある」、と言うではないか‼破天荒ぶりに思考停止になりそうになるが、見逃してはいけないのが、趣味を仕事にしようと思う程上達したという点だ。鈴木さんは、好きになるとアンテナがぐぃ~んと人一倍伸びるのだ。有難いことに、ワインの道は残った。「趣味にお金を使い果たした(笑)」ということもあるそうだが、それだけではない。スタートがどうであれ、毎日ワイン造りに向き合う内に、「好き」が蓄積されたのだろう。そして、アンテナが伸びた。その結果、ご自身が製造に携わったワインが、コンクールで金賞を受賞するまでセンスが磨かれたのだ。そうなると、自分のセンスを追求して試したくなるものだ。19年間働いた朝日町ワインを卒業し、2017年に自分で栽培から醸造まで手掛けるスタイルに移行する。こうして、誕生したのがベルウッド・ヴィンヤードなのだ。 自分を枯渇させないから可能な挑戦 鈴木さんの牧歌的な口調も影響しているかもしれないが、鈴木さんからは苦しさが感じられない。もちろん、夏場は朝4時台に起床、5時台には畑に出て、日が暮れる19時30分頃まで畑仕事、その後事務仕事が21時頃まで続くというのだから、フル回転だ。「手が回りきらない」と呟かれるが、疲弊感はないし、何となく楽しそうなのだ。なぜだろう? 10から10+αの結果を引き出す ワイナリーのすぐ隣に1ha弱の自社畑が広がる。周囲は平らな田畑が広がるが、畑は独立峰のような形で隆起した小高い丘になっている。もともと耕作放棄地だった場所を、2017年の独立と同時に垣根仕立てで複数の欧州品種を植樹した場所だ。もう一つの畑は、ワイナリーから500mほど離れた場所にある10a弱の畑。後継者のいないデラウェアの畑を引き継ぎ、棚仕立てで有核栽培している。無理をすれば畑を広げられるかもしれないが、鈴木さん、今ある畑をきっちり管理することに重点を置いている。...

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山形・ベルウッド ヴィンヤード ワイナリー vol.2

日本ワインコラム | 山形・ベルウッド ヴィンヤード ワイナリー vol.2 / vol.1 はこちら 山形県上山市の久保手地区にあるベルウッド・ヴィンヤード。前回お邪魔したのは、ちょうどワイナリーが完成した年だったので、約5年前になる。あの時と変わらぬ、ぱっと目を引くスタイリッシュな鈴木さん。そして、木材とテーマカラーの黒を掛け合わせ造られたワイナリーの洗練された雰囲気も変わらない。 ▲ 木材をふんだんに使いつつ、黒で締めることで、武骨でインダストリアルな雰囲気のあるワイナリー。 大きく異なるのは外の景色。前回は初冬に訪問したが、今回は猛暑真っ只中。一歩外に出れば汗ぐっしょりで、人間は日差しの強さに負けそうになるが、その分、逞しく成長しているブドウの生命力の強さを感じる。5年という年月を経て、細かったブドウの樹も大きく成長し、青々とした葉っぱを茂らせ、元気一杯だ。鈴木さんもちょっとのことでは動じない、ある種余裕さえ感じる佇まいだ。いい意味での脱力感はありつつ、スパっと行動に移す軽やかさがある。鈴木さんの造るワインに感じる洒脱さは、やはり鈴木さんの人柄が滲み出ているのだろう。 好き→アンテナが伸びる→センスが磨かれる 鈴木さんの周りは、どこを切り取っても洒落ている。ご本人の風貌はもちろんのこと、持ち物、ワイナリー内のディスプレイ、ワインのラベル、そしてその味わいさえも。近寄りがたさのある尖ったオシャレではなく、居心地のよさを感じるオシャレだ。 ▲ ワイナリー内には、鈴木さんの審美眼に選ばれたアウトドアグッズが飾れている。 前回訪問時に、 「独立してからは、何を置くにしても、周囲には自分の好きなものだけを置くように、それだけは曲げたくないと思っています。ラベルにしても何にしても、ひとつひとつを、自分を表現する一部として考えているのです。」 と答えられていたように、やはりご自身の「好き」が集まった空間には、ジャンルが違っても統一感があるし、どれを取っても「鈴木さん」を感じるのだ。 きっと、ワインも「好き」を大事にして始められたのかと思いきや、意外な歴史を教えてくれた。 「山形県朝日町出身で、高校卒業後、仙台の専門学校に進学したのですが、留年して…卒業後もなかなか進路が決まらなくて。そしたら、親が知らない間に朝日町ワインに履歴書を送っていて、「ここに入れ」と言われるままに就職したんです(苦笑)。」 なんともビックリだ。若かりし頃の鈴木さんは、「やりたいことがわからない」というモヤモヤした不安みたいなものがあったのだろうか…それにしても、ご両親のアシストがなければワインの道に進んでいなかった訳なので、感謝してもしきれない。きっと、鈴木さんの好みをある程度理解した上で、半ば強引に道を作ってくれたのではないだろうか。 ▲ 本当、ワインの道に進んでくれた良かったです~!! 鈴木さんのぶっちゃけはここで止まらない。「折角朝日町ワインに就職したんですが、余暇の遊びが楽しくて、そっちで生計を立てようかと思ったこともある」、と言うではないか‼破天荒ぶりに思考停止になりそうになるが、見逃してはいけないのが、趣味を仕事にしようと思う程上達したという点だ。鈴木さんは、好きになるとアンテナがぐぃ~んと人一倍伸びるのだ。有難いことに、ワインの道は残った。「趣味にお金を使い果たした(笑)」ということもあるそうだが、それだけではない。スタートがどうであれ、毎日ワイン造りに向き合う内に、「好き」が蓄積されたのだろう。そして、アンテナが伸びた。その結果、ご自身が製造に携わったワインが、コンクールで金賞を受賞するまでセンスが磨かれたのだ。そうなると、自分のセンスを追求して試したくなるものだ。19年間働いた朝日町ワインを卒業し、2017年に自分で栽培から醸造まで手掛けるスタイルに移行する。こうして、誕生したのがベルウッド・ヴィンヤードなのだ。 自分を枯渇させないから可能な挑戦 鈴木さんの牧歌的な口調も影響しているかもしれないが、鈴木さんからは苦しさが感じられない。もちろん、夏場は朝4時台に起床、5時台には畑に出て、日が暮れる19時30分頃まで畑仕事、その後事務仕事が21時頃まで続くというのだから、フル回転だ。「手が回りきらない」と呟かれるが、疲弊感はないし、何となく楽しそうなのだ。なぜだろう? 10から10+αの結果を引き出す ワイナリーのすぐ隣に1ha弱の自社畑が広がる。周囲は平らな田畑が広がるが、畑は独立峰のような形で隆起した小高い丘になっている。もともと耕作放棄地だった場所を、2017年の独立と同時に垣根仕立てで複数の欧州品種を植樹した場所だ。もう一つの畑は、ワイナリーから500mほど離れた場所にある10a弱の畑。後継者のいないデラウェアの畑を引き継ぎ、棚仕立てで有核栽培している。無理をすれば畑を広げられるかもしれないが、鈴木さん、今ある畑をきっちり管理することに重点を置いている。...

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山形・酒井ワイナリー vol.2

山形・酒井ワイナリー vol.2

日本ワインコラム |酒井ワイナリー/ Vol.2 / vol.1 はこちら 初めて酒井ワイナリー5代目当主の酒井一平さんを取材したのは約5年前。クロード・レヴィ=ストロースが唱えた構造主義や、同氏の代表作『野生の思考』の中で紹介されている「ブリコラージュ(日曜大工)」という概念を織り交ぜながら、ご自身のワイン造りについて語ってくれた。 今回も、ちょっと小難しい…(すみません!汗)、もとい、哲学的で思索的な印象はそのままに、更なるステージへ足を踏み入れている姿をみせてくれた。他のワイナリーの方々と話をしていると、酒井さんを「超人的」と評されるのをよく耳にする。点在する耕作放棄地を管理するだけでも大変なのに、化学農薬、殺虫剤、化学肥料、除草剤無しでブドウを栽培。そして、東北最古のワイナリーの当主という立場もあってか、様々な役職にも付いている。確固たる信念があるからこその行動だとは思うが、なかなかできないことだ。 今回は、そんな「超人的な」酒井さんの考え方の軸となる部分や現在の様子、そして今後の展望や課題について話を伺った。 ▲ 絵本に出てきそうな愛らしさのワイナリー外観。ワイナリーは赤湯温泉街にあり、そぞろ歩きも楽しめる。 『その土地の普通』を追い求めて 酒井ワイナリーは、1892年創業の東北で最も長い歴史を持つワイナリーだ。2004年に酒井さんが5代目を継いで20年強が経過している。今でこそ、「酒井ワイナリー=自然な造りのワイン」というイメージを持っておられる方が多いと思うが、化学農薬、殺虫剤、化学肥料、除草剤無しでブドウを育て、野生酵母で発酵し、無清澄・無濾過、亜硫酸は極少量ないし無添加でワインに仕上げる、という全行程が確立したのは、5代目になってからである。このスタイルに行きついた背景には何があるのだろうか? ▲ ワイナリーの中に貼られている酒井ワイナリーの歴史。 昔、(ドメーヌ・オヤマダの)小山田さんが主宰していた若手勉強会に参加した際に、自分で醸造したワインを持って行ったことがあるんです。『どうやって造ったの?』と聞かれたので、『普通に造りました』と答えたら、『普通って何?』って聞かれたんです。その時に絶句してしまって。自分の言う『普通』って何なんだろう?と凄く考えるようになりました。そこから、様々な書物を読んだりして自分なりに思考を深めたんです。 こんな禅問答がある勉強会に恐ろしさを感じなくもないが、この出来事をきっかけに、構造主義を始めとする哲学書や自然科学の本を読み漁るというところが、酒井さんが酒井さんたる所以なのかもしれない。 ▲ 深い思考を重ねた上で、ワイン造りに向き合う酒井さん。 『その土地における普通のワインとは何だ?』という問いを突き付けられたと考え、そこから、『その土地における文化的普遍性とは何か?』と考えを深めました。そして、自分の中で辿り着いた答えが、『その地域における自然の有り様』だったのです。自然は一定ではなく、万物流転で変化し続けますが、その中でその土地特有のものが生まれます。 ▲ 酒井さんのインスタより。畑の草刈りをしている時にヨシキリの巣を発見したとのこと。畑には多様な生き物が生息しているのだ。 その上で、ブドウ栽培における酒井さんの考えが続く。 だから、例えば自分の畑は『ブドウ畑』とは思っていません。牧草も植えているし、桜を始めとした色んな木が植わっています。あらゆる生き物の力に頼った畑なのです。畑にブドウと人間しかいないというのは不自然、つまりその土地の農作物ではなくなり、普遍性から離れる。だから除草剤や殺虫剤を用いて、微生物を始めとする生き物を殺すことはしない。たとえ、出来上がるブドウがどんなにきれいでも。畑の環境も森に近づけたいと思っています。 ワイン醸造においても、この考えが根底にある。 「ワインを野生酵母で発酵するのは、野生酵母で造った方が美味しいからという理由ではなくて、その土地で全てを自給することで初めて、その土地のブドウやワインの文化ができると考えているからです。ルイ・パスツールの発見によってワインは高品質且つ安定的なものになったかもしれないが、同時に優生的な思想を生み出した。ここから離れるべきだと考えています。」 因みに、ルイ・パスツールは「細菌学の父」と言われる偉大な人物で、アルコール発酵が酵母によるものだと発見したり、ワインの腐敗を防ぐため、微生物を殺菌する低温殺菌法を生み出したりした人物で、現代のワイン造りの父と言える人物だ。酒井さんの「優生的な思想から離れるべき」というのは、微生物をすべからく悪と考える思想にNOと言いたいということだろう。 「ワインはその土地を知る最良の方法の一つ」と酒井さんは言う。ヴィンテージ差もあるし、土地と品種の相性もある。造り手の思想も反映されやすい。そして、土地の歴史を感じるものでもある。例えば、赤湯は今でこそデラウェアの生産量は隣の高畠町より少ないが、長く日本一を誇っていた。土地の微生物を含め、栽培環境とデラウェアを始めとするブドウ栽培がマッチしているのだ。 全ては循環する ー ミッシングリンクは動物だった 酒井ワイナリーの近辺には3つの山がある—...

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山形・酒井ワイナリー vol.2

日本ワインコラム |酒井ワイナリー/ Vol.2 / vol.1 はこちら 初めて酒井ワイナリー5代目当主の酒井一平さんを取材したのは約5年前。クロード・レヴィ=ストロースが唱えた構造主義や、同氏の代表作『野生の思考』の中で紹介されている「ブリコラージュ(日曜大工)」という概念を織り交ぜながら、ご自身のワイン造りについて語ってくれた。 今回も、ちょっと小難しい…(すみません!汗)、もとい、哲学的で思索的な印象はそのままに、更なるステージへ足を踏み入れている姿をみせてくれた。他のワイナリーの方々と話をしていると、酒井さんを「超人的」と評されるのをよく耳にする。点在する耕作放棄地を管理するだけでも大変なのに、化学農薬、殺虫剤、化学肥料、除草剤無しでブドウを栽培。そして、東北最古のワイナリーの当主という立場もあってか、様々な役職にも付いている。確固たる信念があるからこその行動だとは思うが、なかなかできないことだ。 今回は、そんな「超人的な」酒井さんの考え方の軸となる部分や現在の様子、そして今後の展望や課題について話を伺った。 ▲ 絵本に出てきそうな愛らしさのワイナリー外観。ワイナリーは赤湯温泉街にあり、そぞろ歩きも楽しめる。 『その土地の普通』を追い求めて 酒井ワイナリーは、1892年創業の東北で最も長い歴史を持つワイナリーだ。2004年に酒井さんが5代目を継いで20年強が経過している。今でこそ、「酒井ワイナリー=自然な造りのワイン」というイメージを持っておられる方が多いと思うが、化学農薬、殺虫剤、化学肥料、除草剤無しでブドウを育て、野生酵母で発酵し、無清澄・無濾過、亜硫酸は極少量ないし無添加でワインに仕上げる、という全行程が確立したのは、5代目になってからである。このスタイルに行きついた背景には何があるのだろうか? ▲ ワイナリーの中に貼られている酒井ワイナリーの歴史。 昔、(ドメーヌ・オヤマダの)小山田さんが主宰していた若手勉強会に参加した際に、自分で醸造したワインを持って行ったことがあるんです。『どうやって造ったの?』と聞かれたので、『普通に造りました』と答えたら、『普通って何?』って聞かれたんです。その時に絶句してしまって。自分の言う『普通』って何なんだろう?と凄く考えるようになりました。そこから、様々な書物を読んだりして自分なりに思考を深めたんです。 こんな禅問答がある勉強会に恐ろしさを感じなくもないが、この出来事をきっかけに、構造主義を始めとする哲学書や自然科学の本を読み漁るというところが、酒井さんが酒井さんたる所以なのかもしれない。 ▲ 深い思考を重ねた上で、ワイン造りに向き合う酒井さん。 『その土地における普通のワインとは何だ?』という問いを突き付けられたと考え、そこから、『その土地における文化的普遍性とは何か?』と考えを深めました。そして、自分の中で辿り着いた答えが、『その地域における自然の有り様』だったのです。自然は一定ではなく、万物流転で変化し続けますが、その中でその土地特有のものが生まれます。 ▲ 酒井さんのインスタより。畑の草刈りをしている時にヨシキリの巣を発見したとのこと。畑には多様な生き物が生息しているのだ。 その上で、ブドウ栽培における酒井さんの考えが続く。 だから、例えば自分の畑は『ブドウ畑』とは思っていません。牧草も植えているし、桜を始めとした色んな木が植わっています。あらゆる生き物の力に頼った畑なのです。畑にブドウと人間しかいないというのは不自然、つまりその土地の農作物ではなくなり、普遍性から離れる。だから除草剤や殺虫剤を用いて、微生物を始めとする生き物を殺すことはしない。たとえ、出来上がるブドウがどんなにきれいでも。畑の環境も森に近づけたいと思っています。 ワイン醸造においても、この考えが根底にある。 「ワインを野生酵母で発酵するのは、野生酵母で造った方が美味しいからという理由ではなくて、その土地で全てを自給することで初めて、その土地のブドウやワインの文化ができると考えているからです。ルイ・パスツールの発見によってワインは高品質且つ安定的なものになったかもしれないが、同時に優生的な思想を生み出した。ここから離れるべきだと考えています。」 因みに、ルイ・パスツールは「細菌学の父」と言われる偉大な人物で、アルコール発酵が酵母によるものだと発見したり、ワインの腐敗を防ぐため、微生物を殺菌する低温殺菌法を生み出したりした人物で、現代のワイン造りの父と言える人物だ。酒井さんの「優生的な思想から離れるべき」というのは、微生物をすべからく悪と考える思想にNOと言いたいということだろう。 「ワインはその土地を知る最良の方法の一つ」と酒井さんは言う。ヴィンテージ差もあるし、土地と品種の相性もある。造り手の思想も反映されやすい。そして、土地の歴史を感じるものでもある。例えば、赤湯は今でこそデラウェアの生産量は隣の高畠町より少ないが、長く日本一を誇っていた。土地の微生物を含め、栽培環境とデラウェアを始めとするブドウ栽培がマッチしているのだ。 全ては循環する ー ミッシングリンクは動物だった 酒井ワイナリーの近辺には3つの山がある—...

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山形・高畠ワイナリー

山形・高畠ワイナリー

日本ワインコラム |高畠ワイナリー 夏休みが始まるこの時期。一年で一番暑いとされる大暑入りが前日に発表されただけあり、インタビュー当日も朝から異常に暑い!!東北地方だから暑さはマシだろうなんて思うのは大きな間違い。山形県は四方を山で囲まれた山形盆地により、熱が溜まりやすい環境にある。そして、1933年に40.8℃という気温を出し、2007年までの74年間、日本の観測史上最高気温を誇った場所でもあるのだ。 そんな山形盆地から南に下り、置賜というエリアにあるのが、今回のインタビューのお相手の所在地、高畠町だ。『まほろば(「周囲を山に囲まれた平地で、住みよい美しいところ」という意味)の里』と呼ばれる町で、平坦部では稲作が、山間部ではブドウなどの果樹が栽培される実り豊かな土地である。しかーし、置賜も盆地なので、夏は暑い!朝からお邪魔したが、一瞬にして滝汗が流れる…。 今回は、そんな暑さをものともしない、高畠ワイナリーの皆さんが目指すワイン造りについて話を聞いてきた。 ▲ 赤い屋根が目を引く建物。 ▲ ワイン樽を使った看板を見るだけで、ワインが飲みたくなる。笑 ワイナリー名に込められた思い 高畠は四方を山々に囲まれた置賜盆地の南部に位置する。山間部を利用する形でブドウ栽培が始まったのは、明治時代。欧州系ブドウが試験栽培されたが、ヨーロッパとの栽培環境の違いや当時の技術力では栽培が難しく、広がりは見せなかった。しかし、明治から大正にかけて始まったデラウェアの栽培が大成功。今では、日本一のデラウェアの産地として知られるほどに成長している。成功のカギとなったのが高畠という栽培環境だ。夏から秋にかけて盆地特有の昼夜の寒暖差が大きく、ブドウ栽培に適している。また、4月から10月のブドウ生育期間の降水量は800-900mmと比較的少ない。更に、海底から隆起した山間部の地層には、海洋生物の化石が多く、ミネラル分も豊富。排水と保水のバランスが良いのだ。 ▲ 羊のようなモコモコした白い雲と水色の空、緑が美しい田んぼ、そして遠目の山々!なんて美しい景色…。 そんな生食用ブドウ栽培の歴史が長い置賜地区で、初の「観光ワイナリー」として1990年に誕生したのが、高畠ワイナリーだ。当時の親会社(南九州コカ・コーラボトリング)が塩尻市で「太田葡萄酒」を運営していたが、住宅街で手狭になったこともあり、酒造免許を移転する形で高畠ワイナリーが誕生したのだ。設立当初は、高畠町産のブドウと海外からの輸入原料を合わせたワイン造りだったが、徐々に地元産原料に軸足を移し、現在は63軒の契約農家を中心にブドウを仕入れる他、自社畑での栽培にも力を入れるようになっている。 ▲ 皆さん、こちらの会社のポロシャツをお召しになっていました!なんかいいな~。 ブドウの栽培環境がワインの味わいに与える影響が大きいのは周知の事実だが、地名を名称に付しているワイナリーの数はそこまで多くはない。そんな中、高畠ワイナリーが「高畠」という地名を明確に打ち出しているのは、「高畠」の認知度を上げたい、ブドウ産地として盛り上げたい、そして観光の拠点としても活性化していきたいという思いの表れ。『「高畠」を世界のワイン産地の一つにする』という大きな使命を掲げ、ワイン造りに向き合っているのだ。 長く続く契約農家との関係 ワイナリーで仕込むブドウの量は年間約460トンと大量だ。もっとも、農業法人としてではなく、醸造を軸に事業がスタートしたという経緯もあり、国産原料のうち、自社ブドウは4%程度で、殆どは契約農家を中心とする買いブドウでワインを仕込んでいる。共存関係が始まったのは、1991年。昔から生食用のブドウ栽培を続ける農家の知見を活かしたいと、「高畠ワインブドウ部会」を立ち上げ、契約農家と共に醸造用ブドウの栽培に取り組んだ。目を付けたのは、デラウェア栽培で昔から培われてきた雨除けハウス(サイドレス)の棚仕立て。側面がオープンになっているので、雨除けしつつ適度な水分ストレスを与えると共に、通気性を確保できる栽培方法で、質の高いブドウが収穫できると分かり、現在も採用している。27名でスタートした契約農家との共存関係は、今では63軒まで増加。長い時間をかけ、信頼関係を築いていることが分かるだろう。 ▲ 高畠ワイナリーHPより。上面のみビニールが張っているのが分かる。 問題が全くないという訳ではない。 2024年は特に雪が多くて、サイドレスハウスが壊れたところも多かった。では、高齢化している農家が大枚をはたいてハウスを修理するかというと、そうとも限らない。これを機に農家を引退する人が多い と営業部長の木村さんが実情を教えてくれた。 農家と二人三脚で歩んできた高畠ワイナリーにとって、農家の高齢化や離農は難しい課題だ。そのような背景も多少影響しているのだろう、高畠ワイナリーでは自社畑を拡充しつつある。次章で詳しく見てみたい。 大量生産と真逆のワイン造りを目指して~自社畑での取り組み 高畠ワイナリーは2012年、大量生産と真逆のワイン造りを掲げ、自分達で手間暇をかけてブドウを栽培し、自社ブドウから質の高いワインを造ろうと「Garagiste Winery(ガレージステ・ワイナリー)構想」を立ち上げた。中でも、上質なボルドースタイルの赤ワイン造りを目指し、準備を進めてきている。畑ではどういった取り組みをしてきたのだろう?原料栽培担当の四釜さんに色々と話を伺った。 ▲ 「好きな作業は、今後を考えながら行う剪定。嫌いな作業は、終わりの見えない誘引。一日で色んな畑に行くことができるので、意外に草刈りも好き」、と話してくれた四釜さん。優しい笑顔と控え目な人柄に温かみを感じる。...

日本ワインコラム

山形・高畠ワイナリー

日本ワインコラム |高畠ワイナリー 夏休みが始まるこの時期。一年で一番暑いとされる大暑入りが前日に発表されただけあり、インタビュー当日も朝から異常に暑い!!東北地方だから暑さはマシだろうなんて思うのは大きな間違い。山形県は四方を山で囲まれた山形盆地により、熱が溜まりやすい環境にある。そして、1933年に40.8℃という気温を出し、2007年までの74年間、日本の観測史上最高気温を誇った場所でもあるのだ。 そんな山形盆地から南に下り、置賜というエリアにあるのが、今回のインタビューのお相手の所在地、高畠町だ。『まほろば(「周囲を山に囲まれた平地で、住みよい美しいところ」という意味)の里』と呼ばれる町で、平坦部では稲作が、山間部ではブドウなどの果樹が栽培される実り豊かな土地である。しかーし、置賜も盆地なので、夏は暑い!朝からお邪魔したが、一瞬にして滝汗が流れる…。 今回は、そんな暑さをものともしない、高畠ワイナリーの皆さんが目指すワイン造りについて話を聞いてきた。 ▲ 赤い屋根が目を引く建物。 ▲ ワイン樽を使った看板を見るだけで、ワインが飲みたくなる。笑 ワイナリー名に込められた思い 高畠は四方を山々に囲まれた置賜盆地の南部に位置する。山間部を利用する形でブドウ栽培が始まったのは、明治時代。欧州系ブドウが試験栽培されたが、ヨーロッパとの栽培環境の違いや当時の技術力では栽培が難しく、広がりは見せなかった。しかし、明治から大正にかけて始まったデラウェアの栽培が大成功。今では、日本一のデラウェアの産地として知られるほどに成長している。成功のカギとなったのが高畠という栽培環境だ。夏から秋にかけて盆地特有の昼夜の寒暖差が大きく、ブドウ栽培に適している。また、4月から10月のブドウ生育期間の降水量は800-900mmと比較的少ない。更に、海底から隆起した山間部の地層には、海洋生物の化石が多く、ミネラル分も豊富。排水と保水のバランスが良いのだ。 ▲ 羊のようなモコモコした白い雲と水色の空、緑が美しい田んぼ、そして遠目の山々!なんて美しい景色…。 そんな生食用ブドウ栽培の歴史が長い置賜地区で、初の「観光ワイナリー」として1990年に誕生したのが、高畠ワイナリーだ。当時の親会社(南九州コカ・コーラボトリング)が塩尻市で「太田葡萄酒」を運営していたが、住宅街で手狭になったこともあり、酒造免許を移転する形で高畠ワイナリーが誕生したのだ。設立当初は、高畠町産のブドウと海外からの輸入原料を合わせたワイン造りだったが、徐々に地元産原料に軸足を移し、現在は63軒の契約農家を中心にブドウを仕入れる他、自社畑での栽培にも力を入れるようになっている。 ▲ 皆さん、こちらの会社のポロシャツをお召しになっていました!なんかいいな~。 ブドウの栽培環境がワインの味わいに与える影響が大きいのは周知の事実だが、地名を名称に付しているワイナリーの数はそこまで多くはない。そんな中、高畠ワイナリーが「高畠」という地名を明確に打ち出しているのは、「高畠」の認知度を上げたい、ブドウ産地として盛り上げたい、そして観光の拠点としても活性化していきたいという思いの表れ。『「高畠」を世界のワイン産地の一つにする』という大きな使命を掲げ、ワイン造りに向き合っているのだ。 長く続く契約農家との関係 ワイナリーで仕込むブドウの量は年間約460トンと大量だ。もっとも、農業法人としてではなく、醸造を軸に事業がスタートしたという経緯もあり、国産原料のうち、自社ブドウは4%程度で、殆どは契約農家を中心とする買いブドウでワインを仕込んでいる。共存関係が始まったのは、1991年。昔から生食用のブドウ栽培を続ける農家の知見を活かしたいと、「高畠ワインブドウ部会」を立ち上げ、契約農家と共に醸造用ブドウの栽培に取り組んだ。目を付けたのは、デラウェア栽培で昔から培われてきた雨除けハウス(サイドレス)の棚仕立て。側面がオープンになっているので、雨除けしつつ適度な水分ストレスを与えると共に、通気性を確保できる栽培方法で、質の高いブドウが収穫できると分かり、現在も採用している。27名でスタートした契約農家との共存関係は、今では63軒まで増加。長い時間をかけ、信頼関係を築いていることが分かるだろう。 ▲ 高畠ワイナリーHPより。上面のみビニールが張っているのが分かる。 問題が全くないという訳ではない。 2024年は特に雪が多くて、サイドレスハウスが壊れたところも多かった。では、高齢化している農家が大枚をはたいてハウスを修理するかというと、そうとも限らない。これを機に農家を引退する人が多い と営業部長の木村さんが実情を教えてくれた。 農家と二人三脚で歩んできた高畠ワイナリーにとって、農家の高齢化や離農は難しい課題だ。そのような背景も多少影響しているのだろう、高畠ワイナリーでは自社畑を拡充しつつある。次章で詳しく見てみたい。 大量生産と真逆のワイン造りを目指して~自社畑での取り組み 高畠ワイナリーは2012年、大量生産と真逆のワイン造りを掲げ、自分達で手間暇をかけてブドウを栽培し、自社ブドウから質の高いワインを造ろうと「Garagiste Winery(ガレージステ・ワイナリー)構想」を立ち上げた。中でも、上質なボルドースタイルの赤ワイン造りを目指し、準備を進めてきている。畑ではどういった取り組みをしてきたのだろう?原料栽培担当の四釜さんに色々と話を伺った。 ▲ 「好きな作業は、今後を考えながら行う剪定。嫌いな作業は、終わりの見えない誘引。一日で色んな畑に行くことができるので、意外に草刈りも好き」、と話してくれた四釜さん。優しい笑顔と控え目な人柄に温かみを感じる。...

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