日本ワインコラム
THE CELLAR ワイン特集
岡山・domaine tetta
日本ワインコラム |domaine tetta 山道をしばらく登っていくと、突如シャープでモダンな建物が現れた。一瞬「こんなところに美術館?」と思ったのだが、視線を奥にやると一面のブドウ畑が目に入り、ワイナリーだと気付かされる。 ここが今回の訪問先、岡山県新見市哲多町にあるdomaine tettaだ。洗練された空間使いと眼下に広がる一面のブドウ畑を目にすると、海外のワイナリーに来たような錯覚に陥ってしまう。 ▲ domaine tettaのホームページより。ワイナリー入り口からしてスタイリッシュ! ▲ ワイナリーのテラスから見える景色。ばーっと広がるブドウ畑に圧倒される。 そして取材のお相手は、代表の高橋さんと2020年から栽培・醸造長を任されている菅野さん。 高橋さんは泰然自若とした語り口の中に、青い炎のような静かな情熱と強靭な精神を感じさせられる方。一方の菅野さんは誠実で真直ぐな眼差しが眩しく、ストイックと言ってもいいほど真面目にワイン造りに向き合っておられるのがひしひしと伝わってくる。この2人が目指す世界はどんなところなのだろうか? ▲ 高橋さん(左)と菅野さん(右)。短時間のインタビューだったが、信頼関係が垣間見られ、いい関係だなぁ~としみじみ思わされた。 ワインありきでスタートしたのではない まず驚いたのが、高橋さんの家業が新見で代々続く建設業であること!全くジャンルの違うビジネスを経営する二刀流なのだ。でも、なぜ建設業からワインの世界に飛び込んだのだろう? ワイナリーの前に広がる8haの広大なブドウ畑。圧巻の景色だが、少し前までは全く違う姿だった。平成初期に県による造成で出来た生食用ブドウの畑だったのだが、経営していた農業法人が撤退し、20年近く耕作放棄地となっていたそう。ビジネスとして成り立たなかったのは仕方ない。しかし、地元の景色が荒れていく姿を見るのは、やはり辛い…。そういう想いもあり、高橋さんは手を挙げたという。自分がここでブドウ栽培しワインを造る、と。 しかし、なぜブドウ栽培をしたことも、ましてやワイン醸造の経験がない高橋さんが、ワイナリーを造ろうと思ったのだろう?・・・その秘密は畑の環境にある。 ▲ 15年ほど前までは耕作放棄地だったとは信じられないほど、整然と並ぶブドウ畑。 畑の秘密①:日本で珍しい石灰質土壌 畑に足を踏み入れると、白い岩や石が畑のあちらこちらにある。新見市は南北に広がり、場所によって土壌環境が異なる。南に位置する哲多町は、石灰岩と赤土で構成される石灰岩土壌を誇る。石灰質はブルゴーニュやシャンパーニュ地方といったワインの銘醸地に多く見られる土壌で、保水と水はけのバランスが良いことで知られている。日本で石灰を採掘できる場所は非常に限られている上、石灰岩土壌でブドウ栽培しているワイナリーは更に限られる。高橋さん曰く「日本では、domaine tetta以外で1、2社程度ではないか」とのこと。これはかなり貴重な武器である。実は、この土壌環境に目を付け、以前、勝沼醸造がこの地でメルロ、シャルドネ、ピノ・ノワールといった欧州系ワイン用ブドウを栽培していたそう。大手も認めるポテンシャルの高い場所なのだ。 ▲ 化石化したサンゴ礁が隆起したカルスト台地にある畑の土壌には、白い岩や石がゴロゴロと転がっている。畑の中には、雨でドリーネ(石灰岩地域で見られるすり鉢状の窪地)が出来て地表が陥没したところもあるそう。 畑の秘密②:ブドウ栽培に適した環境 以前は生食用ブドウを栽培していた場所というだけあり、ブドウ栽培に適した環境だ。 例えば、「晴れの国・おかやま」と称されるだけあり、降雨量の多い日本の中では、比較的晴れの日が多く、日照時間が長い。また、中国山脈を背に背負う場所に位置し、畑が標高400-420mのカルスト台地上にあることから、寒暖差が生まれ、ブドウの色付きも良く、酸落ちがしにくい。更に、南西に向かう斜面の谷から風が吹くことで、ブドウの熱を冷まし、湿気が溜まりにくい環境にある。 ▲...
岡山・domaine tetta
日本ワインコラム |domaine tetta 山道をしばらく登っていくと、突如シャープでモダンな建物が現れた。一瞬「こんなところに美術館?」と思ったのだが、視線を奥にやると一面のブドウ畑が目に入り、ワイナリーだと気付かされる。 ここが今回の訪問先、岡山県新見市哲多町にあるdomaine tettaだ。洗練された空間使いと眼下に広がる一面のブドウ畑を目にすると、海外のワイナリーに来たような錯覚に陥ってしまう。 ▲ domaine tettaのホームページより。ワイナリー入り口からしてスタイリッシュ! ▲ ワイナリーのテラスから見える景色。ばーっと広がるブドウ畑に圧倒される。 そして取材のお相手は、代表の高橋さんと2020年から栽培・醸造長を任されている菅野さん。 高橋さんは泰然自若とした語り口の中に、青い炎のような静かな情熱と強靭な精神を感じさせられる方。一方の菅野さんは誠実で真直ぐな眼差しが眩しく、ストイックと言ってもいいほど真面目にワイン造りに向き合っておられるのがひしひしと伝わってくる。この2人が目指す世界はどんなところなのだろうか? ▲ 高橋さん(左)と菅野さん(右)。短時間のインタビューだったが、信頼関係が垣間見られ、いい関係だなぁ~としみじみ思わされた。 ワインありきでスタートしたのではない まず驚いたのが、高橋さんの家業が新見で代々続く建設業であること!全くジャンルの違うビジネスを経営する二刀流なのだ。でも、なぜ建設業からワインの世界に飛び込んだのだろう? ワイナリーの前に広がる8haの広大なブドウ畑。圧巻の景色だが、少し前までは全く違う姿だった。平成初期に県による造成で出来た生食用ブドウの畑だったのだが、経営していた農業法人が撤退し、20年近く耕作放棄地となっていたそう。ビジネスとして成り立たなかったのは仕方ない。しかし、地元の景色が荒れていく姿を見るのは、やはり辛い…。そういう想いもあり、高橋さんは手を挙げたという。自分がここでブドウ栽培しワインを造る、と。 しかし、なぜブドウ栽培をしたことも、ましてやワイン醸造の経験がない高橋さんが、ワイナリーを造ろうと思ったのだろう?・・・その秘密は畑の環境にある。 ▲ 15年ほど前までは耕作放棄地だったとは信じられないほど、整然と並ぶブドウ畑。 畑の秘密①:日本で珍しい石灰質土壌 畑に足を踏み入れると、白い岩や石が畑のあちらこちらにある。新見市は南北に広がり、場所によって土壌環境が異なる。南に位置する哲多町は、石灰岩と赤土で構成される石灰岩土壌を誇る。石灰質はブルゴーニュやシャンパーニュ地方といったワインの銘醸地に多く見られる土壌で、保水と水はけのバランスが良いことで知られている。日本で石灰を採掘できる場所は非常に限られている上、石灰岩土壌でブドウ栽培しているワイナリーは更に限られる。高橋さん曰く「日本では、domaine tetta以外で1、2社程度ではないか」とのこと。これはかなり貴重な武器である。実は、この土壌環境に目を付け、以前、勝沼醸造がこの地でメルロ、シャルドネ、ピノ・ノワールといった欧州系ワイン用ブドウを栽培していたそう。大手も認めるポテンシャルの高い場所なのだ。 ▲ 化石化したサンゴ礁が隆起したカルスト台地にある畑の土壌には、白い岩や石がゴロゴロと転がっている。畑の中には、雨でドリーネ(石灰岩地域で見られるすり鉢状の窪地)が出来て地表が陥没したところもあるそう。 畑の秘密②:ブドウ栽培に適した環境 以前は生食用ブドウを栽培していた場所というだけあり、ブドウ栽培に適した環境だ。 例えば、「晴れの国・おかやま」と称されるだけあり、降雨量の多い日本の中では、比較的晴れの日が多く、日照時間が長い。また、中国山脈を背に背負う場所に位置し、畑が標高400-420mのカルスト台地上にあることから、寒暖差が生まれ、ブドウの色付きも良く、酸落ちがしにくい。更に、南西に向かう斜面の谷から風が吹くことで、ブドウの熱を冷まし、湿気が溜まりにくい環境にある。 ▲...

岡山・グレープ・シップ
日本ワインコラム |グレープ・シップ 倉敷駅から20分程車を走らせ、岡山県倉敷市船穂町にやってきた。倉敷といえば、昔ながらの白壁の街並みが美しい美観地区や日本初の私立西洋美術館である大原美術館が頭に浮かぶ。そういえば、国産ジーンズの発祥の地でもあったよな…あ、桃やブドウといったフルーツも捨てがたい…なんてことを思いながら到着したのが、今回の取材先のグレープ・シップ。 「晴れの国おかやま」として知られる岡山県の中でも瀬戸内側に位置し、温暖な瀬戸内海式気候に恵まれた場所で、マスカット・オブ・アレキサンドリアという品種を中心に栽培しナチュラルワインを造っているワイナリーだ。代表の松井さんとスタッフの木曽さんに色々とお話を伺った。 ▲ 代表の松井さん。倉敷やマスカット・オブ・アレキサンドリアに対する想い、コミュニティを大事にする姿勢、そしてワイン造りを楽しむ様子に「こんな振る舞いができたらな~」と思わせられる方だ。 ▲ カラッした笑顔と語り口が魅力的な木曽さん。明るく前向きな姿勢に話をするだけで元気をもらえる。 ワイン造りのきっかけ 松井さんは関西でフレンチのシェフとして長く活躍していたが、料理人としてフランスに留学した時にナチュラルワインと出会い、魅了される。その際、現地のワイナリーでブドウ栽培とワイン醸造に携わることに。帰国後もシェフを続けたが、ワインに携わりたいという気持ちが大きくなり、ブドウ栽培から始めようと一大決心されたのだ。 北海道を始めとする日本ワインの有名産地への移住も検討したそうだが、出身地の倉敷はブドウ栽培で有名で、親元にも近い。松井さんは2010年にUターンする形で船穂に移住し、2年間の農業研修を経て、2012年にマスカット・オブ・アレキサンドリアを栽培し始める。 ▲ ワインの香りを確かめる姿からもワインが好き!という気持ちが溢れている。 マスカット・オブ・アレキサンドリアを選んだのは、 「単に好きなだけ」ではあるが、「農家の高齢化で畑が耕作放棄地になったり、シャイン・マスカットの人気で栽培を切り替える農家が増えたりする中、マスカット・オブ・アレキサンドリアが衰退するのを何とかしたいという思いが強くなった。シャイン・マスカットの人気が高くなればなるほど、負けたくないという気持ちも盛り上がった」 と胸の内を明かしてくれた。 マスカット・オブ・アレキサンドリアの全国生産量の9割以上を占める岡山県の中でも、船穂地区は一大産地だ。この地で昔から栽培されてきた愛着あるブドウを残したい。そのためにも美味しいブドウを栽培し、生食の文化を絶やさないと共に、美味しいワインを造ることで文化の裾野を広げよう!そう決心したのだ。 有機JAS認定を受けた畑での取り組み 新規就農ということもあり、纏まった土地を入手するのは難しく、少しずつ畑を拡大してきた松井さん。現在はワイナリー近辺に13の圃場が点在する形でブドウ栽培を行っている。フランスでナチュラルワインに感銘を受けたこともあってだろう、グレープ・シップではワイン用ブドウは有機栽培、醸造の過程でも人為的介入は最小限に抑えられたワイン造りが徹底されている。まずは、畑に足を踏み入れよう。 恵まれた環境の畑 ワイナリーをお邪魔したのは、大雨の翌々日でまだ曇り空が残る空模様ではあったが、雲の切れ目に日差しの強さを感じる。やはりここは「晴れの国おかやま」で、日照時間も日照量も多い場所だ。そしてワイナリーから畑に向かう途中、瀬戸内海を遠目に眺めることができる距離感で、海風を常に感じる場所。ブドウにとって最高の環境だ。 ▲ ワイナリーから畑に向かう途中の一枚。左手奥に瀬戸内海が見える。景色のいい場所だ! 耕作放棄地となったビニールハウスを譲り受けブドウ栽培しているので、雨対策もバッチリだ。また、花崗岩の上に砂質の土がある砂壌土と呼ばれる土壌環境で、水はけもよい。なお、ハウス栽培ではあるが、施肥や灌水も行わないとのことで、適度にブドウにストレスがかかる環境にあり、小粒で凝縮感のある果実が育つ。 有機JAS認定を取得 グレープ・シップでは有機JAS認定を受けた畑でワイン用ブドウを栽培している。有機JASと聞いて「あ、あのマークね」と簡単に捉えてはいけない。認定を受けるためには様々な基準を満たす必要があり、条件をクリアしていることを証明する書類作成、認定を受けるコスト等々、生産者側の負担は少なくない。「いや~大変でした!」と木曽さんはからっと笑っておられたが、その道のりは相当大変だったに違いない。 ▲ 斜面に植わる、ハウス栽培されているブドウ。 ▲ 鳥害もあるそうで、ハウスの側面にはネットをかけて対策を施している。...
岡山・グレープ・シップ
日本ワインコラム |グレープ・シップ 倉敷駅から20分程車を走らせ、岡山県倉敷市船穂町にやってきた。倉敷といえば、昔ながらの白壁の街並みが美しい美観地区や日本初の私立西洋美術館である大原美術館が頭に浮かぶ。そういえば、国産ジーンズの発祥の地でもあったよな…あ、桃やブドウといったフルーツも捨てがたい…なんてことを思いながら到着したのが、今回の取材先のグレープ・シップ。 「晴れの国おかやま」として知られる岡山県の中でも瀬戸内側に位置し、温暖な瀬戸内海式気候に恵まれた場所で、マスカット・オブ・アレキサンドリアという品種を中心に栽培しナチュラルワインを造っているワイナリーだ。代表の松井さんとスタッフの木曽さんに色々とお話を伺った。 ▲ 代表の松井さん。倉敷やマスカット・オブ・アレキサンドリアに対する想い、コミュニティを大事にする姿勢、そしてワイン造りを楽しむ様子に「こんな振る舞いができたらな~」と思わせられる方だ。 ▲ カラッした笑顔と語り口が魅力的な木曽さん。明るく前向きな姿勢に話をするだけで元気をもらえる。 ワイン造りのきっかけ 松井さんは関西でフレンチのシェフとして長く活躍していたが、料理人としてフランスに留学した時にナチュラルワインと出会い、魅了される。その際、現地のワイナリーでブドウ栽培とワイン醸造に携わることに。帰国後もシェフを続けたが、ワインに携わりたいという気持ちが大きくなり、ブドウ栽培から始めようと一大決心されたのだ。 北海道を始めとする日本ワインの有名産地への移住も検討したそうだが、出身地の倉敷はブドウ栽培で有名で、親元にも近い。松井さんは2010年にUターンする形で船穂に移住し、2年間の農業研修を経て、2012年にマスカット・オブ・アレキサンドリアを栽培し始める。 ▲ ワインの香りを確かめる姿からもワインが好き!という気持ちが溢れている。 マスカット・オブ・アレキサンドリアを選んだのは、 「単に好きなだけ」ではあるが、「農家の高齢化で畑が耕作放棄地になったり、シャイン・マスカットの人気で栽培を切り替える農家が増えたりする中、マスカット・オブ・アレキサンドリアが衰退するのを何とかしたいという思いが強くなった。シャイン・マスカットの人気が高くなればなるほど、負けたくないという気持ちも盛り上がった」 と胸の内を明かしてくれた。 マスカット・オブ・アレキサンドリアの全国生産量の9割以上を占める岡山県の中でも、船穂地区は一大産地だ。この地で昔から栽培されてきた愛着あるブドウを残したい。そのためにも美味しいブドウを栽培し、生食の文化を絶やさないと共に、美味しいワインを造ることで文化の裾野を広げよう!そう決心したのだ。 有機JAS認定を受けた畑での取り組み 新規就農ということもあり、纏まった土地を入手するのは難しく、少しずつ畑を拡大してきた松井さん。現在はワイナリー近辺に13の圃場が点在する形でブドウ栽培を行っている。フランスでナチュラルワインに感銘を受けたこともあってだろう、グレープ・シップではワイン用ブドウは有機栽培、醸造の過程でも人為的介入は最小限に抑えられたワイン造りが徹底されている。まずは、畑に足を踏み入れよう。 恵まれた環境の畑 ワイナリーをお邪魔したのは、大雨の翌々日でまだ曇り空が残る空模様ではあったが、雲の切れ目に日差しの強さを感じる。やはりここは「晴れの国おかやま」で、日照時間も日照量も多い場所だ。そしてワイナリーから畑に向かう途中、瀬戸内海を遠目に眺めることができる距離感で、海風を常に感じる場所。ブドウにとって最高の環境だ。 ▲ ワイナリーから畑に向かう途中の一枚。左手奥に瀬戸内海が見える。景色のいい場所だ! 耕作放棄地となったビニールハウスを譲り受けブドウ栽培しているので、雨対策もバッチリだ。また、花崗岩の上に砂質の土がある砂壌土と呼ばれる土壌環境で、水はけもよい。なお、ハウス栽培ではあるが、施肥や灌水も行わないとのことで、適度にブドウにストレスがかかる環境にあり、小粒で凝縮感のある果実が育つ。 有機JAS認定を取得 グレープ・シップでは有機JAS認定を受けた畑でワイン用ブドウを栽培している。有機JASと聞いて「あ、あのマークね」と簡単に捉えてはいけない。認定を受けるためには様々な基準を満たす必要があり、条件をクリアしていることを証明する書類作成、認定を受けるコスト等々、生産者側の負担は少なくない。「いや~大変でした!」と木曽さんはからっと笑っておられたが、その道のりは相当大変だったに違いない。 ▲ 斜面に植わる、ハウス栽培されているブドウ。 ▲ 鳥害もあるそうで、ハウスの側面にはネットをかけて対策を施している。...

長野・リュードヴァン
日本ワインコラム |リュードヴァン 北陸新幹線上田駅から車で20分強。長野県東御市にある一本の「通り」に来た。今回訪れたワイナリー、Rue de Vin(リュードヴァン:ワイン通り)だ。県内初のワイン特区として認定を受けた東御市の、ワイン特区第1号ワイナリーでもある。 ▲ 青がテーマカラーのリュードヴァン。ワイナリーの前にある青いルノーがワイナリーの目印にもなっている。 2006年にこの地でブドウ作りを始めたのが、今回取材させて頂いた代表取締役の小山さん。東御市は、今でこそ沢山の個性豊かなワイナリーが集まるエリアだが、小山さんが移住した際は、ワイナリーが1社存在するのみ。その中でポテンシャルを見出した小山さんには、叶えたい夢とそれを実現するためのビジネスプランがあった。 事業としてのワイン造り 僕のワイン造りは趣味ではなく、事業です。事業だから利益を出して、持続可能な形で経営しているのです。 強い信念と自信を感じさせる言葉だ。 趣味がダメだと言っている訳ではない。ご自身も車やバイクといった乗り物が大好きで、輸入工具を購入するなどお金を費やして楽しんでいるそうだ。けれども、ワイン造りは趣味と一線を画して向き合っている。 ▲ 乗り物好きの一面が垣間見られる、カフェに飾ってあるオブジェ。 ワイナリーを始めるきっかけで多いのが、自分が思い描くワインを造りたいという思いだ。しかし、小山さんの出発点は少し違う。 「もともとはワイン愛好家。ただ、自分がワインを飲み続ける中で、日本人が日本で海外のワインを楽しんでいるという暮らしが、所謂ワイン生産地の暮らしと大きく違うということに気付いたのです。例えば、南欧を舞台にした映画で観る世界は、大きなテーブルに家族や友人が集まって、その土地のワインを飲みながら食事を楽しむ姿。こういう、ワインと共にある幸せな暮らしがしたかった。」 この気持ち、すごくよく分かる。大皿に盛られた色とりどりの食事を大人数で分け合いながら食べる。大声で話し、笑い、時に歌い、踊りながら…ワイン片手に笑顔。誰もが幸せを感じる瞬間だ。大抵の人は、ここで出てくるワインが輸入ものでも、「ま、いっか…」となる。しかし小山さんは気付いたのだ。その土地で作られたものが食卓に並ばない限り、一過性のイベントでしかない、と。 ワインブームでは流行で終わってしまう。流行り廃りではなく、事業として継続されれば、いずれ文化として根付いてくる。そういう大きな絵を描いているのが小山さんなのだ。 転んでも立ち上がればいい 初心を忘れず立ち上がる 事業としてのワイン造りをするのであれば、定年前くらいの歳で工場長レベルになっていないといけない。となると、30歳前にはワイン造りをスタートしなければ間に合わない。そう考えた小山さんは勤めていた大手電機メーカーを29歳で退職。進む先に選んだのは、山梨にあったワイナリー。海外に飛び込むというのも一つの手ではあったが、語学のバリアもあるし、例え語学ができるようになったとしても醸造学を学んでいなければ相手にもされないだろうと考えての決断だった。 ▲ 静かに、熱く語る小山さん。その視線は常に何年も先の景色を見据えている。 そのワイナリーには5年間在籍した。結論から言えば、「ワインと共に幸せに暮らしたい」という夢から大きく乖離した職場環境で苦しかった。が、今振り返れば、その中でも学びもあった。 任された仕事は、余剰ワインから酢を造るというプロジェクトの研究開発。ワインを造りたくて入社したのに、酢を造ることになり心が折れそうになったが、製品化にまでこぎつけた。この酢を使った清涼飲料を造る過程で、ハーブやスパイスを調合する過程を繰り返したそうで、リュードヴァンで製品化している「シードル・エピス」にこの経験が活かされている。何を組み合わせたらどういう味になるのか、即座に判断できるそうだ。 また、当時、農家から巨峰を仕入れるタイミングに変化を加え、熟度の異なる巨峰の仕上がりの差を研究した。その経験があるからこそ、現在、リュードヴァンで巨峰スパークリングを造る際には、契約農家にどのタイミングで収穫してほしいか希望を伝えることで、フォクシー・フレーヴァ―(ラブルスカ種に存在する、グレープジュースやキャンディのような特徴的な香り)のない仕上がりになっている。 ▲ 棚下段の左半分に飾ってあるのがシードル・エピス(青)とシードル・エピス・ルビー(ピンク)。サイズはフルボトルの750mlと地ビールなどに使用される飲みきりの330mlの2種類で展開中。そして、下段右端にあるのが、巨峰スパークリング。鮮やかなルビー色が美しい。 転んだからこそ分かる進むべき道 仕事だからと腹をくくって山梨のワイナリーで働き続けるというオプションもあったが、小山さんには「ワインと共に幸せに暮らしたい」という譲れない夢がある。つてを必至に手繰り寄せて、長野県安曇野市にあるワイナリーへ転職することに。...
長野・リュードヴァン
日本ワインコラム |リュードヴァン 北陸新幹線上田駅から車で20分強。長野県東御市にある一本の「通り」に来た。今回訪れたワイナリー、Rue de Vin(リュードヴァン:ワイン通り)だ。県内初のワイン特区として認定を受けた東御市の、ワイン特区第1号ワイナリーでもある。 ▲ 青がテーマカラーのリュードヴァン。ワイナリーの前にある青いルノーがワイナリーの目印にもなっている。 2006年にこの地でブドウ作りを始めたのが、今回取材させて頂いた代表取締役の小山さん。東御市は、今でこそ沢山の個性豊かなワイナリーが集まるエリアだが、小山さんが移住した際は、ワイナリーが1社存在するのみ。その中でポテンシャルを見出した小山さんには、叶えたい夢とそれを実現するためのビジネスプランがあった。 事業としてのワイン造り 僕のワイン造りは趣味ではなく、事業です。事業だから利益を出して、持続可能な形で経営しているのです。 強い信念と自信を感じさせる言葉だ。 趣味がダメだと言っている訳ではない。ご自身も車やバイクといった乗り物が大好きで、輸入工具を購入するなどお金を費やして楽しんでいるそうだ。けれども、ワイン造りは趣味と一線を画して向き合っている。 ▲ 乗り物好きの一面が垣間見られる、カフェに飾ってあるオブジェ。 ワイナリーを始めるきっかけで多いのが、自分が思い描くワインを造りたいという思いだ。しかし、小山さんの出発点は少し違う。 「もともとはワイン愛好家。ただ、自分がワインを飲み続ける中で、日本人が日本で海外のワインを楽しんでいるという暮らしが、所謂ワイン生産地の暮らしと大きく違うということに気付いたのです。例えば、南欧を舞台にした映画で観る世界は、大きなテーブルに家族や友人が集まって、その土地のワインを飲みながら食事を楽しむ姿。こういう、ワインと共にある幸せな暮らしがしたかった。」 この気持ち、すごくよく分かる。大皿に盛られた色とりどりの食事を大人数で分け合いながら食べる。大声で話し、笑い、時に歌い、踊りながら…ワイン片手に笑顔。誰もが幸せを感じる瞬間だ。大抵の人は、ここで出てくるワインが輸入ものでも、「ま、いっか…」となる。しかし小山さんは気付いたのだ。その土地で作られたものが食卓に並ばない限り、一過性のイベントでしかない、と。 ワインブームでは流行で終わってしまう。流行り廃りではなく、事業として継続されれば、いずれ文化として根付いてくる。そういう大きな絵を描いているのが小山さんなのだ。 転んでも立ち上がればいい 初心を忘れず立ち上がる 事業としてのワイン造りをするのであれば、定年前くらいの歳で工場長レベルになっていないといけない。となると、30歳前にはワイン造りをスタートしなければ間に合わない。そう考えた小山さんは勤めていた大手電機メーカーを29歳で退職。進む先に選んだのは、山梨にあったワイナリー。海外に飛び込むというのも一つの手ではあったが、語学のバリアもあるし、例え語学ができるようになったとしても醸造学を学んでいなければ相手にもされないだろうと考えての決断だった。 ▲ 静かに、熱く語る小山さん。その視線は常に何年も先の景色を見据えている。 そのワイナリーには5年間在籍した。結論から言えば、「ワインと共に幸せに暮らしたい」という夢から大きく乖離した職場環境で苦しかった。が、今振り返れば、その中でも学びもあった。 任された仕事は、余剰ワインから酢を造るというプロジェクトの研究開発。ワインを造りたくて入社したのに、酢を造ることになり心が折れそうになったが、製品化にまでこぎつけた。この酢を使った清涼飲料を造る過程で、ハーブやスパイスを調合する過程を繰り返したそうで、リュードヴァンで製品化している「シードル・エピス」にこの経験が活かされている。何を組み合わせたらどういう味になるのか、即座に判断できるそうだ。 また、当時、農家から巨峰を仕入れるタイミングに変化を加え、熟度の異なる巨峰の仕上がりの差を研究した。その経験があるからこそ、現在、リュードヴァンで巨峰スパークリングを造る際には、契約農家にどのタイミングで収穫してほしいか希望を伝えることで、フォクシー・フレーヴァ―(ラブルスカ種に存在する、グレープジュースやキャンディのような特徴的な香り)のない仕上がりになっている。 ▲ 棚下段の左半分に飾ってあるのがシードル・エピス(青)とシードル・エピス・ルビー(ピンク)。サイズはフルボトルの750mlと地ビールなどに使用される飲みきりの330mlの2種類で展開中。そして、下段右端にあるのが、巨峰スパークリング。鮮やかなルビー色が美しい。 転んだからこそ分かる進むべき道 仕事だからと腹をくくって山梨のワイナリーで働き続けるというオプションもあったが、小山さんには「ワインと共に幸せに暮らしたい」という譲れない夢がある。つてを必至に手繰り寄せて、長野県安曇野市にあるワイナリーへ転職することに。...

長野・ソラリスシリーズ(マンズワイン最高峰のプレミアムワイン)
日本ワインコラム | ソラリスシリーズ(マンズワイン最高峰のプレミアムワイン) / vol.2 はこちら 「Solaris(ソラリス)」というワインを聞いたことがあるだろうか?ワイン大国フランスを含め、各国首脳陣を日本でお迎えする公式晩餐会などで頻繁に用いられているワインで、ニュースで耳にしたことがある方もおられるかもしれない。個人的にも、数か月前に何気なくソラリスの赤ワインを口にした際、果実味の凝縮感に驚き、思わず「美味しい」という言葉が出たこともあり、気になっていたシリーズでもある。 今回お話をお伺いしたのは、小諸ワイナリーに勤務する営業部の島田さん。日本が自信を持って世界に誇るワインが、長野県東信地区で造られている背景には何があるのか?その秘密を色々と解き明かしてくれた。 ▲ ソラリスシリーズに魅せられて移住を決めた島田さん。ワイン愛、ソラリス愛、チーム愛が溢れる方だ。 ソラリスシリーズの誕生までの道のり 世界と肩を並べるワインは一朝一夕にはできない。そこには多くの偶然と努力があるのだ。挨拶早々に、島田さんは滔々と説明をしてくれた。 出発点:近隣農家で見つけたブドウ ソラリスシリーズを手掛けるマンズワインは、1962年にキッコーマンの子会社として設立された。翌年には勝沼ワイナリーを開設しワインを仕込み始めた歴史のある会社だ。実は日本デルモンテもキッコーマンの子会社。1967年、当時のマンズワイン社長が長野市善光寺付近のデルモンテ用のトマト畑を視察した際、近隣農家の軒先にブドウを発見。「善光寺ブドウ(龍眼)」と呼ばれる品種で、調べてみると高品質なワインが造れることが分かった。そこで、1971年に上田市塩田地区で契約栽培を開始。 その後、上田市から小諸市にいたる千曲川ワインバレーに契約栽培地を増やし、1973年に小諸ワイナリーを開設したのだ。このワイナリーこそが、現在、ソラリスシリーズが造られている醸造所である。 ▲(左)マンズワインのHPより。善光寺ブドウ(龍眼)の外観。品のいい紫色の果皮が美しい。 (中央・右)マンズワインのHPより。小諸ワイナリーには、樹齢100年を超える、記念すべき龍眼の原木が移植されている。 転換期:欧州系品種への切り替え 龍眼からワインを造るために建てられた小諸ワイナリーに転機が訪れたのが1988年。収穫前の10月に小諸で季節外れの大規模な雪害に見舞われ、契約農家が育てる龍眼の棚が倒壊したのだ。原料となるブドウがなくなるという緊急事態だったが、新たな一歩を踏み出すきっかけにもなった。 ▲ 垣根仕立てのブドウ樹の上にマンズ・レインカットの骨組みがあるのが分かるだろう。この骨組みにビニールシートがかけられ、雨除けになるのだ。 実は、小諸ワイナリー敷地内では1981年からシャルドネを垣根仕立てで試験栽培しており、欧州系品種の栽培が可能だと踏んでいた。また、このシャルドネの試験栽培場では、降雨量の多い日本でのワイン用ブドウ栽培に立ち向かうべく、後述する「マンズ・レインカット栽培法」の研究も行っており、この方法で栽培していたブドウは、雪害の被害を免れたそうだ。 ピンチはチャンス!倒壊した棚仕立ての龍眼は、マンズ・レインカット栽培法による垣根仕立ての欧州系品種に植え替えることに。まずシャルドネ、メルロ、信濃リースリングの3品種が植えられ、その後ソーヴィニヨン・ブランも加わった。 飛躍期:手応えを感じた東山の畑の入手 ▲ マンズワインHPより。小諸ワイナリーや東山の畑の位置が分かる。 千曲川ワインバレー一帯は、日照時間が長い、ブドウ栽培期間の降雨量が少ない、土壌の水はけがいい、内陸地ゆえに昼夜の寒暖差があることから、ワイン用ブドウ栽培に適していると言われている。しかし、 同じ千曲川ワインバレー内でも、環境は様々 と島田さんは言う。「小諸市は標高650mから700mくらいの場所にある冷涼な環境。一方、上田市東山は標高550m程で日照量も強く、地元では暑い場所と言われている」とのことだ。 冷涼な小諸市にあるワイナリー内の自社農園や契約農家での畑には、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン、信濃リースリングやメルロといった品種が栽培されてきたが、晩熟タイプのカベルネ・ソーヴィニヨンの栽培は難しいと判断していた。しかし、カベルネ・ソーヴィニヨンを使ったワイン造りを諦められない。検討を続け、1994年、マンズワインは上田市東山の畑にカベルネ・ソーヴィニヨンの植付けを始めた。元々は松林だった山を削った造成地で南向きのなだらかな斜面。農地履歴のない土壌なので、余分な肥料を必要としないブドウ栽培に向いていた。...
長野・ソラリスシリーズ(マンズワイン最高峰のプレミアムワイン)
日本ワインコラム | ソラリスシリーズ(マンズワイン最高峰のプレミアムワイン) / vol.2 はこちら 「Solaris(ソラリス)」というワインを聞いたことがあるだろうか?ワイン大国フランスを含め、各国首脳陣を日本でお迎えする公式晩餐会などで頻繁に用いられているワインで、ニュースで耳にしたことがある方もおられるかもしれない。個人的にも、数か月前に何気なくソラリスの赤ワインを口にした際、果実味の凝縮感に驚き、思わず「美味しい」という言葉が出たこともあり、気になっていたシリーズでもある。 今回お話をお伺いしたのは、小諸ワイナリーに勤務する営業部の島田さん。日本が自信を持って世界に誇るワインが、長野県東信地区で造られている背景には何があるのか?その秘密を色々と解き明かしてくれた。 ▲ ソラリスシリーズに魅せられて移住を決めた島田さん。ワイン愛、ソラリス愛、チーム愛が溢れる方だ。 ソラリスシリーズの誕生までの道のり 世界と肩を並べるワインは一朝一夕にはできない。そこには多くの偶然と努力があるのだ。挨拶早々に、島田さんは滔々と説明をしてくれた。 出発点:近隣農家で見つけたブドウ ソラリスシリーズを手掛けるマンズワインは、1962年にキッコーマンの子会社として設立された。翌年には勝沼ワイナリーを開設しワインを仕込み始めた歴史のある会社だ。実は日本デルモンテもキッコーマンの子会社。1967年、当時のマンズワイン社長が長野市善光寺付近のデルモンテ用のトマト畑を視察した際、近隣農家の軒先にブドウを発見。「善光寺ブドウ(龍眼)」と呼ばれる品種で、調べてみると高品質なワインが造れることが分かった。そこで、1971年に上田市塩田地区で契約栽培を開始。 その後、上田市から小諸市にいたる千曲川ワインバレーに契約栽培地を増やし、1973年に小諸ワイナリーを開設したのだ。このワイナリーこそが、現在、ソラリスシリーズが造られている醸造所である。 ▲(左)マンズワインのHPより。善光寺ブドウ(龍眼)の外観。品のいい紫色の果皮が美しい。 (中央・右)マンズワインのHPより。小諸ワイナリーには、樹齢100年を超える、記念すべき龍眼の原木が移植されている。 転換期:欧州系品種への切り替え 龍眼からワインを造るために建てられた小諸ワイナリーに転機が訪れたのが1988年。収穫前の10月に小諸で季節外れの大規模な雪害に見舞われ、契約農家が育てる龍眼の棚が倒壊したのだ。原料となるブドウがなくなるという緊急事態だったが、新たな一歩を踏み出すきっかけにもなった。 ▲ 垣根仕立てのブドウ樹の上にマンズ・レインカットの骨組みがあるのが分かるだろう。この骨組みにビニールシートがかけられ、雨除けになるのだ。 実は、小諸ワイナリー敷地内では1981年からシャルドネを垣根仕立てで試験栽培しており、欧州系品種の栽培が可能だと踏んでいた。また、このシャルドネの試験栽培場では、降雨量の多い日本でのワイン用ブドウ栽培に立ち向かうべく、後述する「マンズ・レインカット栽培法」の研究も行っており、この方法で栽培していたブドウは、雪害の被害を免れたそうだ。 ピンチはチャンス!倒壊した棚仕立ての龍眼は、マンズ・レインカット栽培法による垣根仕立ての欧州系品種に植え替えることに。まずシャルドネ、メルロ、信濃リースリングの3品種が植えられ、その後ソーヴィニヨン・ブランも加わった。 飛躍期:手応えを感じた東山の畑の入手 ▲ マンズワインHPより。小諸ワイナリーや東山の畑の位置が分かる。 千曲川ワインバレー一帯は、日照時間が長い、ブドウ栽培期間の降雨量が少ない、土壌の水はけがいい、内陸地ゆえに昼夜の寒暖差があることから、ワイン用ブドウ栽培に適していると言われている。しかし、 同じ千曲川ワインバレー内でも、環境は様々 と島田さんは言う。「小諸市は標高650mから700mくらいの場所にある冷涼な環境。一方、上田市東山は標高550m程で日照量も強く、地元では暑い場所と言われている」とのことだ。 冷涼な小諸市にあるワイナリー内の自社農園や契約農家での畑には、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン、信濃リースリングやメルロといった品種が栽培されてきたが、晩熟タイプのカベルネ・ソーヴィニヨンの栽培は難しいと判断していた。しかし、カベルネ・ソーヴィニヨンを使ったワイン造りを諦められない。検討を続け、1994年、マンズワインは上田市東山の畑にカベルネ・ソーヴィニヨンの植付けを始めた。元々は松林だった山を削った造成地で南向きのなだらかな斜面。農地履歴のない土壌なので、余分な肥料を必要としないブドウ栽培に向いていた。...

長野・ヴェンティクワットロ
日本ワインコラム | ヴェンティクワットロ 長野県須坂市にあるブドウ畑にやってきた。2019年4月に東京から移住してきた西舘さんが管理する畑だ。 屋号はVENTIQUATTRO(ヴェンティクワットロ)。イタリア語で数字の「24」を意味する。イタリアワイン好き×「24」時間(=1日)を大切に、楽しくワインを、という想い×ご自身の苗字である西舘の西(「24」)の掛け合わせにより、この名称を選んだそう。 ▲ 取材の後日、西舘さんから頂いた畑の様子。青空と遠目に見える山々、そして畑の緑が美しい。実は、訪問日は前日から続く黄砂の影響ですっきりしない空模様且つ強風…取材中にメモ用紙が強風で吹き飛ばされ、畑中を皆で駆け回って回収するという珍プレーが…お騒がせ致しました(汗)。 西舘さんがこの地でブドウ栽培を始めるまでに、いくつもの人との出会いがある。ある出会いが次の出会いに繋がり、何かに導かれるように今、この地に立っているのだ。 動かないと始まらない 西舘さんは長い間、東京の出版業界にいた。20代の頃からワイン好きだったが、仕事とは別物として捉えてきたのだ。顧客訪問中のある時、御徒町の雑居ビルにワイナリーを発見。「こんな街中にワイナリーが⁉」と驚き、色々と話を聞く中で、これまでずっと蓋をしてきた「自分でワインを造ってみたい」という淡い夢が現実味を帯びてきた。 さて、ここからが西舘さんの凄いところ。可能性を感じたら、とにかく動く。そして自分の目で確かめる。この凄さをご理解頂くために、西舘さんの足取りを紹介したい。 ▲ 今回の取材相手の西舘さん。目じりが下がり気味の優しい笑顔をまとい、いい感じに肩の力が抜けた様子で周りの農家の方と会話をする姿が印象的。回遊魚のように動き回っているとは信じられない物腰だ。 まず、色々調べた中で話を聞いてみたいと思った新潟県のワイナリーを訪問する。そこでの研修内容は自分の希望条件と合わなかったが、先方から長野県が主催する「ワイン生産アカデミー」を受講してみてはどうかとアドバイスがあった。調べてみると受付終了の2週間前で、即座に申し込む。因みに、講座の開催場所は、現在西舘さんの畑がある須坂市だった。振り返ってみると縁を感じるセッティングだ。 受講を終え、近くのワインバーにふらっと入り、グラスワインとして提供されたイタリア品種のアリアニコを使った赤ワインにビビっと来た。実は、以前、とあるイタリアンでアリアニコを使ったイタリア・カンパーニャ州の赤ワイン「タウラージ」を飲んで強く感銘を受けていた。「やるならアリアニコだ」という想いが強くなった西舘さん。 「『佐藤さん』が長野で『アリアニコ』を栽培している」というお店の情報を元に、翌日その『佐藤さん』に会いにいくことに。『佐藤さん』はよくある苗字だが、『アリアニコ』との掛け合わせで近隣のワイナリーに聞いて、辿り着いたのが佐藤果樹園の佐藤和之さん。2006年に「高山村ワインぶどう研究会」を立ち上げ、副会長としてワイン用ブドウの品質の向上、新品種の試験栽培等を担ってきた方だ。西舘さんが佐藤さんにご自分の想いを吐露したところ、佐藤さんを師として研修をスタートすることに。そして、東京に戻った西舘さんは仕事を辞め、須坂への移住を決めるのだ。 猪突猛進と言えばそうだし、そういう運命だったと言えばそうだろう。だが、可能性を見出す洞察力、即座に動く行動力、次のステップに繋げる向上心が揃っているからこそ実現したのだろう。 研修が始まる前からフルスロットル 恩師との出会い 2018年夏に辞表を提出し、須坂市に移住したのは2019年4月。移住に向けての準備で忙しいはずだが、その間も西舘さんはとにかく動く。 2018年8月に開催された「高山村ワインぶどう研究会」の研修に参加した際、角藤農園の佐藤宗一さんに出会い、意気投合。国際ワインコンクールでの受賞歴も多いカリスマ栽培家とも言われている方だ。 ▲ ヴェンティクワットロのホームページにあるnoteより。角藤農園で収穫のお手伝いをしている際の様子。 「金は払えないが飯は出す」と言われ、数週間、ブドウの収穫のお手伝いに参加することに。本格的な研修が始まる前に、収穫以外にも剪定や接ぎ木といった作業を教えてもらえたことは有難かった。そして毎晩、ワインを飲みながらワイン談義を重ねたそうだ。この経験は何にも代えられない。この話を披露して下さった西舘さんの目は下がりっぱなし。子犬がしっぽをブンブン振って母犬に向かっていくように、嬉しさが滲み出ている。 イタリアにも行く! 大きな影響を受けたワイン、タウラージが生まれる場所も見に行きたいと考えた西舘さん。2018年10月にイタリア・カンパーニャ州まで飛んだ。州都ナポリから少し内陸に入るアヴェッリーノ県では、アリアニコを使った赤ワインのタウラージのみならず、グレコやフィァーノといった白ワインも有名だ。 西舘さんは翻訳アプリを駆使しつつワイナリーやブドウ畑を見学。地元の人達が温かく迎え入れてくれ、毎晩ご飯を共にしたそう。 こういう人の温かさも含めて、アリアニコは自分にとって特別な存在 と西舘さんは言う。この思いは変わらないばかりか更に強くなり、2020年2月にも再訪したそう。 ▲...
長野・ヴェンティクワットロ
日本ワインコラム | ヴェンティクワットロ 長野県須坂市にあるブドウ畑にやってきた。2019年4月に東京から移住してきた西舘さんが管理する畑だ。 屋号はVENTIQUATTRO(ヴェンティクワットロ)。イタリア語で数字の「24」を意味する。イタリアワイン好き×「24」時間(=1日)を大切に、楽しくワインを、という想い×ご自身の苗字である西舘の西(「24」)の掛け合わせにより、この名称を選んだそう。 ▲ 取材の後日、西舘さんから頂いた畑の様子。青空と遠目に見える山々、そして畑の緑が美しい。実は、訪問日は前日から続く黄砂の影響ですっきりしない空模様且つ強風…取材中にメモ用紙が強風で吹き飛ばされ、畑中を皆で駆け回って回収するという珍プレーが…お騒がせ致しました(汗)。 西舘さんがこの地でブドウ栽培を始めるまでに、いくつもの人との出会いがある。ある出会いが次の出会いに繋がり、何かに導かれるように今、この地に立っているのだ。 動かないと始まらない 西舘さんは長い間、東京の出版業界にいた。20代の頃からワイン好きだったが、仕事とは別物として捉えてきたのだ。顧客訪問中のある時、御徒町の雑居ビルにワイナリーを発見。「こんな街中にワイナリーが⁉」と驚き、色々と話を聞く中で、これまでずっと蓋をしてきた「自分でワインを造ってみたい」という淡い夢が現実味を帯びてきた。 さて、ここからが西舘さんの凄いところ。可能性を感じたら、とにかく動く。そして自分の目で確かめる。この凄さをご理解頂くために、西舘さんの足取りを紹介したい。 ▲ 今回の取材相手の西舘さん。目じりが下がり気味の優しい笑顔をまとい、いい感じに肩の力が抜けた様子で周りの農家の方と会話をする姿が印象的。回遊魚のように動き回っているとは信じられない物腰だ。 まず、色々調べた中で話を聞いてみたいと思った新潟県のワイナリーを訪問する。そこでの研修内容は自分の希望条件と合わなかったが、先方から長野県が主催する「ワイン生産アカデミー」を受講してみてはどうかとアドバイスがあった。調べてみると受付終了の2週間前で、即座に申し込む。因みに、講座の開催場所は、現在西舘さんの畑がある須坂市だった。振り返ってみると縁を感じるセッティングだ。 受講を終え、近くのワインバーにふらっと入り、グラスワインとして提供されたイタリア品種のアリアニコを使った赤ワインにビビっと来た。実は、以前、とあるイタリアンでアリアニコを使ったイタリア・カンパーニャ州の赤ワイン「タウラージ」を飲んで強く感銘を受けていた。「やるならアリアニコだ」という想いが強くなった西舘さん。 「『佐藤さん』が長野で『アリアニコ』を栽培している」というお店の情報を元に、翌日その『佐藤さん』に会いにいくことに。『佐藤さん』はよくある苗字だが、『アリアニコ』との掛け合わせで近隣のワイナリーに聞いて、辿り着いたのが佐藤果樹園の佐藤和之さん。2006年に「高山村ワインぶどう研究会」を立ち上げ、副会長としてワイン用ブドウの品質の向上、新品種の試験栽培等を担ってきた方だ。西舘さんが佐藤さんにご自分の想いを吐露したところ、佐藤さんを師として研修をスタートすることに。そして、東京に戻った西舘さんは仕事を辞め、須坂への移住を決めるのだ。 猪突猛進と言えばそうだし、そういう運命だったと言えばそうだろう。だが、可能性を見出す洞察力、即座に動く行動力、次のステップに繋げる向上心が揃っているからこそ実現したのだろう。 研修が始まる前からフルスロットル 恩師との出会い 2018年夏に辞表を提出し、須坂市に移住したのは2019年4月。移住に向けての準備で忙しいはずだが、その間も西舘さんはとにかく動く。 2018年8月に開催された「高山村ワインぶどう研究会」の研修に参加した際、角藤農園の佐藤宗一さんに出会い、意気投合。国際ワインコンクールでの受賞歴も多いカリスマ栽培家とも言われている方だ。 ▲ ヴェンティクワットロのホームページにあるnoteより。角藤農園で収穫のお手伝いをしている際の様子。 「金は払えないが飯は出す」と言われ、数週間、ブドウの収穫のお手伝いに参加することに。本格的な研修が始まる前に、収穫以外にも剪定や接ぎ木といった作業を教えてもらえたことは有難かった。そして毎晩、ワインを飲みながらワイン談義を重ねたそうだ。この経験は何にも代えられない。この話を披露して下さった西舘さんの目は下がりっぱなし。子犬がしっぽをブンブン振って母犬に向かっていくように、嬉しさが滲み出ている。 イタリアにも行く! 大きな影響を受けたワイン、タウラージが生まれる場所も見に行きたいと考えた西舘さん。2018年10月にイタリア・カンパーニャ州まで飛んだ。州都ナポリから少し内陸に入るアヴェッリーノ県では、アリアニコを使った赤ワインのタウラージのみならず、グレコやフィァーノといった白ワインも有名だ。 西舘さんは翻訳アプリを駆使しつつワイナリーやブドウ畑を見学。地元の人達が温かく迎え入れてくれ、毎晩ご飯を共にしたそう。 こういう人の温かさも含めて、アリアニコは自分にとって特別な存在 と西舘さんは言う。この思いは変わらないばかりか更に強くなり、2020年2月にも再訪したそう。 ▲...

長野・北澤ぶどう園
日本ワインコラム | 北澤ぶどう園 「あの人、造ったワイン全部自分で飲んじゃうからな~。笑」 「北澤さんのブドウ栽培技術は本当にすごいですよ!!それに、誰に対しても分け隔てなく丁寧に教えてくれるんです。尊敬しかないです!」 今回、北澤ぶどう園にお邪魔するという話をした際、いろんな方が親しみや尊敬の眼差しを向けつつ、どちらかのセリフを口にした。同じ人のことを指しているとは思えない…が、両立してしまうのが今回の取材相手、長野県千曲市にある北澤ぶどう園の3代目、北澤文康さんの魅力だ。 ▲ 北澤ぶどう園の段々畑になっているブドウ畑の様子。 家業を継ぐつもりはなかったが性に合っていた 北澤さんが就農したのは今から約20年前。元々は家業を継ぐつもりはなく、工業高等専門学校を出て3年程別の仕事をしていたが、畑を手伝ううちに面白くなって就農したそうだ。 ▲ 「人の下で働くのは好きでないから自営が合っている」と笑う北澤さん。 北澤ぶどう園は千曲市内に位置し、長野市の善光寺と松本市を結ぶ善光寺西街道の桑原宿にある。元々は桑栽培が盛んで、その後リンゴ栽培が主流になった地域だ。そんなリンゴ全盛期の時代に、巨峰栽培を始めたのが初代。そして、2代目は周囲が巨峰ばかり育てていた30数年前に、ワイン用ブドウの栽培を始めた。 北澤家はブドウ栽培のサラブレッドであり、開拓精神に溢れたファミリーなのだ。好奇心旺盛かつ高い技術力を受け継ぐファミリーだからだろうか、現在育てている生食用ブドウの品種は30種類以上!そんな北澤さんが3代目を引き継いだのは2013年。先代の不慮の事故によるものだった。就農してから10年程経っていたとは言え、不安もあったのではないかと思うが、北澤家の開拓精神を受け継ぎ、ある挑戦に取り組んでいる。 ワイン造りだ。 なぜワイン造りなのか 自分はお酒が好きだし、せっかくワイン用ブドウを栽培しているのだから、自分で育てたブドウでワインを造ってみたかった。それに、ワインとして仕込めば保存ができ、一年中、何年後でも飲んで楽しむことができる と目を輝かせた北澤さん。お酒好きな北澤さんが、ワイン造りに目覚めるのは、時間の問題だったのだろう。しかし、理由はそれだけではなさそうだ。 ▲ 畑と近くに位置する事務所入り口。バスケットプレスや樽が外に並ぶ。 「栽培の手間がかからないワイン用ブドウ品種を開拓できれば、高齢化や耕作放棄地といった問題解決にも繋がるかもしれない。利己の心をうまく使って、他者に役立つことができれば嬉しい。」とポロリと仰る。 この感じ、いいなぁと思う。「あなたのために私は頑張ります」と言われると、言われた方はなんとなく後ろめたさを感じ、言う方もつい見返りを求めてしまうので、双方苦しくなる。だけど、北澤さんはあくまでも「自分は好きなことを楽しみながらやります」というのが先にあるので、苦しさがない。それに、本人が楽しそうだと周りにいる人も気軽に声をかけやすくなる。そうか、好循環はこうやって生まれるのかぁと気付かされるのだ。 農家目線で手繰り寄せたマルベックとの出会い 先代がワイン用ブドウを栽培し始めたのはとても早く、30数年前の1990年頃。サントリー向けの委託栽培で、ソーヴィニヨン・ブラン、シャルドネ、メルロ、ピノ・ノワールを栽培していたが、北澤さんが就農したころは、白ブドウ品種のソーヴィニヨン・ブランとシャルドネのみ畑に残っていた。 ワイン造りに興味を持つと共に、改めて赤ワイン用の黒ブドウ品種を栽培したいと考えたそうだ。 自分の好きな品種を栽培したいという気持ちはもちろんあるが、品種を選ぶ際に重視したのは、「ブドウの出来の良さ」と「差別化しやすさ」の2点だ。自分が育てる上でも大事ではあるが、この点がクリアできれば、周辺の農家が新たにワイン用ブドウ栽培を始める際のハードルがぐっと低くなると考えた。 そして、この条件を元に20品種程試験栽培を行い選んだのが…マルベックだ。 ▲ 北澤ぶどう園として販売しているワイン達。マルベックの他、シラー、ゲヴュルツトラミネール、ソーヴィニヨン・ブランなどがある。尚、写真奥の白地のラベルは、「千曲市ワインぶどう研究会」として試験醸造したマルベック。 マルベック?聞いたことがない…という方もおられるだろう。ピノ・ノワールやカベルネ・ソーヴィニヨンといった超有名品種に比べると知名度が下がるのは否めないが、侮ってはいけない魅力的な品種だ。フランス南西部カオールが原産と言われる黒ブドウで、「黒ワイン」と呼ばれるほど色調が濃いのが特徴。20世紀半ばまではボルドーでも人気を博したが、冷害で栽培量がガクンと減ることに。...
長野・北澤ぶどう園
日本ワインコラム | 北澤ぶどう園 「あの人、造ったワイン全部自分で飲んじゃうからな~。笑」 「北澤さんのブドウ栽培技術は本当にすごいですよ!!それに、誰に対しても分け隔てなく丁寧に教えてくれるんです。尊敬しかないです!」 今回、北澤ぶどう園にお邪魔するという話をした際、いろんな方が親しみや尊敬の眼差しを向けつつ、どちらかのセリフを口にした。同じ人のことを指しているとは思えない…が、両立してしまうのが今回の取材相手、長野県千曲市にある北澤ぶどう園の3代目、北澤文康さんの魅力だ。 ▲ 北澤ぶどう園の段々畑になっているブドウ畑の様子。 家業を継ぐつもりはなかったが性に合っていた 北澤さんが就農したのは今から約20年前。元々は家業を継ぐつもりはなく、工業高等専門学校を出て3年程別の仕事をしていたが、畑を手伝ううちに面白くなって就農したそうだ。 ▲ 「人の下で働くのは好きでないから自営が合っている」と笑う北澤さん。 北澤ぶどう園は千曲市内に位置し、長野市の善光寺と松本市を結ぶ善光寺西街道の桑原宿にある。元々は桑栽培が盛んで、その後リンゴ栽培が主流になった地域だ。そんなリンゴ全盛期の時代に、巨峰栽培を始めたのが初代。そして、2代目は周囲が巨峰ばかり育てていた30数年前に、ワイン用ブドウの栽培を始めた。 北澤家はブドウ栽培のサラブレッドであり、開拓精神に溢れたファミリーなのだ。好奇心旺盛かつ高い技術力を受け継ぐファミリーだからだろうか、現在育てている生食用ブドウの品種は30種類以上!そんな北澤さんが3代目を引き継いだのは2013年。先代の不慮の事故によるものだった。就農してから10年程経っていたとは言え、不安もあったのではないかと思うが、北澤家の開拓精神を受け継ぎ、ある挑戦に取り組んでいる。 ワイン造りだ。 なぜワイン造りなのか 自分はお酒が好きだし、せっかくワイン用ブドウを栽培しているのだから、自分で育てたブドウでワインを造ってみたかった。それに、ワインとして仕込めば保存ができ、一年中、何年後でも飲んで楽しむことができる と目を輝かせた北澤さん。お酒好きな北澤さんが、ワイン造りに目覚めるのは、時間の問題だったのだろう。しかし、理由はそれだけではなさそうだ。 ▲ 畑と近くに位置する事務所入り口。バスケットプレスや樽が外に並ぶ。 「栽培の手間がかからないワイン用ブドウ品種を開拓できれば、高齢化や耕作放棄地といった問題解決にも繋がるかもしれない。利己の心をうまく使って、他者に役立つことができれば嬉しい。」とポロリと仰る。 この感じ、いいなぁと思う。「あなたのために私は頑張ります」と言われると、言われた方はなんとなく後ろめたさを感じ、言う方もつい見返りを求めてしまうので、双方苦しくなる。だけど、北澤さんはあくまでも「自分は好きなことを楽しみながらやります」というのが先にあるので、苦しさがない。それに、本人が楽しそうだと周りにいる人も気軽に声をかけやすくなる。そうか、好循環はこうやって生まれるのかぁと気付かされるのだ。 農家目線で手繰り寄せたマルベックとの出会い 先代がワイン用ブドウを栽培し始めたのはとても早く、30数年前の1990年頃。サントリー向けの委託栽培で、ソーヴィニヨン・ブラン、シャルドネ、メルロ、ピノ・ノワールを栽培していたが、北澤さんが就農したころは、白ブドウ品種のソーヴィニヨン・ブランとシャルドネのみ畑に残っていた。 ワイン造りに興味を持つと共に、改めて赤ワイン用の黒ブドウ品種を栽培したいと考えたそうだ。 自分の好きな品種を栽培したいという気持ちはもちろんあるが、品種を選ぶ際に重視したのは、「ブドウの出来の良さ」と「差別化しやすさ」の2点だ。自分が育てる上でも大事ではあるが、この点がクリアできれば、周辺の農家が新たにワイン用ブドウ栽培を始める際のハードルがぐっと低くなると考えた。 そして、この条件を元に20品種程試験栽培を行い選んだのが…マルベックだ。 ▲ 北澤ぶどう園として販売しているワイン達。マルベックの他、シラー、ゲヴュルツトラミネール、ソーヴィニヨン・ブランなどがある。尚、写真奥の白地のラベルは、「千曲市ワインぶどう研究会」として試験醸造したマルベック。 マルベック?聞いたことがない…という方もおられるだろう。ピノ・ノワールやカベルネ・ソーヴィニヨンといった超有名品種に比べると知名度が下がるのは否めないが、侮ってはいけない魅力的な品種だ。フランス南西部カオールが原産と言われる黒ブドウで、「黒ワイン」と呼ばれるほど色調が濃いのが特徴。20世紀半ばまではボルドーでも人気を博したが、冷害で栽培量がガクンと減ることに。...