日本ワインコラム

THE CELLAR ワイン特集
北海道・ 豊丘西尾ヴィンヤード

北海道・ 豊丘西尾ヴィンヤード

日本ワインコラム | 豊丘西尾ヴィンヤード 2021年1月に余市町に農地を取得し新規就農された、豊丘西尾ヴィンヤードの西尾さんに会いにやってきた。Google Mapで場所を検索し目指したのだが、最後に曲がる場所を何度も間違い、右往左往。西尾さんに電話して、なんとか辿り着くことができた(我々が勝手に迷っただけで、そんなに難しい場所ではないので、ご安心を!)。優しい微笑みで迎え入れて下さった西尾さん。我々が迷っている様子を遠目にご覧になっていたそうで、お恥ずかしい限りだ… ▲ 無事に到着して一安心! ワインにハマる 埼玉県ご出身の西尾さん。大学卒業後大手製薬会社に入社、全国各地にある支店で30年近く営業として勤務されてきた。そんな中、25年前に在籍した名古屋支店でワインに目覚めたそう。色んなタイプのワインを飲むようになると共に、ワイン本も読み始める。日本語になっているワイン本はほぼ読破したとのこと!今も読むのはワインの本ばかり。ワインが好きになったからといって、仕事をしつつ、ここまで貪欲に知識を身に付ける人はそうはいないだろう。沼にはまるとは、正にこのことだ。 ▲ 畑の一角にある木陰に陣取り、収穫籠を裏返した椅子に座ってお話を聞いた。風を感じて気持ちいい。 本を読めば読むほど、気付いたことがある。ワイン造りとは、即ちブドウ栽培であると。よいブドウを育てられれば、醸造の過程でテクニックを駆使する必要はない。自分もいいブドウを育てたい。そして、自分が思い描くワインを造りたい…。サラリーマンをしながら、抑えられない気持ちが溢れてきた。 マラソンとの出会い~50歳でもまだまだイケル~ ワインに並行して、サラリーマン時代に出会ったものがある。マラソンだ。40歳頃、本格的にゴルフに打ち込もうと思い、足腰を鍛えるためにマラソンを始めたら、マラソンにハマってしまったそうだ。好きになったらとことん突き詰める西尾さん。北海道のフルマラソンは10回以上、サロマ湖の100キロウルトラマラソンは2回完走したそうだ(う、嘘でしょ… )!しかも100キロマラソンは13時間以内に走り切ることが求められるそうで、西尾さんは12時間ちょっとで完走。100キロマラソンって、サライの音楽を聴きながら感動のフィナーレを迎える24時間テレビの中でしか聞いたことがない。24時間の半分の時間で完走してしまうなんて…超人サラリーマンだ。趣味の域を越えていませんか? ▲ 第38回サロマ湖100kmウルトラマラソン公式サイトより。湖の周りなので景色は良さそうだが、車でのんびり周りたい距離だ… 「100キロマラソンをやると、体力的にこれを上回ることって世の中にないと思えるんです」 そりゃそうでしょう…レベルが違う話に圧倒されてしまう。超人だからこそできることなのかもしれないが、この経験が西尾さんにとっての転機となる。 「今考えると、小さいころから生き物を育てたりするのが好きで、自分で何かを作る農家になりたいという夢はあった。また、マラソンに関しては、膝を悪くするし、辛いだけだし、変わった人がするものだと思っていた」と笑った西尾さん。しかし100キロマラソンを完走すると、「そうでもないぞ」と気付いてしまったのだ。また、マラソンを始めてから良質のたんぱく源を摂取しようと考え、苦手だった納豆が食べられるようにもなった。嫌いだと思い込んでいたものも、意外にそうではない。 「歳をとっても、意外と何でもできるじゃん」 そう気付いたのだ。 ▲ 手作りのポストが可愛らしい。マラソンを始めるまで、ブドウ栽培をしているご自身を想像していなかったに違いない。 「ワインの道に進みたい」と家族に切り出したのは、娘さんが小学校4年生の時。子育て真っただ中だったこともあり、そのタイミングでの就農は諦めたそうだが、将来に向けて週末を就農に向けた準備に使うことにOKは出た。寛大な奥様である。そして、娘さんが大学生になったタイミング、西尾さんが50歳を過ぎてからの就農となるのだ。 準備してきたからこそ適った就農 西尾さんが会社を辞めたのは2020年12月、そして現在の畑を取得し就農したのは翌月の2021年1月。しかも就農3年目となる2023年5月には、ご自身が育てたブドウでワインの発売までやってのけている。一般的に、就農からワイン発売まで5年はかかると言われている中、すごいスピード感だ。 ▲ 上空から見た畑の様子。取材時は曇り空だったが、南南西向きの畑は陽当たりがよい。 指をくわえて待っていても就農はできない。西尾さんは会社員として働きながら、小樽のワイナリーで3年間の研修を重ねてきた。研修を続ける中、現在の畑の持ち主だった農家から、研修先のワイナリーに農地を売りたいという話があったそうで、ワイナリーから西尾さんに声がかかり、晴れて農地取得となったのだ。通常、余市町で農地を取得するには2年間の実地研修が必要となる。会社員を続けながらではあるが、小樽のワイナリーで3年間研修を重ねてきた実績が認められ、西尾さんは退職と同時に農地を取得できたのだ。...

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日本ワインコラム | 豊丘西尾ヴィンヤード 2021年1月に余市町に農地を取得し新規就農された、豊丘西尾ヴィンヤードの西尾さんに会いにやってきた。Google Mapで場所を検索し目指したのだが、最後に曲がる場所を何度も間違い、右往左往。西尾さんに電話して、なんとか辿り着くことができた(我々が勝手に迷っただけで、そんなに難しい場所ではないので、ご安心を!)。優しい微笑みで迎え入れて下さった西尾さん。我々が迷っている様子を遠目にご覧になっていたそうで、お恥ずかしい限りだ… ▲ 無事に到着して一安心! ワインにハマる 埼玉県ご出身の西尾さん。大学卒業後大手製薬会社に入社、全国各地にある支店で30年近く営業として勤務されてきた。そんな中、25年前に在籍した名古屋支店でワインに目覚めたそう。色んなタイプのワインを飲むようになると共に、ワイン本も読み始める。日本語になっているワイン本はほぼ読破したとのこと!今も読むのはワインの本ばかり。ワインが好きになったからといって、仕事をしつつ、ここまで貪欲に知識を身に付ける人はそうはいないだろう。沼にはまるとは、正にこのことだ。 ▲ 畑の一角にある木陰に陣取り、収穫籠を裏返した椅子に座ってお話を聞いた。風を感じて気持ちいい。 本を読めば読むほど、気付いたことがある。ワイン造りとは、即ちブドウ栽培であると。よいブドウを育てられれば、醸造の過程でテクニックを駆使する必要はない。自分もいいブドウを育てたい。そして、自分が思い描くワインを造りたい…。サラリーマンをしながら、抑えられない気持ちが溢れてきた。 マラソンとの出会い~50歳でもまだまだイケル~ ワインに並行して、サラリーマン時代に出会ったものがある。マラソンだ。40歳頃、本格的にゴルフに打ち込もうと思い、足腰を鍛えるためにマラソンを始めたら、マラソンにハマってしまったそうだ。好きになったらとことん突き詰める西尾さん。北海道のフルマラソンは10回以上、サロマ湖の100キロウルトラマラソンは2回完走したそうだ(う、嘘でしょ… )!しかも100キロマラソンは13時間以内に走り切ることが求められるそうで、西尾さんは12時間ちょっとで完走。100キロマラソンって、サライの音楽を聴きながら感動のフィナーレを迎える24時間テレビの中でしか聞いたことがない。24時間の半分の時間で完走してしまうなんて…超人サラリーマンだ。趣味の域を越えていませんか? ▲ 第38回サロマ湖100kmウルトラマラソン公式サイトより。湖の周りなので景色は良さそうだが、車でのんびり周りたい距離だ… 「100キロマラソンをやると、体力的にこれを上回ることって世の中にないと思えるんです」 そりゃそうでしょう…レベルが違う話に圧倒されてしまう。超人だからこそできることなのかもしれないが、この経験が西尾さんにとっての転機となる。 「今考えると、小さいころから生き物を育てたりするのが好きで、自分で何かを作る農家になりたいという夢はあった。また、マラソンに関しては、膝を悪くするし、辛いだけだし、変わった人がするものだと思っていた」と笑った西尾さん。しかし100キロマラソンを完走すると、「そうでもないぞ」と気付いてしまったのだ。また、マラソンを始めてから良質のたんぱく源を摂取しようと考え、苦手だった納豆が食べられるようにもなった。嫌いだと思い込んでいたものも、意外にそうではない。 「歳をとっても、意外と何でもできるじゃん」 そう気付いたのだ。 ▲ 手作りのポストが可愛らしい。マラソンを始めるまで、ブドウ栽培をしているご自身を想像していなかったに違いない。 「ワインの道に進みたい」と家族に切り出したのは、娘さんが小学校4年生の時。子育て真っただ中だったこともあり、そのタイミングでの就農は諦めたそうだが、将来に向けて週末を就農に向けた準備に使うことにOKは出た。寛大な奥様である。そして、娘さんが大学生になったタイミング、西尾さんが50歳を過ぎてからの就農となるのだ。 準備してきたからこそ適った就農 西尾さんが会社を辞めたのは2020年12月、そして現在の畑を取得し就農したのは翌月の2021年1月。しかも就農3年目となる2023年5月には、ご自身が育てたブドウでワインの発売までやってのけている。一般的に、就農からワイン発売まで5年はかかると言われている中、すごいスピード感だ。 ▲ 上空から見た畑の様子。取材時は曇り空だったが、南南西向きの畑は陽当たりがよい。 指をくわえて待っていても就農はできない。西尾さんは会社員として働きながら、小樽のワイナリーで3年間の研修を重ねてきた。研修を続ける中、現在の畑の持ち主だった農家から、研修先のワイナリーに農地を売りたいという話があったそうで、ワイナリーから西尾さんに声がかかり、晴れて農地取得となったのだ。通常、余市町で農地を取得するには2年間の実地研修が必要となる。会社員を続けながらではあるが、小樽のワイナリーで3年間研修を重ねてきた実績が認められ、西尾さんは退職と同時に農地を取得できたのだ。...

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北海道・ ロウブロウ・クラフト

北海道・ ロウブロウ・クラフト

日本ワインコラム | ロウブロウ・クラフト 2022年10月にワイン醸造を始めたLowbrow Craft(ロウブロウ・クラフト)。北海道余市町で16軒目となる新しいワイナリーだ。通常、取材前に可能な限り情報収集するのだが、新しいワイナリーということもあり、ワイナリーの情報も取材相手の赤城さんの情報も限られていた。 その中で目を引いたのが、ワインのラベルと赤城さんの風貌。ワインラベルはロックな感じもするし、インダストリアルな感じもある。どことなくストリート・アートといった雰囲気がある。赤城さんは、長い髭と雑誌のストリート・スナップで選ばれそうなセンスの良さが印象的で、アーティストか?はたまたヨガ・インストラクターか?と思ってしまう(勝手な印象です)。どんな方がどんなワインを造っているのだろう?想像が膨らむ先である。 ▲ Lowbrow CraftのFacebookアカウントより。左のプロフィール写真には、思わずクスっと笑ってしまう。右3つのワインボトルは、一見するとワインのエチケットとは思えない仕上がりで、じっと見入ってしまう。 セレンディピティを楽しむ 今回取材した赤城さんは千葉県ご出身。2014年にご夫婦で北海道・余市町に移住された。やはりワイン造りを目指して、移住されたのだろうか? 「最初からワイナリーをするつもりで移住したわけではないんですよ。①北海道に住みたい、②農業がやりたい、③酒が好き、という3つの条件で探していたら、北海道でワインを造る会社があったので、夫婦でそこに就職した、というのがきっかけです。」 ▲ 立派なお鬚をたくわえ、ファッション雑誌の特集で取り上げられそうな程オシャレな赤城さん。優しい笑顔の持ち主だ。 移住した時は、何が何でもワインに携わりたいというわけではなく、むしろビールが一番好きだったというのだから面白い。因みにキリンやサッポロが好きらしい。「念願の北海道だし、ブドウ栽培農家になれるし、ワインもビールと同じお酒だし、面白そうじゃないか」という気持ちで移住されたそう。「こうじゃなければいけない」という拘りがなく、何事も面白がれる柔軟さがある。赤城さんと話していると、何かをコントロールしようという気持ちが皆無なことに気付く。たまたま起こるセレンディピティ(素敵な偶然)を気負いなく楽しんでしまう人なのだ。 自分でやってみたい その企業で4年間ブドウ栽培を続けていく中で、ワイン醸造にも関心を持つようになる。しかし、組織の一部である以上、ワイン造りの全ての工程を担当することは難しかった。また、企業には企業の論理があると理解しつつも、慣行農法を用い、量産を狙う手法に疑問を覚えるようにもなった。 「自分の考える方法で、ワイン造りの最初から最後まで一貫してやりたい」 「自分が造ったもので評価されたい」 ブドウ栽培を続けるなかで、この気持ちがじわじわと強くなっていく。 ▲ くぅぅっという声が聞こえてきそうな表情もたまらない。笑 ▲ 赤城さんが3年間修行したドメーヌ・タカヒコ。 ドメーヌ・タカヒコの曽我氏との出会いも大きい。有機栽培されたブドウを用い、野生酵母で醸造された彼のワインの美味しさに感銘を受けた。また、彼が提唱する、農家による小規模なワイナリーというアイディアに心が惹かれた。ガレージ・ワイナリーのようでカッコいいし、頑張れば自分でもできるのではないか、という気持ちが湧いたと言う。ワイナリー経営が現実的になり、独立を決意する。 偶然を面白がり、フィルターのない気持ちで目の前の仕事に取り組むからこそ、次のステップが開けるのだろう。移住時には想像もしていなかったことに違いない。 山の力を感じる畑との出会い ガレージ・ワイナリーという新しい目標ができた赤城さん。退職後の2019年に今の畑と出会う。元々リンゴが植わっていたそうだが、何年も耕作放棄されていたため、開墾は想像以上に重労働。しかも驚きなのが、同時期の2019年から3年間、ドメーヌ・タカヒコで研修を受けていたことだ。ドメーヌ・タカヒコでみっちり研修を受けつつ、同時並行して自分の畑の開墾やブドウ栽培を行ってきたというのだから、人の数倍働いていたに違いない。信じられない体力と精神力の持ち主だ。 ▲ まさに山の中に畑があるといった雰囲気の場所だ!...

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北海道・ ロウブロウ・クラフト

日本ワインコラム | ロウブロウ・クラフト 2022年10月にワイン醸造を始めたLowbrow Craft(ロウブロウ・クラフト)。北海道余市町で16軒目となる新しいワイナリーだ。通常、取材前に可能な限り情報収集するのだが、新しいワイナリーということもあり、ワイナリーの情報も取材相手の赤城さんの情報も限られていた。 その中で目を引いたのが、ワインのラベルと赤城さんの風貌。ワインラベルはロックな感じもするし、インダストリアルな感じもある。どことなくストリート・アートといった雰囲気がある。赤城さんは、長い髭と雑誌のストリート・スナップで選ばれそうなセンスの良さが印象的で、アーティストか?はたまたヨガ・インストラクターか?と思ってしまう(勝手な印象です)。どんな方がどんなワインを造っているのだろう?想像が膨らむ先である。 ▲ Lowbrow CraftのFacebookアカウントより。左のプロフィール写真には、思わずクスっと笑ってしまう。右3つのワインボトルは、一見するとワインのエチケットとは思えない仕上がりで、じっと見入ってしまう。 セレンディピティを楽しむ 今回取材した赤城さんは千葉県ご出身。2014年にご夫婦で北海道・余市町に移住された。やはりワイン造りを目指して、移住されたのだろうか? 「最初からワイナリーをするつもりで移住したわけではないんですよ。①北海道に住みたい、②農業がやりたい、③酒が好き、という3つの条件で探していたら、北海道でワインを造る会社があったので、夫婦でそこに就職した、というのがきっかけです。」 ▲ 立派なお鬚をたくわえ、ファッション雑誌の特集で取り上げられそうな程オシャレな赤城さん。優しい笑顔の持ち主だ。 移住した時は、何が何でもワインに携わりたいというわけではなく、むしろビールが一番好きだったというのだから面白い。因みにキリンやサッポロが好きらしい。「念願の北海道だし、ブドウ栽培農家になれるし、ワインもビールと同じお酒だし、面白そうじゃないか」という気持ちで移住されたそう。「こうじゃなければいけない」という拘りがなく、何事も面白がれる柔軟さがある。赤城さんと話していると、何かをコントロールしようという気持ちが皆無なことに気付く。たまたま起こるセレンディピティ(素敵な偶然)を気負いなく楽しんでしまう人なのだ。 自分でやってみたい その企業で4年間ブドウ栽培を続けていく中で、ワイン醸造にも関心を持つようになる。しかし、組織の一部である以上、ワイン造りの全ての工程を担当することは難しかった。また、企業には企業の論理があると理解しつつも、慣行農法を用い、量産を狙う手法に疑問を覚えるようにもなった。 「自分の考える方法で、ワイン造りの最初から最後まで一貫してやりたい」 「自分が造ったもので評価されたい」 ブドウ栽培を続けるなかで、この気持ちがじわじわと強くなっていく。 ▲ くぅぅっという声が聞こえてきそうな表情もたまらない。笑 ▲ 赤城さんが3年間修行したドメーヌ・タカヒコ。 ドメーヌ・タカヒコの曽我氏との出会いも大きい。有機栽培されたブドウを用い、野生酵母で醸造された彼のワインの美味しさに感銘を受けた。また、彼が提唱する、農家による小規模なワイナリーというアイディアに心が惹かれた。ガレージ・ワイナリーのようでカッコいいし、頑張れば自分でもできるのではないか、という気持ちが湧いたと言う。ワイナリー経営が現実的になり、独立を決意する。 偶然を面白がり、フィルターのない気持ちで目の前の仕事に取り組むからこそ、次のステップが開けるのだろう。移住時には想像もしていなかったことに違いない。 山の力を感じる畑との出会い ガレージ・ワイナリーという新しい目標ができた赤城さん。退職後の2019年に今の畑と出会う。元々リンゴが植わっていたそうだが、何年も耕作放棄されていたため、開墾は想像以上に重労働。しかも驚きなのが、同時期の2019年から3年間、ドメーヌ・タカヒコで研修を受けていたことだ。ドメーヌ・タカヒコでみっちり研修を受けつつ、同時並行して自分の畑の開墾やブドウ栽培を行ってきたというのだから、人の数倍働いていたに違いない。信じられない体力と精神力の持ち主だ。 ▲ まさに山の中に畑があるといった雰囲気の場所だ!...

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北海道・Misono Vineyard

北海道・Misono Vineyard

日本ワインコラム | Misono Vineyard 「好きこそ物の上手なれ」 そうは言われても、好きを生業にするのは難しい。好きなことを仕事にしたいと思っていても、なかなかその一歩を踏み出せない。食べていけるのか?という現実的な問題が立ちはだかり、自分の気持ちと生活の糧を天秤にかけて、自分の気持ちにそっと蓋をする。大半の人間はそうだろう。 今回取材をしたMisono Vineyardの松村さんは違う。大手総合商社で航空機関連やTV放送業務など、世界を股にかけてバリバリ仕事をしていたにも関わらず、「ブルゴーニュワインが好き」という一点で、誰もが羨む仕事を手放し、東京・青山でブルゴーニュとシャンパーニュ専門のワインバーの経営に乗り出す。しかし、ワインを提供するだけでは飽き足らず、今度は自分でワインを造るという道を進み出したのだ。 ▲ ワイナリーの入り口には、青山で経営していたワインバー「Burgundy」の看板が飾ってある。 かくして、2019年に北海道余市町で元牧草地を購入、翌年2020年には隣接する元果樹園を購入する。そして、2021年にはワイン製造免許を取得し、Misono Vineyardが誕生するのだ。「好き」のレベルが違うのか、心の声に忠実なのか…驚くべき行動力だ。「好き」が原動力だからこそ、自分の好きなブルゴーニュワインが教科書でありバイブル。そして研究は徹底的に行い、自分の選択に対するロジックはシンプルで明快。話を聞いていると、魔法をかけられたかのように松村さんと同じ思考になっていくのだ。笑 ▲ 写真中央の柏(ドングリ)の大木と小道を挟んで右側が元牧草地、左側が元果樹園の畑。東向きの丘陵地で陽当たりも風通しも抜群の立地だ。 ブルゴーニュ地方のコート・ドールを思わせる畑との出会い 2018年、青山でワインバーを経営しながら、長野県にある千曲川ワインアカデミーで、ブドウ栽培とワイン醸造、ワイナリー経営などを学ぶと共に、自身のワイナリー設営に向けた畑も探していた。長野県内でも畑を探したが、土地が細分化されていて、纏まった土地を入手するには多数の地主の了解を得る必要があり、現実的ではなかった。 そんな中、余市で出会った現在の畑は魅力的だった。元牧草地と元果樹園はそれぞれ4haと広大で、地主もそれぞれ1人だけ。 東向きの丘陵地はブルゴーニュ地方のコート・ドールの丘を彷彿とさせ、ブルゴーニュ好きの心がくすぐられた。朝日を浴び、風も抜けるので湿気が溜まらない環境。日本海と余市川を臨む位置にあり、海や川に近く温暖な環境なのも素晴らしい。特に気に入ったのはサクランボや梨などが植えられていた元果樹園だ。温暖な気候を活かした早生のサクランボ(佐藤錦)が人気で、有名芸能人がお取り寄せしていたそう。元果樹園の土地を狙っていたが、先に決まったのは隣の元牧草地。少し肩透かしをくらったが、翌年には狙っていた元果樹園も手に入るのだから、万々歳としか言いようがない。 ▲ 丘になっている頂上付近からは、余市の街並みと海が見渡せる。あぁ絶景かな。 畑を開墾して嬉しい発見もした。土壌が灰色火山礫が風化してできた白灰色の細かい土で、水はけに優れているのだ。余市では保水性に富む赤粘土土壌のところが多い中、世界の銘醸地に比べ降雨量が多い日本の環境を考慮すると、水はけの良い土壌を確保できるのは非常に有難い。温暖な気候、風通しの良さ、水はけの良さ。必要だと考えていた要素が揃う場所に巡り合えた。 ▲ ゴロゴロとした灰色火山礫の石ころや、それが風化してできた細かい土。余市ではなかなか出会えない土壌だ。 ブルゴーニュに想いを馳せた品種選び やっぱりブルゴーニュワインが好きだから 栽培品種で一番栽培面積が広いのはもちろん、ブルゴーニュワインの筆頭品種であるピノ・ノワール(2ha)とシャルドネ(1ha)。計8haの畑の植栽面積が6haなので、全体の半分を占める。 ▲ 圃場の植栽品種マップ。初公開となる超貴重な一枚だ!掲載OK、ありがとうございます!! 特に元果樹園に植わるシャルドネの出来は最高だそうだ。基本的に畑は東向きの斜面だが、シャルドネが植わっている一角のみ南東向きの斜面になっており、畑の中でも特に温暖な環境。人気の早生のサクランボもこの場所で栽培されていたらしい。また、実際に栽培してみて、余市の環境はピノ・ノワールの栽培に向いていると実感。余市では、昔からツヴァイゲルトレーベとケルナーが盛んに栽培されてきており、今も栽培面積は広い。ただ、昨今の温暖化の影響で酸落ちしやすいのも事実だそう。そんな中、栽培が難しいと言われてきたピノ・ノワールは逆に、温暖化の影響で栽培しやすい品種になってきた。Misono Vineyardでも一番出来がいいと感じているそうだ。...

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北海道・Misono Vineyard

日本ワインコラム | Misono Vineyard 「好きこそ物の上手なれ」 そうは言われても、好きを生業にするのは難しい。好きなことを仕事にしたいと思っていても、なかなかその一歩を踏み出せない。食べていけるのか?という現実的な問題が立ちはだかり、自分の気持ちと生活の糧を天秤にかけて、自分の気持ちにそっと蓋をする。大半の人間はそうだろう。 今回取材をしたMisono Vineyardの松村さんは違う。大手総合商社で航空機関連やTV放送業務など、世界を股にかけてバリバリ仕事をしていたにも関わらず、「ブルゴーニュワインが好き」という一点で、誰もが羨む仕事を手放し、東京・青山でブルゴーニュとシャンパーニュ専門のワインバーの経営に乗り出す。しかし、ワインを提供するだけでは飽き足らず、今度は自分でワインを造るという道を進み出したのだ。 ▲ ワイナリーの入り口には、青山で経営していたワインバー「Burgundy」の看板が飾ってある。 かくして、2019年に北海道余市町で元牧草地を購入、翌年2020年には隣接する元果樹園を購入する。そして、2021年にはワイン製造免許を取得し、Misono Vineyardが誕生するのだ。「好き」のレベルが違うのか、心の声に忠実なのか…驚くべき行動力だ。「好き」が原動力だからこそ、自分の好きなブルゴーニュワインが教科書でありバイブル。そして研究は徹底的に行い、自分の選択に対するロジックはシンプルで明快。話を聞いていると、魔法をかけられたかのように松村さんと同じ思考になっていくのだ。笑 ▲ 写真中央の柏(ドングリ)の大木と小道を挟んで右側が元牧草地、左側が元果樹園の畑。東向きの丘陵地で陽当たりも風通しも抜群の立地だ。 ブルゴーニュ地方のコート・ドールを思わせる畑との出会い 2018年、青山でワインバーを経営しながら、長野県にある千曲川ワインアカデミーで、ブドウ栽培とワイン醸造、ワイナリー経営などを学ぶと共に、自身のワイナリー設営に向けた畑も探していた。長野県内でも畑を探したが、土地が細分化されていて、纏まった土地を入手するには多数の地主の了解を得る必要があり、現実的ではなかった。 そんな中、余市で出会った現在の畑は魅力的だった。元牧草地と元果樹園はそれぞれ4haと広大で、地主もそれぞれ1人だけ。 東向きの丘陵地はブルゴーニュ地方のコート・ドールの丘を彷彿とさせ、ブルゴーニュ好きの心がくすぐられた。朝日を浴び、風も抜けるので湿気が溜まらない環境。日本海と余市川を臨む位置にあり、海や川に近く温暖な環境なのも素晴らしい。特に気に入ったのはサクランボや梨などが植えられていた元果樹園だ。温暖な気候を活かした早生のサクランボ(佐藤錦)が人気で、有名芸能人がお取り寄せしていたそう。元果樹園の土地を狙っていたが、先に決まったのは隣の元牧草地。少し肩透かしをくらったが、翌年には狙っていた元果樹園も手に入るのだから、万々歳としか言いようがない。 ▲ 丘になっている頂上付近からは、余市の街並みと海が見渡せる。あぁ絶景かな。 畑を開墾して嬉しい発見もした。土壌が灰色火山礫が風化してできた白灰色の細かい土で、水はけに優れているのだ。余市では保水性に富む赤粘土土壌のところが多い中、世界の銘醸地に比べ降雨量が多い日本の環境を考慮すると、水はけの良い土壌を確保できるのは非常に有難い。温暖な気候、風通しの良さ、水はけの良さ。必要だと考えていた要素が揃う場所に巡り合えた。 ▲ ゴロゴロとした灰色火山礫の石ころや、それが風化してできた細かい土。余市ではなかなか出会えない土壌だ。 ブルゴーニュに想いを馳せた品種選び やっぱりブルゴーニュワインが好きだから 栽培品種で一番栽培面積が広いのはもちろん、ブルゴーニュワインの筆頭品種であるピノ・ノワール(2ha)とシャルドネ(1ha)。計8haの畑の植栽面積が6haなので、全体の半分を占める。 ▲ 圃場の植栽品種マップ。初公開となる超貴重な一枚だ!掲載OK、ありがとうございます!! 特に元果樹園に植わるシャルドネの出来は最高だそうだ。基本的に畑は東向きの斜面だが、シャルドネが植わっている一角のみ南東向きの斜面になっており、畑の中でも特に温暖な環境。人気の早生のサクランボもこの場所で栽培されていたらしい。また、実際に栽培してみて、余市の環境はピノ・ノワールの栽培に向いていると実感。余市では、昔からツヴァイゲルトレーベとケルナーが盛んに栽培されてきており、今も栽培面積は広い。ただ、昨今の温暖化の影響で酸落ちしやすいのも事実だそう。そんな中、栽培が難しいと言われてきたピノ・ノワールは逆に、温暖化の影響で栽培しやすい品種になってきた。Misono Vineyardでも一番出来がいいと感じているそうだ。...

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北海道・ Domaine Yui

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日本ワインコラム | Domaine Yui 子猫がじゃれ合っているようだ。時には、喧嘩か?と心配してしまう激しさで。 かと思えば、がしっと腕と組み、大通りに繰り出すデモ隊の仲間のようでもある。 そして時には、ひっそり部室でお互いの「好き」を持ち込んで、相手の趣味をたたえ合うティーネイジャーのようでもある。 2017年に北海道余市町に移住し、2020年秋に醸造免許を取得したドメーヌ・ユイの杉山哲哉・彩夫妻。真直ぐでちょっと青臭い。自分をよく見せようというそぶりはなく、常に直球勝負の2人はとても勇敢だ。 ▲ ワイナリーと畑は元々リンゴと梨畑だった場所にある。ワイナリーは築50年倉庫をリノベーションして造られたもの。農家からワイナリーへのリノベーションプロジェクトとして、2021年グッドデザイン賞を受賞しただけあり、スタイリッシュな佇まいだ。 「畑見て、ワイナリー見て、っていう一般的なインタビューにはしたくないんですよね」 はっきりとそう仰った。まずは畑やワイナリーを拝見しながら、ブドウ栽培やワイン醸造のこだわりについて話を伺う、というのが通常のインタビューの流れだが、杉山夫妻は違った。 ワインの話もするけど、自分達ってこういう人間なのですっていうのを知ってほしい。 そういう気持ちでグイグイ来られたので、いつもと違うスタイルでお届けしたい。 音楽や文学、映画をこよなく愛する文化人 関東圏出身の2人は、進学先の北海道大学で同じジャズ研究会のサークルに所属。彩さんがピアニスト、哲哉さんがドラマーだ。そして、先日開催された、余市町登地区を中心とするワイン・ブドウ園を巡る農園開放祭「ラフェト・デ・ヴィニュロン・ア・ヨイチ 2023」では、ドメーヌ・ユイのブースで大学時代の仲間がJAZZ生演奏を披露したという!しかも哲哉さんもご自身のドラムセットを使って演奏したのだとか。「このキックの強い感じは哲哉だと一発で分かった」と彩さん。そのコメント、愛があるな~。笑 ▲ Domaine YuiのFacebookアカウントより。「イベントは参加者全員での乾杯でスタートしたんですが、会場全体がすっっっごく盛り上がって、熱気と一体感が最高でした!本当に楽しかった!」と目をキラキラ輝かせて説明してくれた。今年は参加できなかったのだが、行けばよかった…と後悔の念が広がる。 哲哉さんのことを「攻撃的で衝突を厭わず、ストレートで一貫している」と彩さんが評すれば、「闇が深くて陰鬱としているけど、開いた時には得も言われぬ熱情がある」と哲哉さんは彩さん像を説明する。随分性格が異なる2人のようだ。この性格は好きなものにも表れているそうで、哲哉さんのドラムのプレイスタイルが、高速でパワフルなトニー・ウィリアムズ風だとすれば、彩さんはどこかキレイだけど死にそうなところがあるビル・エヴァンズ風だと言う。好きな文学では、哲哉さんが絞り切れないといった風に「村上春樹からスタートした」と語ると、それを制するように、彩さんは「私は三島由紀夫」と断言した上で、「三島由紀夫の『豊饒の海』、特にその第一巻の『春の雪』が好き。夏目漱石の『夢十夜』も好きで、第一夜に出てくる、女性と死と月と花というモチーフがピノ・ノワールを思わせる。闇もありつつ、死にそうで、でもキレイ。破滅に向かう美を感じる」と。彩さんと話しているとアチラの世界に引きずられていきそうになる…。 ▲ 柔らかさの中に芯の強さを感じさせる彩さん。繊細さ故か、「人は好きなのになかなか近付けない。ハリネズミのジレンマ」だと仰る。なんてチャーミングなハリネズミだろう。 ▲ 意志の強さと、選ぶ言葉のキレの良さを感じさせられる哲哉さん。ご自身をワインに例えた際、カリフォルニアのジンファンデルorシャルドネ→オーストラリア、バロッサ・ヴァレーのシラーズ→南アのピノ・ノワールと変遷し、世界を周ってくれた。笑 因みに、映画だと「小津安二郎が好きだ」と哲哉さんがボソっと言ったら、「それは私でしょ!」とダメ出しを食らっていたので、文化面では、彩さんのテイストに哲哉さんがかなり影響を受けているようだ。 右脳と左脳が連動する2人 超が付く文化大好き人間の2人。天才肌の右脳系一筋で来たのかと思ったら、ロジックの左脳の強さも顔を出す。小さいころから絵を描くことが好きだったという哲哉さん。高校生の頃になると、絵だけで食べていくのは難しいと判断し、大学では建築学科で都市計画を学んでいたという。「建築も同じように食べていくのは厳しいんですけどね。苦笑」と言いつつ、卒業後は建築事務所で仕事していたそうだ。 一方の彩さん。ご両親や祖父母の代も学校の先生だったという家庭環境もあり、ご自身も学校の先生になることを夢見ていた少女時代を過ごす。そして大学では物理学科の理学部で実験に明け暮れていたそうだ。ゴリゴリの理系である。 超文系の身からすると、理系脳はかなり羨ましい。左脳を使って仕事をバリバリこなしつつ、右脳系もプロ級の腕前を誇るなんて。天は二物も三物も与えるようだ。...

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北海道・ Domaine Yui

日本ワインコラム | Domaine Yui 子猫がじゃれ合っているようだ。時には、喧嘩か?と心配してしまう激しさで。 かと思えば、がしっと腕と組み、大通りに繰り出すデモ隊の仲間のようでもある。 そして時には、ひっそり部室でお互いの「好き」を持ち込んで、相手の趣味をたたえ合うティーネイジャーのようでもある。 2017年に北海道余市町に移住し、2020年秋に醸造免許を取得したドメーヌ・ユイの杉山哲哉・彩夫妻。真直ぐでちょっと青臭い。自分をよく見せようというそぶりはなく、常に直球勝負の2人はとても勇敢だ。 ▲ ワイナリーと畑は元々リンゴと梨畑だった場所にある。ワイナリーは築50年倉庫をリノベーションして造られたもの。農家からワイナリーへのリノベーションプロジェクトとして、2021年グッドデザイン賞を受賞しただけあり、スタイリッシュな佇まいだ。 「畑見て、ワイナリー見て、っていう一般的なインタビューにはしたくないんですよね」 はっきりとそう仰った。まずは畑やワイナリーを拝見しながら、ブドウ栽培やワイン醸造のこだわりについて話を伺う、というのが通常のインタビューの流れだが、杉山夫妻は違った。 ワインの話もするけど、自分達ってこういう人間なのですっていうのを知ってほしい。 そういう気持ちでグイグイ来られたので、いつもと違うスタイルでお届けしたい。 音楽や文学、映画をこよなく愛する文化人 関東圏出身の2人は、進学先の北海道大学で同じジャズ研究会のサークルに所属。彩さんがピアニスト、哲哉さんがドラマーだ。そして、先日開催された、余市町登地区を中心とするワイン・ブドウ園を巡る農園開放祭「ラフェト・デ・ヴィニュロン・ア・ヨイチ 2023」では、ドメーヌ・ユイのブースで大学時代の仲間がJAZZ生演奏を披露したという!しかも哲哉さんもご自身のドラムセットを使って演奏したのだとか。「このキックの強い感じは哲哉だと一発で分かった」と彩さん。そのコメント、愛があるな~。笑 ▲ Domaine YuiのFacebookアカウントより。「イベントは参加者全員での乾杯でスタートしたんですが、会場全体がすっっっごく盛り上がって、熱気と一体感が最高でした!本当に楽しかった!」と目をキラキラ輝かせて説明してくれた。今年は参加できなかったのだが、行けばよかった…と後悔の念が広がる。 哲哉さんのことを「攻撃的で衝突を厭わず、ストレートで一貫している」と彩さんが評すれば、「闇が深くて陰鬱としているけど、開いた時には得も言われぬ熱情がある」と哲哉さんは彩さん像を説明する。随分性格が異なる2人のようだ。この性格は好きなものにも表れているそうで、哲哉さんのドラムのプレイスタイルが、高速でパワフルなトニー・ウィリアムズ風だとすれば、彩さんはどこかキレイだけど死にそうなところがあるビル・エヴァンズ風だと言う。好きな文学では、哲哉さんが絞り切れないといった風に「村上春樹からスタートした」と語ると、それを制するように、彩さんは「私は三島由紀夫」と断言した上で、「三島由紀夫の『豊饒の海』、特にその第一巻の『春の雪』が好き。夏目漱石の『夢十夜』も好きで、第一夜に出てくる、女性と死と月と花というモチーフがピノ・ノワールを思わせる。闇もありつつ、死にそうで、でもキレイ。破滅に向かう美を感じる」と。彩さんと話しているとアチラの世界に引きずられていきそうになる…。 ▲ 柔らかさの中に芯の強さを感じさせる彩さん。繊細さ故か、「人は好きなのになかなか近付けない。ハリネズミのジレンマ」だと仰る。なんてチャーミングなハリネズミだろう。 ▲ 意志の強さと、選ぶ言葉のキレの良さを感じさせられる哲哉さん。ご自身をワインに例えた際、カリフォルニアのジンファンデルorシャルドネ→オーストラリア、バロッサ・ヴァレーのシラーズ→南アのピノ・ノワールと変遷し、世界を周ってくれた。笑 因みに、映画だと「小津安二郎が好きだ」と哲哉さんがボソっと言ったら、「それは私でしょ!」とダメ出しを食らっていたので、文化面では、彩さんのテイストに哲哉さんがかなり影響を受けているようだ。 右脳と左脳が連動する2人 超が付く文化大好き人間の2人。天才肌の右脳系一筋で来たのかと思ったら、ロジックの左脳の強さも顔を出す。小さいころから絵を描くことが好きだったという哲哉さん。高校生の頃になると、絵だけで食べていくのは難しいと判断し、大学では建築学科で都市計画を学んでいたという。「建築も同じように食べていくのは厳しいんですけどね。苦笑」と言いつつ、卒業後は建築事務所で仕事していたそうだ。 一方の彩さん。ご両親や祖父母の代も学校の先生だったという家庭環境もあり、ご自身も学校の先生になることを夢見ていた少女時代を過ごす。そして大学では物理学科の理学部で実験に明け暮れていたそうだ。ゴリゴリの理系である。 超文系の身からすると、理系脳はかなり羨ましい。左脳を使って仕事をバリバリこなしつつ、右脳系もプロ級の腕前を誇るなんて。天は二物も三物も与えるようだ。...

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山形ワインバル2023

山形ワインバル2023

日本ワインコラム | 山形ワインバル2023 10周年記念となった「山形ワインバル2023」が7月1日、山形県上山市の上山城周辺で開催された。上山産ブドウを使用したワインや、山形県内外の多種多様なワインが楽しめる東北最大級のワインイベントで、今年は初参加の10社を含む47ワイナリーが出店するという。 10周年記念だし、これは行くしかな~い!ということで、「ラ・フェト・デ・ヴィニュロン・ア・ヨイチ2022」( →イベントの様子はこちらから )の時と同じメンバーで、意気揚々、参加してきた。どうやら鼻息荒く待ち構えていたのは我々だけではなかったようで、今回の参加者は過去最多の約3800人となったそうだ。 ▲ 山形ワインバル イベントサイトより。一度見ると忘れられないキャラクターだ。笑 イベント当日は、朝から沢山の人が「かみのやま温泉駅」に降り立った。東京駅から山形新幹線で約2時間半なので、朝に新幹線に乗ればイベントに十分間に合う。乗り換えも必要ないし、気軽に来られる距離が丁度いい! ▲どこを歩いても人!人!人! 去年は猛暑の中での開催だったそうだが、今年は時々雨がぱらつく曇り空。カラッと晴れた空も捨てがたいが、ワインを飲みながら色々と動き回るので、曇り空で気温が低い方が体力的にはありがたい。 それに曇り空も何のその。色んな人の話し声や笑い声が飛び交うにぎやかさ、出展者と参加者の熱気と気合で、アツイ会場になっているのだ。 花より団子な我々は、飲むこと&食べることに集中し過ぎて見落としていたのだが、浴衣の無料着付けサービスが用意されていて、浴衣姿の参加者をチラホラ目にした。浴衣の艶やかな色が涼を運んでくれ、お祭り感が増してワクワクする。みんな待ちに待っていたんだなぁと思わずにはいられない。 長く続いたアイドリング期間 今でこそ山形ワインの認知度は高く、山形ワインバルの来場者も多いが、この認知度を獲得するまでの道のりは、決して平たんではなかった。 さくらんぼを始めとする果物栽培が盛んな果物王国としても知られる山形県。ブドウ栽培も盛んで、生産量は全国3位。そして、その良質なブドウで造られるワインの生産量は全国4位と、日本ワインにおける重要な産地の一つだ。1870年代には山形県内でワイン造りが始まっていて、ワイン造りの歴史も長い。 その中で、上山市は蔵王連峰の裾野に広がる周囲を山で囲まれた盆地にあり、標高の高い場所に広がるブドウ畑は昼夜の寒暖差が大きく、比較的降雨量も少なく、水はけよく豊かな土壌で、ワイン用ブドウの栽培環境として非常に恵まれた場所だ。上山におけるワイン造りの歴史も長い。老舗「タケダワイナリー」は、明治初期より果樹栽培を開始し、1920年にワイン造りをスタートする。そして、1970年代には全国的にも先駆的に欧州系ワイン品種の栽培に着手、国内外でも高く評価されており、ご存知の方も多いだろう(→タケダワイナリーについてはこちらから )。 ▲ 町を散策していると遠くにブドウ畑が見える。 しかし、である。そこからが長かった。ワインバル開催10周年を記念して開催された「山形ワインバル前夜祭 セッション&グリーティング」で明かされたのだが、ワインバルがスタートした2014年の段階では、依然としてタケダワイナリーが上山で唯一のワイナリーだったそうだ。ポテンシャルの高い上山や山形でワイン造りを目指す人は存在したものの、行政のフォローが殆どなく、他県との競争に負けていたそうだ。今のこの盛り上がりからは信じられない姿である。 昔、非常に有名な醸造家がこの地でワイナリー建設を検討されていたが、結局諦めて他県に移動されたという話も出た…歴史にタラレバはないが、もしあの時…と考えずにはいられない。 上山の産地化に向けて一気呵成に動き出した 誰もがこのままでいいと思っていた訳ではないのだろう。ブドウの造り手やワイナリー、市内の温泉旅館のメンバーや観光物産協会を始めとする観光関係者、金融機関、そして行政等、関係者が集まり知恵を出し合い、様々な取組みを始めていく。2013年にかみのやまワインキックオフイベントを開催し、翌年2014年には「やまがたワインバルinかみのやま温泉」がスタート。2015年には「かみのやまワインの郷プロジェクト」が始動し、ワイン用ブドウの生産拡大や後継者の育成、ワイナリーの育成・誘致、ワインツーリズムやワイン飲食店の開店等、ワインを起点にした地域活性化に向けたワン・ストップでの支援体制を構築した。また、2016年には上山がワイン特区に認定され、産地化に向けた動きが加速し始めたのだ。 この10年でダダダダダダーっとこれまでの遅れを取り戻し、他の産地に負けない支援体制と盛り上がりを見せているという訳だ。その結果、現在上山にあるワイナリーの数は4軒にまで増え、ワイナリー開設を目指す人の流入が続いている他、ブドウ栽培の就農者も増えているという。 こうして、我々が「山形ワインバル」イベントを楽しめるのは、生産者と観光関係者や行政が本音をぶつけ合い、手を取り盛り上げてくれているからなのだ。有難い! 思い切り楽しもう!...

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山形ワインバル2023

日本ワインコラム | 山形ワインバル2023 10周年記念となった「山形ワインバル2023」が7月1日、山形県上山市の上山城周辺で開催された。上山産ブドウを使用したワインや、山形県内外の多種多様なワインが楽しめる東北最大級のワインイベントで、今年は初参加の10社を含む47ワイナリーが出店するという。 10周年記念だし、これは行くしかな~い!ということで、「ラ・フェト・デ・ヴィニュロン・ア・ヨイチ2022」( →イベントの様子はこちらから )の時と同じメンバーで、意気揚々、参加してきた。どうやら鼻息荒く待ち構えていたのは我々だけではなかったようで、今回の参加者は過去最多の約3800人となったそうだ。 ▲ 山形ワインバル イベントサイトより。一度見ると忘れられないキャラクターだ。笑 イベント当日は、朝から沢山の人が「かみのやま温泉駅」に降り立った。東京駅から山形新幹線で約2時間半なので、朝に新幹線に乗ればイベントに十分間に合う。乗り換えも必要ないし、気軽に来られる距離が丁度いい! ▲どこを歩いても人!人!人! 去年は猛暑の中での開催だったそうだが、今年は時々雨がぱらつく曇り空。カラッと晴れた空も捨てがたいが、ワインを飲みながら色々と動き回るので、曇り空で気温が低い方が体力的にはありがたい。 それに曇り空も何のその。色んな人の話し声や笑い声が飛び交うにぎやかさ、出展者と参加者の熱気と気合で、アツイ会場になっているのだ。 花より団子な我々は、飲むこと&食べることに集中し過ぎて見落としていたのだが、浴衣の無料着付けサービスが用意されていて、浴衣姿の参加者をチラホラ目にした。浴衣の艶やかな色が涼を運んでくれ、お祭り感が増してワクワクする。みんな待ちに待っていたんだなぁと思わずにはいられない。 長く続いたアイドリング期間 今でこそ山形ワインの認知度は高く、山形ワインバルの来場者も多いが、この認知度を獲得するまでの道のりは、決して平たんではなかった。 さくらんぼを始めとする果物栽培が盛んな果物王国としても知られる山形県。ブドウ栽培も盛んで、生産量は全国3位。そして、その良質なブドウで造られるワインの生産量は全国4位と、日本ワインにおける重要な産地の一つだ。1870年代には山形県内でワイン造りが始まっていて、ワイン造りの歴史も長い。 その中で、上山市は蔵王連峰の裾野に広がる周囲を山で囲まれた盆地にあり、標高の高い場所に広がるブドウ畑は昼夜の寒暖差が大きく、比較的降雨量も少なく、水はけよく豊かな土壌で、ワイン用ブドウの栽培環境として非常に恵まれた場所だ。上山におけるワイン造りの歴史も長い。老舗「タケダワイナリー」は、明治初期より果樹栽培を開始し、1920年にワイン造りをスタートする。そして、1970年代には全国的にも先駆的に欧州系ワイン品種の栽培に着手、国内外でも高く評価されており、ご存知の方も多いだろう(→タケダワイナリーについてはこちらから )。 ▲ 町を散策していると遠くにブドウ畑が見える。 しかし、である。そこからが長かった。ワインバル開催10周年を記念して開催された「山形ワインバル前夜祭 セッション&グリーティング」で明かされたのだが、ワインバルがスタートした2014年の段階では、依然としてタケダワイナリーが上山で唯一のワイナリーだったそうだ。ポテンシャルの高い上山や山形でワイン造りを目指す人は存在したものの、行政のフォローが殆どなく、他県との競争に負けていたそうだ。今のこの盛り上がりからは信じられない姿である。 昔、非常に有名な醸造家がこの地でワイナリー建設を検討されていたが、結局諦めて他県に移動されたという話も出た…歴史にタラレバはないが、もしあの時…と考えずにはいられない。 上山の産地化に向けて一気呵成に動き出した 誰もがこのままでいいと思っていた訳ではないのだろう。ブドウの造り手やワイナリー、市内の温泉旅館のメンバーや観光物産協会を始めとする観光関係者、金融機関、そして行政等、関係者が集まり知恵を出し合い、様々な取組みを始めていく。2013年にかみのやまワインキックオフイベントを開催し、翌年2014年には「やまがたワインバルinかみのやま温泉」がスタート。2015年には「かみのやまワインの郷プロジェクト」が始動し、ワイン用ブドウの生産拡大や後継者の育成、ワイナリーの育成・誘致、ワインツーリズムやワイン飲食店の開店等、ワインを起点にした地域活性化に向けたワン・ストップでの支援体制を構築した。また、2016年には上山がワイン特区に認定され、産地化に向けた動きが加速し始めたのだ。 この10年でダダダダダダーっとこれまでの遅れを取り戻し、他の産地に負けない支援体制と盛り上がりを見せているという訳だ。その結果、現在上山にあるワイナリーの数は4軒にまで増え、ワイナリー開設を目指す人の流入が続いている他、ブドウ栽培の就農者も増えているという。 こうして、我々が「山形ワインバル」イベントを楽しめるのは、生産者と観光関係者や行政が本音をぶつけ合い、手を取り盛り上げてくれているからなのだ。有難い! 思い切り楽しもう!...

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長野・ドメーヌ・コーセイ

長野・ドメーヌ・コーセイ

日本ワインコラム | ドメーヌコーセイ 長野県塩尻市にやってきた。長野県のほぼ中央に位置し、北アルプスの3000m級の山を西に臨む松本盆地の南に位置し、一級河川「奈良井川」とその支流地域にある火山灰質の段丘で、信州桔梗ヶ原ワインバレーと称されるエリアだ。標高が高く、昼夜の寒暖差もある一方、日照時間は長く、年間降雨量が少ないこの地はブドウ栽培に適しており、なんと1890年からワイン用ブドウ栽培が行われてきた、日本ワインの先進地だ。 ▲ ドメーヌ・コーセイの畑の一部。整然と並ぶブドウの木と後ろにそびえる山が美しい。 そんな日本ワインの歴史が詰まった塩尻市の片丘地区で、意外な人物が、意外なワインを造っておられる。 今回取材した味村さんだ。山梨大学・大学院でワインの勉強をし、1980年代にはフランスでワインを学び、シャトー・メルシャンという、長い歴史を持った「日本ワインの原点」ともいえる会社で長くワイン醸造の責任者として活躍されてきた。 そんな日本ワイン会の大御所と言える方が、定年を待たずに独立。2016年に塩尻市片丘地区でブドウ栽培を開始し、2019年にご自身の名前を付したワイナリーをオープンしたのだ。気にならない訳がない。その味村さんが選んだ道は、塩尻でのメルロに特化したワイン造り。 ▲ ワイナリーの前に立つ味村さん。D KOSEIと記された樽が味わい深い。 なぜ独立なのか?なぜ塩尻なのか?なぜメルロだけなのか?そこにはロマンティストとリアリストが共存する味村さんだからこそのワイン造りが見えてきた。。 ワインと共にある人生 ワイン以外の趣味はない。ワイン以外のお酒も飲まない。纏まった休みが取れたとしても、ワイン片手にゴロゴロできればそれで満足。 仕事も趣味もワインという味村さん。天職という言葉がこれほどピッタリな方もそうはいないだろう。幼少期は農家になりたくなかったそうなので、目論見が外れたとすれば、ワイン造りの中心に農作業があることくらいだろうか。 山口県岩国市のご出身。ご実家はお酒の業務用卸をされていたそうで、お酒は身近な存在だった。人生の転機は山梨大学および大学院でワインを勉強したこと。その転機をもたらしたのは味村さんの叔父だった。大学でドイツ語の教鞭をとる叔父の薦めで、ドイツ、モーゼルのリースリングを飲み、あまりの美味しさに感動し、ワインの道に進むことを決意したそうだ。以降、45年という長い歳月をワインと共に過ごされている。 ▲ 畑でにこやかに色々と説明して下さる味村さん。どんな質問にも嫌な顔一つせず、答えて下さる。 ▲ ふとした仕草が教授っぽい(笑)? 山梨大学院卒業後、味村さんはメルシャンに入社し研究所での業務をスタートする。1980年代後半にはフランス・ボルドー大学へ派遣され、その後パリ事務所でも勤務された。日本に戻ってからは、メルシャン勝沼工場で醸造責任者として、多数のワインを世に送り出してきた。メルシャンの「甲州きいろ香」という大ヒットした商品をご存知の方もおられるだろう。味村さんが醸造責任者として携わったものだ。 申し分のないアカデミックなバックグラウンドだけでなく、ビジネス面でも大成功を収めた方。軽々しくお話するのが憚られるくらい、巨匠感が凄い…にもかかわらず、味村さんは気さくで優しい。インタビューの合間も、こちらに質問を投げかけて下さり、相手を知ろうとされる姿がフラットで、話しているとついつい偉大な方だということを忘れて、昔からの知人のような感覚になってしまうのだ(おこがましくてスミマセン…)。 ドメーヌ・コーセイの設立~3つのなぜ~ その1:なぜ独立? そんな偉大で気さくな味村さんがメルシャンから独立したのは、定年を2年後に控えた時。人柄や実績に鑑みても社内で味村さんを慕う方は多かっただろうし、長く勤めた会社の居心地も良かっただろうと推測する。このまま2年間普通に勤め上げて、ちょっとゆっくりしようかな、と思うのが世の常、人の常ではないかと思うのだが、味村さんは違う。 「自分の思い描くものを造りたい。」 この思いから独立したと言う。ロマンティストの一面が見えないだろうか?いくら醸造責任者とは言え、やはり組織に属するということは組織の考えに沿ったモノ作りが基本だ。関係者が多くなればなるほど、自分の考えと合致しない点も増えるだろう。長く組織に属していると徐々に感覚が麻痺して、初期に感じたはずの違和感が消えていくことが多いが、味村さんは心の奥底に、「自分だったら…」という思いをずっと忘れずに持っておられたのだと思う。ピュアで真直ぐな気持ちが響く。 ▲ ワイナリーに並ぶドメーヌ・コーセイのワイン。...

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長野・ドメーヌ・コーセイ

日本ワインコラム | ドメーヌコーセイ 長野県塩尻市にやってきた。長野県のほぼ中央に位置し、北アルプスの3000m級の山を西に臨む松本盆地の南に位置し、一級河川「奈良井川」とその支流地域にある火山灰質の段丘で、信州桔梗ヶ原ワインバレーと称されるエリアだ。標高が高く、昼夜の寒暖差もある一方、日照時間は長く、年間降雨量が少ないこの地はブドウ栽培に適しており、なんと1890年からワイン用ブドウ栽培が行われてきた、日本ワインの先進地だ。 ▲ ドメーヌ・コーセイの畑の一部。整然と並ぶブドウの木と後ろにそびえる山が美しい。 そんな日本ワインの歴史が詰まった塩尻市の片丘地区で、意外な人物が、意外なワインを造っておられる。 今回取材した味村さんだ。山梨大学・大学院でワインの勉強をし、1980年代にはフランスでワインを学び、シャトー・メルシャンという、長い歴史を持った「日本ワインの原点」ともいえる会社で長くワイン醸造の責任者として活躍されてきた。 そんな日本ワイン会の大御所と言える方が、定年を待たずに独立。2016年に塩尻市片丘地区でブドウ栽培を開始し、2019年にご自身の名前を付したワイナリーをオープンしたのだ。気にならない訳がない。その味村さんが選んだ道は、塩尻でのメルロに特化したワイン造り。 ▲ ワイナリーの前に立つ味村さん。D KOSEIと記された樽が味わい深い。 なぜ独立なのか?なぜ塩尻なのか?なぜメルロだけなのか?そこにはロマンティストとリアリストが共存する味村さんだからこそのワイン造りが見えてきた。。 ワインと共にある人生 ワイン以外の趣味はない。ワイン以外のお酒も飲まない。纏まった休みが取れたとしても、ワイン片手にゴロゴロできればそれで満足。 仕事も趣味もワインという味村さん。天職という言葉がこれほどピッタリな方もそうはいないだろう。幼少期は農家になりたくなかったそうなので、目論見が外れたとすれば、ワイン造りの中心に農作業があることくらいだろうか。 山口県岩国市のご出身。ご実家はお酒の業務用卸をされていたそうで、お酒は身近な存在だった。人生の転機は山梨大学および大学院でワインを勉強したこと。その転機をもたらしたのは味村さんの叔父だった。大学でドイツ語の教鞭をとる叔父の薦めで、ドイツ、モーゼルのリースリングを飲み、あまりの美味しさに感動し、ワインの道に進むことを決意したそうだ。以降、45年という長い歳月をワインと共に過ごされている。 ▲ 畑でにこやかに色々と説明して下さる味村さん。どんな質問にも嫌な顔一つせず、答えて下さる。 ▲ ふとした仕草が教授っぽい(笑)? 山梨大学院卒業後、味村さんはメルシャンに入社し研究所での業務をスタートする。1980年代後半にはフランス・ボルドー大学へ派遣され、その後パリ事務所でも勤務された。日本に戻ってからは、メルシャン勝沼工場で醸造責任者として、多数のワインを世に送り出してきた。メルシャンの「甲州きいろ香」という大ヒットした商品をご存知の方もおられるだろう。味村さんが醸造責任者として携わったものだ。 申し分のないアカデミックなバックグラウンドだけでなく、ビジネス面でも大成功を収めた方。軽々しくお話するのが憚られるくらい、巨匠感が凄い…にもかかわらず、味村さんは気さくで優しい。インタビューの合間も、こちらに質問を投げかけて下さり、相手を知ろうとされる姿がフラットで、話しているとついつい偉大な方だということを忘れて、昔からの知人のような感覚になってしまうのだ(おこがましくてスミマセン…)。 ドメーヌ・コーセイの設立~3つのなぜ~ その1:なぜ独立? そんな偉大で気さくな味村さんがメルシャンから独立したのは、定年を2年後に控えた時。人柄や実績に鑑みても社内で味村さんを慕う方は多かっただろうし、長く勤めた会社の居心地も良かっただろうと推測する。このまま2年間普通に勤め上げて、ちょっとゆっくりしようかな、と思うのが世の常、人の常ではないかと思うのだが、味村さんは違う。 「自分の思い描くものを造りたい。」 この思いから独立したと言う。ロマンティストの一面が見えないだろうか?いくら醸造責任者とは言え、やはり組織に属するということは組織の考えに沿ったモノ作りが基本だ。関係者が多くなればなるほど、自分の考えと合致しない点も増えるだろう。長く組織に属していると徐々に感覚が麻痺して、初期に感じたはずの違和感が消えていくことが多いが、味村さんは心の奥底に、「自分だったら…」という思いをずっと忘れずに持っておられたのだと思う。ピュアで真直ぐな気持ちが響く。 ▲ ワイナリーに並ぶドメーヌ・コーセイのワイン。...

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