日本ワインコラム

THE CELLAR ワイン特集
北海道・達布 宮本ヴィンヤード

北海道・達布 宮本ヴィンヤード

日本ワインコラム | 北海道・達布 宮本ヴィンヤード 宮本ヴィンヤード は、北海道三笠市達布地区に位置するヴィンヤード。 2011年より、葡萄畑の開墾を始め、ピノノワール、シャルドネ、ピノグリなどを中心に約4,000本を植樹した(※現在は約3ha、8000本)。広さにして2haほどの、急斜面上に広がる畑はタキザワワイナリーに隣接して位置し、 自園より収穫された葡萄の醸造は2020年ヴィンテージまで タキザワワイナリーの施設を使用しておこなってきた。 ▲ 宮本ヴィンヤード は、TAKIZAWA WINARY に隣接した南西向きの斜面上に自社畑を所有している。 ▲ 宮本ヴィンヤード 宮本亮平氏 今考えると、ワインと出会うために調理師学校に通っていたのだと思います。 調理師学校時代、20歳でワインに心を打たれた宮本さんは、調理師の職を得た後も、その魅惑の沼に沈み続け、所得の大半をワインでフランベする情熱的な日々を送った。 やがて、調理師としての仕事にピリオドを打つと、2002年に長野県の著名な生産者である「小布施ワイナリー」に乗り込んだ。日本ワイン特集でピノノワールの栽培家として紹介されていた事が決め手だったそうである。 「ここで働かせてください!」のような特攻スタイルと言えばいいのだろうか。 単身、小布施ワイナリーでの研修を申し出た。どういうわけか、そのアタックは功を奏し宮本さんのワイン造りのヴォワイヤージュがスタートした。 突然押しかけた私を受け入れて、ワイン造りを教えてくださった曽我さんには本当に感謝しています。私の恩人の一人です。 小布施ワイナリーでの研修を経て、ニュージ―ランドの楠田ワインズ、リムグローヴワイナリーなど、著名なピノノワールの生産者の下で修行を積み、日本に帰った宮本さんはいよいよ運命的な出逢いを果たす。 ジャッキー・トルショーというドメーヌをご存じだろうか。 ブルゴーニュは、コートドニュイ、モレサンドニの往年のスター選手である。 2005年ヴィンテージを最後に引退し、所有する畑の殆どを売却したこの生産者のワインは、一世代前の、ダイナミックかつエレガントなピノノワールのあり方を象徴する素晴らしい作品だった。現役時代、彼のワインは殆ど日本へ入ってきておらず、幻のように扱われていた。現在では、入手可能性は極端に低いといってよい。法外な金額を支払う準備があれば話は別だが。 そんな希少なピノノワールは、宮本さんの心に響く味わいだった。 唯一心を揺らしたというトルショーに従事したい一心で直後ブルゴーニュへ飛んだ。そして2004-2005年、トルショーが引退するまでの最後の2年間を彼のドメーヌで過ごすことになる。 その後は、ワイン生産者のための職業訓練学校であるC.F.P.P.Aやジョルジュ・ルーミエでの研修を重ねた。...

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北海道・達布 宮本ヴィンヤード

日本ワインコラム | 北海道・達布 宮本ヴィンヤード 宮本ヴィンヤード は、北海道三笠市達布地区に位置するヴィンヤード。 2011年より、葡萄畑の開墾を始め、ピノノワール、シャルドネ、ピノグリなどを中心に約4,000本を植樹した(※現在は約3ha、8000本)。広さにして2haほどの、急斜面上に広がる畑はタキザワワイナリーに隣接して位置し、 自園より収穫された葡萄の醸造は2020年ヴィンテージまで タキザワワイナリーの施設を使用しておこなってきた。 ▲ 宮本ヴィンヤード は、TAKIZAWA WINARY に隣接した南西向きの斜面上に自社畑を所有している。 ▲ 宮本ヴィンヤード 宮本亮平氏 今考えると、ワインと出会うために調理師学校に通っていたのだと思います。 調理師学校時代、20歳でワインに心を打たれた宮本さんは、調理師の職を得た後も、その魅惑の沼に沈み続け、所得の大半をワインでフランベする情熱的な日々を送った。 やがて、調理師としての仕事にピリオドを打つと、2002年に長野県の著名な生産者である「小布施ワイナリー」に乗り込んだ。日本ワイン特集でピノノワールの栽培家として紹介されていた事が決め手だったそうである。 「ここで働かせてください!」のような特攻スタイルと言えばいいのだろうか。 単身、小布施ワイナリーでの研修を申し出た。どういうわけか、そのアタックは功を奏し宮本さんのワイン造りのヴォワイヤージュがスタートした。 突然押しかけた私を受け入れて、ワイン造りを教えてくださった曽我さんには本当に感謝しています。私の恩人の一人です。 小布施ワイナリーでの研修を経て、ニュージ―ランドの楠田ワインズ、リムグローヴワイナリーなど、著名なピノノワールの生産者の下で修行を積み、日本に帰った宮本さんはいよいよ運命的な出逢いを果たす。 ジャッキー・トルショーというドメーヌをご存じだろうか。 ブルゴーニュは、コートドニュイ、モレサンドニの往年のスター選手である。 2005年ヴィンテージを最後に引退し、所有する畑の殆どを売却したこの生産者のワインは、一世代前の、ダイナミックかつエレガントなピノノワールのあり方を象徴する素晴らしい作品だった。現役時代、彼のワインは殆ど日本へ入ってきておらず、幻のように扱われていた。現在では、入手可能性は極端に低いといってよい。法外な金額を支払う準備があれば話は別だが。 そんな希少なピノノワールは、宮本さんの心に響く味わいだった。 唯一心を揺らしたというトルショーに従事したい一心で直後ブルゴーニュへ飛んだ。そして2004-2005年、トルショーが引退するまでの最後の2年間を彼のドメーヌで過ごすことになる。 その後は、ワイン生産者のための職業訓練学校であるC.F.P.P.Aやジョルジュ・ルーミエでの研修を重ねた。...

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日本ワインコラム~北海道・空知 KONDOヴィンヤード

日本ワインコラム~北海道・空知 KONDOヴィンヤード

日本ワインコラム | 北海道・空知 KONDOヴィンヤード KONDOヴィンヤードは、北海道岩見沢市を拠点とするワイナリーだ。 山﨑ワイナリーやタキザワワイナリーなどが構える三笠市の達布に、2007年より開墾した「タプコプ」、岩見沢市に「モセウシ」の二つの自社農園を所有する。10Rワイナリーで5年間の委託醸造によるワインの生産を経て、2017年にはモセウシに隣接する形で、「中澤ヴィンヤード」と共同で用いるワイナリー「栗澤ワインズ」を設立した。 我々が訪問したのは、そのワイナリーがある茂世丑(モセウシ)。 周囲にはとりあえず何もない。なんというか記号学的に、我々は言葉を持たない対象を識別できないわけだけれど、北海道へ行くとそれをリアルに体感させられる。多分何かあるのだろうが、私の自然な語彙の中にそれらを叙述する言葉ないがために、なにもないのと同じなのだ。遠くに濃い緑と近くに薄い緑?なんていうとバカみたいだけれど、そういう感覚だ。 ▲ 緩やかな北向きの斜面上に「モセウシ」は広がっている。ご覧の通り、葡萄以外には空しかなく、非常に日当たりがいい。 ▲ 2017年竣工のワイナリー。傾斜地を利用し、半地下の熟成庫を持った設計となっている。 畑に出ることが、僕らの仕事なんだ。ということが非常に大事なんです。自分は農家だという意識が大事で、土砂降りでもない限り必ず畑に出る。他人より長く畑で作業しているという自覚はあります。 大事なことは農家であること。 農家であることは、畑に出て行くこと。 より長い時間を畑での作業に費やすこと。確かに重要なエッセンスであるのだろうが、私は凡庸な人間だから、例えばイチローが「最高のコンディションで試合に臨むための準備は常にできています。」というときの、肩透かしにあったような感覚と同じものを覚える。 しかし、KONDOヴィンヤード 近藤良介さんが発する「農家である」ことが意味するものは、彼が畑や醸造所で繰り広げる、特異なチャレンジの数々のなかにしっかりと焼き付けられている。 近藤さんのヴィンヤードの特徴として、ひとつ看板のようなかたちをもって挙げられるのが「混植」という栽培方法だ。北海道では複数品種を混ぜて醸造する混醸が、ひとつの波になっているように思われる。モンガク谷ワイナリー、ル・レーヴ ワイナリーなどもそのうちに数えられる。彼らは、異なる葡萄を区画に分けて栽培し、最終的な醸造段階で混ぜ合わせるようなプロセスをとるが、KONDOヴィンヤードではその点が異なる。 ▲ 垂直バスケット式プレス機。このプレスで、最長2日という長い時間をかけてゆっくりと絞ることが、澱や雑味のない綺麗な果汁を取り出す秘訣だ。 「いえ、それじゃあ本当の混植じゃないんですよ。」 「一緒にしないでくれますか。」という語気として誤解されても仕方ない形で、鼻を鳴らす寸前まで至る近藤さん。 おそらくそんな排他的な意図はないので、誤解しないでください。 しかし、「本当の混植」を実践するKONDOヴィンヤードでは、植樹前の苗木の段階で、複数の品種がぐじゃぐじゃに混ぜられ、それをそのまま、どこに何を植えているのかわからない状態で植樹する。極めてリアルに混然としているのだ。そこには、独立以前の8年間を葡萄栽培家として過ごしてきた経験が教える、リスクヘッジの発想が前提として含まれている。 ▲ 半地下の熟成庫。KONDOヴィンヤードと中澤ヴィンヤードのワインがここで熟成されている。訪問時は研修生の方がステンレス樽を洗浄中でした。 歌志内で葡萄の栽培をしていたときに、意図的ではなくて間違って混植になっている区画があったんです。セイベルとツヴァイゲルトだったのですが、セイベルは病気に強いから、あまり防除の必要がないんです。だから、ほとんど農薬をまいていませんでした。そうしたら、ツヴァイゲルト単一が植えられている区画は、セイベルに比べて多くの農薬が必要だったにもかかわらず、その混植区画のツヴァイゲルトには同様の防除がなくても病気が出なかったのです。そこで、多品種を混植することで、病気耐性においてもある品種が他の品種の影響を受けていくということがわかりました。 これは、混植において近藤さんの経験値が語る側面と言えるだろう。...

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日本ワインコラム~北海道・空知 KONDOヴィンヤード

日本ワインコラム | 北海道・空知 KONDOヴィンヤード KONDOヴィンヤードは、北海道岩見沢市を拠点とするワイナリーだ。 山﨑ワイナリーやタキザワワイナリーなどが構える三笠市の達布に、2007年より開墾した「タプコプ」、岩見沢市に「モセウシ」の二つの自社農園を所有する。10Rワイナリーで5年間の委託醸造によるワインの生産を経て、2017年にはモセウシに隣接する形で、「中澤ヴィンヤード」と共同で用いるワイナリー「栗澤ワインズ」を設立した。 我々が訪問したのは、そのワイナリーがある茂世丑(モセウシ)。 周囲にはとりあえず何もない。なんというか記号学的に、我々は言葉を持たない対象を識別できないわけだけれど、北海道へ行くとそれをリアルに体感させられる。多分何かあるのだろうが、私の自然な語彙の中にそれらを叙述する言葉ないがために、なにもないのと同じなのだ。遠くに濃い緑と近くに薄い緑?なんていうとバカみたいだけれど、そういう感覚だ。 ▲ 緩やかな北向きの斜面上に「モセウシ」は広がっている。ご覧の通り、葡萄以外には空しかなく、非常に日当たりがいい。 ▲ 2017年竣工のワイナリー。傾斜地を利用し、半地下の熟成庫を持った設計となっている。 畑に出ることが、僕らの仕事なんだ。ということが非常に大事なんです。自分は農家だという意識が大事で、土砂降りでもない限り必ず畑に出る。他人より長く畑で作業しているという自覚はあります。 大事なことは農家であること。 農家であることは、畑に出て行くこと。 より長い時間を畑での作業に費やすこと。確かに重要なエッセンスであるのだろうが、私は凡庸な人間だから、例えばイチローが「最高のコンディションで試合に臨むための準備は常にできています。」というときの、肩透かしにあったような感覚と同じものを覚える。 しかし、KONDOヴィンヤード 近藤良介さんが発する「農家である」ことが意味するものは、彼が畑や醸造所で繰り広げる、特異なチャレンジの数々のなかにしっかりと焼き付けられている。 近藤さんのヴィンヤードの特徴として、ひとつ看板のようなかたちをもって挙げられるのが「混植」という栽培方法だ。北海道では複数品種を混ぜて醸造する混醸が、ひとつの波になっているように思われる。モンガク谷ワイナリー、ル・レーヴ ワイナリーなどもそのうちに数えられる。彼らは、異なる葡萄を区画に分けて栽培し、最終的な醸造段階で混ぜ合わせるようなプロセスをとるが、KONDOヴィンヤードではその点が異なる。 ▲ 垂直バスケット式プレス機。このプレスで、最長2日という長い時間をかけてゆっくりと絞ることが、澱や雑味のない綺麗な果汁を取り出す秘訣だ。 「いえ、それじゃあ本当の混植じゃないんですよ。」 「一緒にしないでくれますか。」という語気として誤解されても仕方ない形で、鼻を鳴らす寸前まで至る近藤さん。 おそらくそんな排他的な意図はないので、誤解しないでください。 しかし、「本当の混植」を実践するKONDOヴィンヤードでは、植樹前の苗木の段階で、複数の品種がぐじゃぐじゃに混ぜられ、それをそのまま、どこに何を植えているのかわからない状態で植樹する。極めてリアルに混然としているのだ。そこには、独立以前の8年間を葡萄栽培家として過ごしてきた経験が教える、リスクヘッジの発想が前提として含まれている。 ▲ 半地下の熟成庫。KONDOヴィンヤードと中澤ヴィンヤードのワインがここで熟成されている。訪問時は研修生の方がステンレス樽を洗浄中でした。 歌志内で葡萄の栽培をしていたときに、意図的ではなくて間違って混植になっている区画があったんです。セイベルとツヴァイゲルトだったのですが、セイベルは病気に強いから、あまり防除の必要がないんです。だから、ほとんど農薬をまいていませんでした。そうしたら、ツヴァイゲルト単一が植えられている区画は、セイベルに比べて多くの農薬が必要だったにもかかわらず、その混植区画のツヴァイゲルトには同様の防除がなくても病気が出なかったのです。そこで、多品種を混植することで、病気耐性においてもある品種が他の品種の影響を受けていくということがわかりました。 これは、混植において近藤さんの経験値が語る側面と言えるだろう。...

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長野・楠わいなりー

長野・楠わいなりー

日本ワインコラム | 長野・楠わいなりー 「それまで(前職を辞めるまで)の人生は、あまり充実したものでなかったし、後悔が多くありました。」 東北大学工学部。それも同学府が誇る金属工学科(「トンペー」の理系は少なからず、「金研」を不遇な青春の心の支えに生きている)を卒業したのち、航空機リースなどの商社マンとして、シンガポール駐在を含めおよそ20年間のキャリアを形成してきた楠茂幸さん。筆者の視点からすれば、「やっぱ金属だな。」というのは冗談で、多少の後悔なんてものは気にならないのではと訝しむほど、それは華麗な人生であるように思われる。勝手な想像は誠に良くないけれど。 ともあれ、楠さんはビジネスクラスから腰を上げ、スーツを脱ぎ捨て、故郷の長野県須坂市で葡萄栽培を始めた。 ▲ 須坂市の住宅街の一角に位置する「楠わいなりー」。朗らかで雰囲気のいい庭では、地域の方々を交えたイベントなども開催される。 「須坂に戻り、父が亡くなってから2年間はアデレードで醸造栽培を勉強しました。どうせ学ぶなら、最高峰の教育を受けたいと思いまして。」 学舎として選んだのは、オーストラリアが誇る最高学府の一つアデレード大学。ノーベル賞受賞者を多数輩出する凄い大学、なんていうと筆者の水溜りほどもない教養レベルが知れるようだが、南オーストラリアのワイン産業の発展に大きく寄与したのがこの大学の葡萄栽培醸造学部である。 終始物静かな大学教授のように、理知的にインタビューに応えてくださった楠さんだが、ある種アカデミア的な背景・視点や彼のもつ雰囲気は、楠わいなりーの公式HP>>プロフィール>>「栽培について」・「醸造について」に、ブワァーっと表現されているので、是非ご一読ください。読了の果てに、このコラムは存在意義を失うのだけど。 とりあえず、短い講義とも言える構成になっているので、マニア諸兄は是非。 ▲ ワイナリーに併設するショップでは、楠わいなりーでもハイクラスのワインが有料で試飲可能。それぞれに最適な形状のグラスで楽しめる贅沢なテイスティングです。 さて、長野県須坂市、千曲川に向かって西向きの扇状地の上に楠わいなりーは位置している。長野といえば、メルロやシャルドネ。 大手酒造メーカーによって、それらの栽培が広く伝搬していた中で、楠さんはアデレードで得た知見を元に自身で地域の最適解を模索した。 単に積算温度を見るのではなくて、グラッド・ストーンの“BEDD”ですね、それを計算したら、世界の銘醸地と比べても遜色ない値であることがわかりました。ある種、全国どこでも葡萄を造ることはできるのですが、(この土地が)日本における葡萄栽培の最適地である、ということだと思います。 ▲ ラインナップの中でもセンターポジションにある、2年の瓶熟成を経たピノノワール ロゼ 2017が、超おすすめとのことです。是非お試しください! 一般的な有効積算温度は、植物の生育に有効な最低温度(だいたい10℃)を排除して積算するが、 BEDD(:Biologically effective days degrees) は、最高温度(この場合19℃)を設定して、それ以上の気温を19℃として積算して得られる値。さらに、それは気候、地理的条件、日照時間の長さ、日中の温度範囲、温度-生長、などによって補正される。植物の生長に必要な酵素反応が、差し支えなく起こる温度帯を考慮している指数なのだが、まぁ要するに、人間も暑すぎたら何もしたくなくなるし、寒すぎたら布団から出たくなくなる。というようなお話、のはずである。 グラッド・ストーンという人が、土地における最適品種を導くために導入した指数だそうで、須坂市の値はフランス・ボルドーの値に非常に近い。 楠わいなりーのラインナップの中でも、特徴的な1本がある。「日滝原」と名付けられたそのワインは、セミヨンとソーヴィニヨン・ブランのブレンド。日本ではあまり多く見かけないボルドーブレンドの白ワインだ。 「ずっとワインを勉強していたときに考えていたことがあって、それはどう言ったワインが日本食に合うのか、です。その中で、お寿司とかお刺身とかフレッシュ海産物に合うワインとして到達した結論が、セミヨン、ソーヴィニヨン・ブランのブレンドでした。他にセミヨンを栽培しているところは少ないですし、ソーヴィニヨン・ブランに関しても、比較的早いほうでした。シャルドネやメルロは、既に長野県では確立されていましたから、そう言った自分の好みも(品種選びに)反映されています。」...

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長野・楠わいなりー

日本ワインコラム | 長野・楠わいなりー 「それまで(前職を辞めるまで)の人生は、あまり充実したものでなかったし、後悔が多くありました。」 東北大学工学部。それも同学府が誇る金属工学科(「トンペー」の理系は少なからず、「金研」を不遇な青春の心の支えに生きている)を卒業したのち、航空機リースなどの商社マンとして、シンガポール駐在を含めおよそ20年間のキャリアを形成してきた楠茂幸さん。筆者の視点からすれば、「やっぱ金属だな。」というのは冗談で、多少の後悔なんてものは気にならないのではと訝しむほど、それは華麗な人生であるように思われる。勝手な想像は誠に良くないけれど。 ともあれ、楠さんはビジネスクラスから腰を上げ、スーツを脱ぎ捨て、故郷の長野県須坂市で葡萄栽培を始めた。 ▲ 須坂市の住宅街の一角に位置する「楠わいなりー」。朗らかで雰囲気のいい庭では、地域の方々を交えたイベントなども開催される。 「須坂に戻り、父が亡くなってから2年間はアデレードで醸造栽培を勉強しました。どうせ学ぶなら、最高峰の教育を受けたいと思いまして。」 学舎として選んだのは、オーストラリアが誇る最高学府の一つアデレード大学。ノーベル賞受賞者を多数輩出する凄い大学、なんていうと筆者の水溜りほどもない教養レベルが知れるようだが、南オーストラリアのワイン産業の発展に大きく寄与したのがこの大学の葡萄栽培醸造学部である。 終始物静かな大学教授のように、理知的にインタビューに応えてくださった楠さんだが、ある種アカデミア的な背景・視点や彼のもつ雰囲気は、楠わいなりーの公式HP>>プロフィール>>「栽培について」・「醸造について」に、ブワァーっと表現されているので、是非ご一読ください。読了の果てに、このコラムは存在意義を失うのだけど。 とりあえず、短い講義とも言える構成になっているので、マニア諸兄は是非。 ▲ ワイナリーに併設するショップでは、楠わいなりーでもハイクラスのワインが有料で試飲可能。それぞれに最適な形状のグラスで楽しめる贅沢なテイスティングです。 さて、長野県須坂市、千曲川に向かって西向きの扇状地の上に楠わいなりーは位置している。長野といえば、メルロやシャルドネ。 大手酒造メーカーによって、それらの栽培が広く伝搬していた中で、楠さんはアデレードで得た知見を元に自身で地域の最適解を模索した。 単に積算温度を見るのではなくて、グラッド・ストーンの“BEDD”ですね、それを計算したら、世界の銘醸地と比べても遜色ない値であることがわかりました。ある種、全国どこでも葡萄を造ることはできるのですが、(この土地が)日本における葡萄栽培の最適地である、ということだと思います。 ▲ ラインナップの中でもセンターポジションにある、2年の瓶熟成を経たピノノワール ロゼ 2017が、超おすすめとのことです。是非お試しください! 一般的な有効積算温度は、植物の生育に有効な最低温度(だいたい10℃)を排除して積算するが、 BEDD(:Biologically effective days degrees) は、最高温度(この場合19℃)を設定して、それ以上の気温を19℃として積算して得られる値。さらに、それは気候、地理的条件、日照時間の長さ、日中の温度範囲、温度-生長、などによって補正される。植物の生長に必要な酵素反応が、差し支えなく起こる温度帯を考慮している指数なのだが、まぁ要するに、人間も暑すぎたら何もしたくなくなるし、寒すぎたら布団から出たくなくなる。というようなお話、のはずである。 グラッド・ストーンという人が、土地における最適品種を導くために導入した指数だそうで、須坂市の値はフランス・ボルドーの値に非常に近い。 楠わいなりーのラインナップの中でも、特徴的な1本がある。「日滝原」と名付けられたそのワインは、セミヨンとソーヴィニヨン・ブランのブレンド。日本ではあまり多く見かけないボルドーブレンドの白ワインだ。 「ずっとワインを勉強していたときに考えていたことがあって、それはどう言ったワインが日本食に合うのか、です。その中で、お寿司とかお刺身とかフレッシュ海産物に合うワインとして到達した結論が、セミヨン、ソーヴィニヨン・ブランのブレンドでした。他にセミヨンを栽培しているところは少ないですし、ソーヴィニヨン・ブランに関しても、比較的早いほうでした。シャルドネやメルロは、既に長野県では確立されていましたから、そう言った自分の好みも(品種選びに)反映されています。」...

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長野・信州たかやまワイナリー

長野・信州たかやまワイナリー

日本ワインコラム | 長野・信州たかやまワイナリー 「産地の形成」その役割を担うワイン生産者は数多くいるだろうし、あるいは、ほとんどの生産者がそうであるといっても過言ではないかもしれない。ワイン新興国の日本にとって、各地域がワイン生産地として確立されることが大きな目標で、それぞれの地域はそれぞれのやり方で、ワイン造りとその普及に励んでいる。そんな中で、「信州たかやまワイナリー」の鷹野さんは、おそらく最も現実的かつ建設的なかたちで、その活動に携わる人の中の一人だと感じる。 ▲ 高山村に醸造用葡萄を広めた第一人者佐藤宗一さんが栽培を担う角藤農園。 1996年より、醸造用の葡萄栽培が始まった高山村。「この地域でならば、世界に通用する葡萄が作れる」。隣接する地域で、長く醸造用葡萄の栽培に携わる角藤農園の佐藤宗一さんや、小布施ワイナリーによる熱心な働きかけによって、それは実現した。2004年には、村内外の意欲的な栽培家や有識者が中心となって、「高山村ワインぶどう研究会」が発足。前村長の協力もあり、遊休耕作地の再生をはじめ、海外研修など精力的な活動を続け、栽培面積は拡大。大手酒造メーカーへの葡萄の供給を行い、その品質は高く評価され、「高山村」のネームバリューは、大きな躍進を見せた。 鷹野さんが高山村の地を踏んだのは、そんな発展の最中だった。 山梨大学工学部発酵生産学科で学問を修めたのちに、大手酒造メーカーで醸造技術者として長くキャリアを積み、「高山村」の原料も多く扱った経験を持つ鷹野さん。 高山村は、そんな優れたキャリアを有する彼を、ワインに関する業務を専門的に行う任期付き職員として採用した。 ▲ ワイン醸造の専門職員として鷹野さんが務めた高山村役場。「まさかこの年で地方公務員になるとは思っていなかった」と鷹野さん。 ワイン産地としてのインフラを整えたいと思いました。"自然との対話"が必要とされる中で、肌感覚の情報も重要ではありますが、データと共に後世に残せるものとして、気象観測器の設置を考えました。 ▲ 信州たかやまワイナリーは、高山村の中でも比較的標高の高い傾斜地に位置している。 彼が任期中に取り組んだものとして、あげてくださったのが「ICT気象観測器の設置」だ。村内6箇所に設置された観測器は、気象データを収集、集積し、高山村の気候における特殊なキャラクターを示してくれた。 村内の葡萄畑が広がる領域だけでも、標高400~830mと高低差に富んだ地形である高山村。標高の低いところの気候区分はイタリア南部、高いところではシャンパ―ニュやドイツに相当する特異な土地であった。 「小さな地域 の中で、同じ品種でも酸の高低をはじめ、異なる味わいの個性を持った葡萄が取れるということは、大きなアドバンテージと言えます。 それらをアッサンブラージュしてワインを作ることが出来るのは、国内でも稀なケースと言えるかも知れません。」 栽培地の拡大や気象データの集積、栽培技術の向上など、「高山村ワインぶどう研究会」と自治体の取り組みにより、96年以降、醸造用葡萄栽培地として目覚ましい発展を遂げてきた高山村だが、依然それらの葡萄は外部のワイナリーへ供給される一途をたどっており、村内でのワインの生産は実現に至っていなかった。そんな中、「葡萄産地」から、「ワイン産地」へという新たなステージへの移行を志し、 13人の栽培家を中心に、酒販店や旅館などの出資によって、2016年、「信州たかやまワイナリー」は設立された。そのスローガンともいえるキーワードが、「ワイン産地の形成」だ。長野県というと、既に国内での認知も高く、「ワイン産地」と呼んで相違ないとも思われる地域ではあるが、まだまだ栽培から醸造、ワイナリー経営のノウハウを備えた人材を育成していく必要があり、現状5軒ある同村内のワイナリー数も更に増加していくことが見込まれる。。鷹野さんは、その先駆けとも言えるかたちで設立された「信州たかやまワイナリー」で、取締役執行役員、醸造責任者を努めている。 ▲ 高山村の中核ワイナリーたる「信州たかやまワイナリー」では、若いスタッフの方の姿も多く見られる。 ワイン産地の条件の一つとして、そこに優れたワインを造る複数のワイナリーがあることが欠かせません。このワイナリーの役割は、村内の原料からワインを製造する事は勿論として、複数のワイナリーの中核的な存在となること、そして今後ワイナリーの経営を担っていく人材の教育・育成という側面が大きくあります。 いままで訪問したワイナリーの中にも、研修生を受け入れている施設は多くあったが、農協出資や第三セクタ―とは別の形式で、地域のワイン産業の中核的な役割を担う「信州たかやまワイナリー」は、全国的にも稀有な存在と言えるかもしれない。 他方で「農家さんに選ばれた」、醸造のみを担うワイナリーとして、栽培家を尊重する姿勢が強く感じられる点も印象的だ。 「栽培者の飲みたいワイン。栽培者が思いを寄せることが出来る品種というものを彼ら自身が選んでいます。客観的な選択よりも、好きか嫌いかというような思いの乗った選択のほうが、よりいいものが出来ると考えています。」 「また収穫のタイミングの決断は、農家さんの想いを繋ぐために重要な工程です。そのため常に、栽培者と醸造家がクロスする、我々が畑に出向き、状況を実際に感じることで、両者が同じ視点で話を出来るようなプロセスを踏んでいます。」 鷹野さんが醸造を担う者として、その醸造工程の設計やその衛生管理における細やかな気配りも、再度意識してみると緻密で、システマティックに機能しているように思われる。「ワイナリーの役割は、"葡萄畑と食卓とを繋げる、そのための設え"だと思っています。そのために、まず蔵の中でワインが侵されないことが非常に重要です。」...

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長野・信州たかやまワイナリー

日本ワインコラム | 長野・信州たかやまワイナリー 「産地の形成」その役割を担うワイン生産者は数多くいるだろうし、あるいは、ほとんどの生産者がそうであるといっても過言ではないかもしれない。ワイン新興国の日本にとって、各地域がワイン生産地として確立されることが大きな目標で、それぞれの地域はそれぞれのやり方で、ワイン造りとその普及に励んでいる。そんな中で、「信州たかやまワイナリー」の鷹野さんは、おそらく最も現実的かつ建設的なかたちで、その活動に携わる人の中の一人だと感じる。 ▲ 高山村に醸造用葡萄を広めた第一人者佐藤宗一さんが栽培を担う角藤農園。 1996年より、醸造用の葡萄栽培が始まった高山村。「この地域でならば、世界に通用する葡萄が作れる」。隣接する地域で、長く醸造用葡萄の栽培に携わる角藤農園の佐藤宗一さんや、小布施ワイナリーによる熱心な働きかけによって、それは実現した。2004年には、村内外の意欲的な栽培家や有識者が中心となって、「高山村ワインぶどう研究会」が発足。前村長の協力もあり、遊休耕作地の再生をはじめ、海外研修など精力的な活動を続け、栽培面積は拡大。大手酒造メーカーへの葡萄の供給を行い、その品質は高く評価され、「高山村」のネームバリューは、大きな躍進を見せた。 鷹野さんが高山村の地を踏んだのは、そんな発展の最中だった。 山梨大学工学部発酵生産学科で学問を修めたのちに、大手酒造メーカーで醸造技術者として長くキャリアを積み、「高山村」の原料も多く扱った経験を持つ鷹野さん。 高山村は、そんな優れたキャリアを有する彼を、ワインに関する業務を専門的に行う任期付き職員として採用した。 ▲ ワイン醸造の専門職員として鷹野さんが務めた高山村役場。「まさかこの年で地方公務員になるとは思っていなかった」と鷹野さん。 ワイン産地としてのインフラを整えたいと思いました。"自然との対話"が必要とされる中で、肌感覚の情報も重要ではありますが、データと共に後世に残せるものとして、気象観測器の設置を考えました。 ▲ 信州たかやまワイナリーは、高山村の中でも比較的標高の高い傾斜地に位置している。 彼が任期中に取り組んだものとして、あげてくださったのが「ICT気象観測器の設置」だ。村内6箇所に設置された観測器は、気象データを収集、集積し、高山村の気候における特殊なキャラクターを示してくれた。 村内の葡萄畑が広がる領域だけでも、標高400~830mと高低差に富んだ地形である高山村。標高の低いところの気候区分はイタリア南部、高いところではシャンパ―ニュやドイツに相当する特異な土地であった。 「小さな地域 の中で、同じ品種でも酸の高低をはじめ、異なる味わいの個性を持った葡萄が取れるということは、大きなアドバンテージと言えます。 それらをアッサンブラージュしてワインを作ることが出来るのは、国内でも稀なケースと言えるかも知れません。」 栽培地の拡大や気象データの集積、栽培技術の向上など、「高山村ワインぶどう研究会」と自治体の取り組みにより、96年以降、醸造用葡萄栽培地として目覚ましい発展を遂げてきた高山村だが、依然それらの葡萄は外部のワイナリーへ供給される一途をたどっており、村内でのワインの生産は実現に至っていなかった。そんな中、「葡萄産地」から、「ワイン産地」へという新たなステージへの移行を志し、 13人の栽培家を中心に、酒販店や旅館などの出資によって、2016年、「信州たかやまワイナリー」は設立された。そのスローガンともいえるキーワードが、「ワイン産地の形成」だ。長野県というと、既に国内での認知も高く、「ワイン産地」と呼んで相違ないとも思われる地域ではあるが、まだまだ栽培から醸造、ワイナリー経営のノウハウを備えた人材を育成していく必要があり、現状5軒ある同村内のワイナリー数も更に増加していくことが見込まれる。。鷹野さんは、その先駆けとも言えるかたちで設立された「信州たかやまワイナリー」で、取締役執行役員、醸造責任者を努めている。 ▲ 高山村の中核ワイナリーたる「信州たかやまワイナリー」では、若いスタッフの方の姿も多く見られる。 ワイン産地の条件の一つとして、そこに優れたワインを造る複数のワイナリーがあることが欠かせません。このワイナリーの役割は、村内の原料からワインを製造する事は勿論として、複数のワイナリーの中核的な存在となること、そして今後ワイナリーの経営を担っていく人材の教育・育成という側面が大きくあります。 いままで訪問したワイナリーの中にも、研修生を受け入れている施設は多くあったが、農協出資や第三セクタ―とは別の形式で、地域のワイン産業の中核的な役割を担う「信州たかやまワイナリー」は、全国的にも稀有な存在と言えるかもしれない。 他方で「農家さんに選ばれた」、醸造のみを担うワイナリーとして、栽培家を尊重する姿勢が強く感じられる点も印象的だ。 「栽培者の飲みたいワイン。栽培者が思いを寄せることが出来る品種というものを彼ら自身が選んでいます。客観的な選択よりも、好きか嫌いかというような思いの乗った選択のほうが、よりいいものが出来ると考えています。」 「また収穫のタイミングの決断は、農家さんの想いを繋ぐために重要な工程です。そのため常に、栽培者と醸造家がクロスする、我々が畑に出向き、状況を実際に感じることで、両者が同じ視点で話を出来るようなプロセスを踏んでいます。」 鷹野さんが醸造を担う者として、その醸造工程の設計やその衛生管理における細やかな気配りも、再度意識してみると緻密で、システマティックに機能しているように思われる。「ワイナリーの役割は、"葡萄畑と食卓とを繋げる、そのための設え"だと思っています。そのために、まず蔵の中でワインが侵されないことが非常に重要です。」...

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山梨・ダイヤモンド酒造

山梨・ダイヤモンド酒造

日本ワインコラム | 山梨 ダイヤモンド酒造 住宅地に佇むごく一般的な建築物。 一瞥してワイナリーらしい雰囲気はなく、むしろ、街の内科クリニックのような風体。多くの注意を惹きつけるような勇んだ姿勢を感じない看板くらいが、ここがワイナリーであることを教えてくれる。ダイヤモンド酒造。日本でも指折りのマスカット・ベーリーAの赤ワインを送り出す、山梨県随一のワイナリー。その地位に登り詰めた雨宮吉男さんは、マスクをしていること以外にほとんど外交的な要素を纏わぬ、ノーガードなスタイルで現れた。農作業の途中の人ならまだしも。 そして思った。多分その辺はどうでもいいのだ。 ▲ 筆者自身も桜をバックにおじさん2人のツーショットを取ったのは初めてだったが、撮られたほうも初めてだったのではなかろうか。ともあれ、中々趣のあるショット。 「勝沼は他の町に比べると、夜温が下がりやすいんです。「笹子おろし」と言って、笹子峠から夕方風が吹き下ろしてくるんです。だから、隣町の人は「勝沼って、夕方涼しいね。」って言うんです。でも、最近は気候が変わってきていて、あまり風が吹かなくなりました。 土壌は砂っぽくて、影響している山や川砂の影響が強いので水捌けがいい。 ▲ 契約農家の葡萄畑。「なんもないでしょ。」と言われたらそうなのですが、勝沼の砂っぽい土壌を識別いただけるだろうか。 最近はマグヴィスワイナリーさんが土壌分析をしていますが、今まではそう言ったことはやってなくて、何となくそういうものだろうという形でした。 なので、彼らの分析によって変わってくるところもあるのだろうと思います。 対して、(ダイヤモンド酒造の原料の)マスカット・ベーリーAが植えられている穂坂は、完全に粘土質です。なので、赤ワイン用品種に適している。「勝沼は甲府盆地の東の縁なので、朝日が遅くて夕日が長い。穂坂は盆地の西の縁。日の当たり方が真逆なんです。朝日が早くて夕日が短い。」 山梨県甲州市勝沼、果樹栽培のみならず、国内産ワインの発祥の地として知られる土地で、ダイヤモンド酒造はワイン造りを行なっている。 元々は、近隣の農家がそれぞれの葡萄を持ち寄ってワインをつくる自家醸造施設であったが、生産量が増えたことによって金銭のやりとりが発生すようになると、税務署指導もあって、雨宮家が酒造の権利を農家から買い取り、有限会社化。のちに株式会社化を果たし、現在にいたる。現当主の雨宮吉男さんは、勝沼や穂坂の契約農家からの葡萄を使って、ワイン造りを行なっている。 契約栽培先を選ぶなんてのは中々できないですよね。何かしらの人としての関係性もありますから。甲州に関しては一律の値段で買っていますが、ベーリーAに関しては、畑でできたワインのクオリティで葡萄の値段を決めているので、農協の30-100%増しくらいの値段になるんですが、そういった価格での差別化はしていますけどね。 買い葡萄のみを使用する、無理やりフランス風に言えば、ネゴシアン的なスタイルのダイヤモンド酒造。自身の理想のスタイルに近づくため、マスカット・ベーリーAの究極を目指すため、多くの注文をつけるのではなかろうか、とも思ったが、実のところはそうではない。 兼業農家や家族経営が多い中、雨宮さんが一人で各契約栽培先をコントロールすることは不可能であるし、産業としての構造がやはり山梨県とブルゴーニュでは、大きく異なる。この後引用されるデュジャックはそのネゴシアンブランドで契約農家の畑に強く介入することで有名だが、それに関するシンプルな疑問はやや筋違いということで解消しておく。そんなことが頭をよぎったのは筆者だけかもしれないが。 ▲ リーファーコンテナは古いので、冷却用にエアコンの室外機が繋がれている。 「農家さん達もどうしたらいいか、とか助言を求めることはあるので、こういう風にしたほうがいいんじゃないですか、というアドバイスをすることはあります。粘土質だと栄養素が抜けないので、肥料に関しても、最初からたくさん撒くよりも、足りなくなったら葉面散布で足せばいいということや、大きな房に価値がある生食と、コンパクトで凝縮した葡萄に価値がある醸造では考え方が大きく異なるので、摘房などに関して、こうしたらいい、ああしたらいい、は言います。 昔、ブルゴーニュのデュジャックに行った時に思ったのですが、デュジャックってモレサンド二の生産者ですが、ヴォーヌロマネの畑持ってるじゃないですか。でも、飲み比べてみるとモレサンドニの方が美味しいんですよ。それはやっぱり、元々モレサンドニの生産者だからかな、と思っていて。勝沼の人間が穂坂の人間にあんまりいうのは良くない。その人たちの方が土地をわかっているということだから、と考えています。」 ▲ 「リーファーコンテナを使って」とおっしゃっていたので、同機能の何かかと思ったが、本当にリーファーコンテナだ。 必ずしも意図的でないにしても、栽培に関しての自身の介入が少ない。雨宮さんが造るワインに対する評価は、醸造に多くのリソースを注ぐ、まさに醸造家としての彼の実力に与えられたものだろう。しかし、 (マスカット・ベーリーAに関しては) ちんたらやることですね。...

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山梨・ダイヤモンド酒造

日本ワインコラム | 山梨 ダイヤモンド酒造 住宅地に佇むごく一般的な建築物。 一瞥してワイナリーらしい雰囲気はなく、むしろ、街の内科クリニックのような風体。多くの注意を惹きつけるような勇んだ姿勢を感じない看板くらいが、ここがワイナリーであることを教えてくれる。ダイヤモンド酒造。日本でも指折りのマスカット・ベーリーAの赤ワインを送り出す、山梨県随一のワイナリー。その地位に登り詰めた雨宮吉男さんは、マスクをしていること以外にほとんど外交的な要素を纏わぬ、ノーガードなスタイルで現れた。農作業の途中の人ならまだしも。 そして思った。多分その辺はどうでもいいのだ。 ▲ 筆者自身も桜をバックにおじさん2人のツーショットを取ったのは初めてだったが、撮られたほうも初めてだったのではなかろうか。ともあれ、中々趣のあるショット。 「勝沼は他の町に比べると、夜温が下がりやすいんです。「笹子おろし」と言って、笹子峠から夕方風が吹き下ろしてくるんです。だから、隣町の人は「勝沼って、夕方涼しいね。」って言うんです。でも、最近は気候が変わってきていて、あまり風が吹かなくなりました。 土壌は砂っぽくて、影響している山や川砂の影響が強いので水捌けがいい。 ▲ 契約農家の葡萄畑。「なんもないでしょ。」と言われたらそうなのですが、勝沼の砂っぽい土壌を識別いただけるだろうか。 最近はマグヴィスワイナリーさんが土壌分析をしていますが、今まではそう言ったことはやってなくて、何となくそういうものだろうという形でした。 なので、彼らの分析によって変わってくるところもあるのだろうと思います。 対して、(ダイヤモンド酒造の原料の)マスカット・ベーリーAが植えられている穂坂は、完全に粘土質です。なので、赤ワイン用品種に適している。「勝沼は甲府盆地の東の縁なので、朝日が遅くて夕日が長い。穂坂は盆地の西の縁。日の当たり方が真逆なんです。朝日が早くて夕日が短い。」 山梨県甲州市勝沼、果樹栽培のみならず、国内産ワインの発祥の地として知られる土地で、ダイヤモンド酒造はワイン造りを行なっている。 元々は、近隣の農家がそれぞれの葡萄を持ち寄ってワインをつくる自家醸造施設であったが、生産量が増えたことによって金銭のやりとりが発生すようになると、税務署指導もあって、雨宮家が酒造の権利を農家から買い取り、有限会社化。のちに株式会社化を果たし、現在にいたる。現当主の雨宮吉男さんは、勝沼や穂坂の契約農家からの葡萄を使って、ワイン造りを行なっている。 契約栽培先を選ぶなんてのは中々できないですよね。何かしらの人としての関係性もありますから。甲州に関しては一律の値段で買っていますが、ベーリーAに関しては、畑でできたワインのクオリティで葡萄の値段を決めているので、農協の30-100%増しくらいの値段になるんですが、そういった価格での差別化はしていますけどね。 買い葡萄のみを使用する、無理やりフランス風に言えば、ネゴシアン的なスタイルのダイヤモンド酒造。自身の理想のスタイルに近づくため、マスカット・ベーリーAの究極を目指すため、多くの注文をつけるのではなかろうか、とも思ったが、実のところはそうではない。 兼業農家や家族経営が多い中、雨宮さんが一人で各契約栽培先をコントロールすることは不可能であるし、産業としての構造がやはり山梨県とブルゴーニュでは、大きく異なる。この後引用されるデュジャックはそのネゴシアンブランドで契約農家の畑に強く介入することで有名だが、それに関するシンプルな疑問はやや筋違いということで解消しておく。そんなことが頭をよぎったのは筆者だけかもしれないが。 ▲ リーファーコンテナは古いので、冷却用にエアコンの室外機が繋がれている。 「農家さん達もどうしたらいいか、とか助言を求めることはあるので、こういう風にしたほうがいいんじゃないですか、というアドバイスをすることはあります。粘土質だと栄養素が抜けないので、肥料に関しても、最初からたくさん撒くよりも、足りなくなったら葉面散布で足せばいいということや、大きな房に価値がある生食と、コンパクトで凝縮した葡萄に価値がある醸造では考え方が大きく異なるので、摘房などに関して、こうしたらいい、ああしたらいい、は言います。 昔、ブルゴーニュのデュジャックに行った時に思ったのですが、デュジャックってモレサンド二の生産者ですが、ヴォーヌロマネの畑持ってるじゃないですか。でも、飲み比べてみるとモレサンドニの方が美味しいんですよ。それはやっぱり、元々モレサンドニの生産者だからかな、と思っていて。勝沼の人間が穂坂の人間にあんまりいうのは良くない。その人たちの方が土地をわかっているということだから、と考えています。」 ▲ 「リーファーコンテナを使って」とおっしゃっていたので、同機能の何かかと思ったが、本当にリーファーコンテナだ。 必ずしも意図的でないにしても、栽培に関しての自身の介入が少ない。雨宮さんが造るワインに対する評価は、醸造に多くのリソースを注ぐ、まさに醸造家としての彼の実力に与えられたものだろう。しかし、 (マスカット・ベーリーAに関しては) ちんたらやることですね。...

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山梨・くらむぼんワイン

山梨・くらむぼんワイン

日本ワインコラム | 山梨 くらむぼんワイン 「一番の転機は、フランスへ行ったことです。23歳の時に留学をしました。当時は、家業を継ぐこともあまり考えていなくて、弟がいるので、どちらかが継ぐのだろうなぁ、といったような認識でした。」 アイルトン・セナに憧れて、慶応大学理工学部にまで入り、ゆくゆくはルノーでのエンジニアリングライフを見据えていたかどうかは存じ上げないが、ともあれ、野沢たかひこさんは、FW16程に不安定な大学時代に、学歴社会をコースアウトして、南仏へ飛び立った。 ▲ 「森の香りがするんです。」と、自社畑の土を香る野沢さん。わざわざポーズを決めていただいたのに、普通の写真ですみません。レンズ変えるべきでした。 「ニースのホームステイ先で、ワインを毎日出してくれて、それでワインを初めて美味しいと感じました。それまで、日本に美味しいワインってあまりなかったんですよね。元々は親の仕事にも興味がなくワインには関心がなかったのですが、フランスで体験した、家族や友達が集まり、ワインを中心にして人間関係とかが広まっていく、ということを地元の山梨でもやれたらなぁ、と思いました。 大学時代は、授業にも出ていなかったのですが、フランスに行ったら新しい人生の始まりという感じでした。」 煌びやかなニューライフ。周りには、自分のことを知っているものなど誰もいない。地中海を臨み、国籍の違う仲間たちと、夜な夜なワインをボトルで回し飲みする、スーパーモラトリアムな日々。そんな語学学校生活を経て、野沢さんは、ブルゴーニュのCFPPA(ボーヌ農業促進・職業訓練センター)でディプロマを得た。 ▲ 終始朗らかにご対応くださった野沢さん。お迎えいただきありがとうございました。 しかし、意外にも彼が最も影響を受けた生産者として、名前を挙げるのは 「Domaine de Souch」、1987年創業という異端な歴史を持ちながら、ジュランソンを代表すると評される生産者だ。 彼女は夫亡き後、60歳代でワイン造りを始めた、ビオディナミの先駆者の一人 です。彼女の造る「Jurancon sec(辛口)」や「moelleux(甘口)」をタンクから試飲させていただいた時、そのあまりにピュアで、土地の花や土の風味に溢れ、自然な風味でそして幸せな余韻も永く続くワインに、とにかく圧倒されました。これこそがテロワール、いやブドウがある風土がそのままワインに出ていると。もちろん、彼女の人柄がワインに表れていたのは言うまでもありません。 広大な敷地に、荘厳かつ柔らかい空気纏って佇む、養蚕農家を移築したという日本家屋の母屋が印象的な『くらむぼんワイン』。自家醸造の酒蔵として大正2年に創業した同社は、協同組合となって近隣の農家の葡萄からワインを醸造。 ▲ 吹き付ける強風に「ガタガタ」と大きな音を立てる母屋の縁側。夜中にトイレへ行くときは物凄い恐怖感だそうです。 昭和37年から、農家の株を買い取り「有限会社山梨ワイン醸造」が設立。後に株式会社化を経て、2014年、『株式会社くらむぼんワイン』と社名変更がなされた。 野沢たかひこさんは、同社の三代目に当たる。 「フランスから帰国してワイナリーで働き始めた当初は、日本のような雨が多い 気候では農薬を効果的に散布しなければブドウの収穫が出来ないと考えて、叢生 栽培は行っていましたが、化学農薬・肥料は普通に使っていました。」 そういった、謂わば「農家として普通の栽培」を行っていた野沢さんが出会ったのが、福岡正信著作の「自然農法 藁一本の革命」だった。...

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山梨・くらむぼんワイン

日本ワインコラム | 山梨 くらむぼんワイン 「一番の転機は、フランスへ行ったことです。23歳の時に留学をしました。当時は、家業を継ぐこともあまり考えていなくて、弟がいるので、どちらかが継ぐのだろうなぁ、といったような認識でした。」 アイルトン・セナに憧れて、慶応大学理工学部にまで入り、ゆくゆくはルノーでのエンジニアリングライフを見据えていたかどうかは存じ上げないが、ともあれ、野沢たかひこさんは、FW16程に不安定な大学時代に、学歴社会をコースアウトして、南仏へ飛び立った。 ▲ 「森の香りがするんです。」と、自社畑の土を香る野沢さん。わざわざポーズを決めていただいたのに、普通の写真ですみません。レンズ変えるべきでした。 「ニースのホームステイ先で、ワインを毎日出してくれて、それでワインを初めて美味しいと感じました。それまで、日本に美味しいワインってあまりなかったんですよね。元々は親の仕事にも興味がなくワインには関心がなかったのですが、フランスで体験した、家族や友達が集まり、ワインを中心にして人間関係とかが広まっていく、ということを地元の山梨でもやれたらなぁ、と思いました。 大学時代は、授業にも出ていなかったのですが、フランスに行ったら新しい人生の始まりという感じでした。」 煌びやかなニューライフ。周りには、自分のことを知っているものなど誰もいない。地中海を臨み、国籍の違う仲間たちと、夜な夜なワインをボトルで回し飲みする、スーパーモラトリアムな日々。そんな語学学校生活を経て、野沢さんは、ブルゴーニュのCFPPA(ボーヌ農業促進・職業訓練センター)でディプロマを得た。 ▲ 終始朗らかにご対応くださった野沢さん。お迎えいただきありがとうございました。 しかし、意外にも彼が最も影響を受けた生産者として、名前を挙げるのは 「Domaine de Souch」、1987年創業という異端な歴史を持ちながら、ジュランソンを代表すると評される生産者だ。 彼女は夫亡き後、60歳代でワイン造りを始めた、ビオディナミの先駆者の一人 です。彼女の造る「Jurancon sec(辛口)」や「moelleux(甘口)」をタンクから試飲させていただいた時、そのあまりにピュアで、土地の花や土の風味に溢れ、自然な風味でそして幸せな余韻も永く続くワインに、とにかく圧倒されました。これこそがテロワール、いやブドウがある風土がそのままワインに出ていると。もちろん、彼女の人柄がワインに表れていたのは言うまでもありません。 広大な敷地に、荘厳かつ柔らかい空気纏って佇む、養蚕農家を移築したという日本家屋の母屋が印象的な『くらむぼんワイン』。自家醸造の酒蔵として大正2年に創業した同社は、協同組合となって近隣の農家の葡萄からワインを醸造。 ▲ 吹き付ける強風に「ガタガタ」と大きな音を立てる母屋の縁側。夜中にトイレへ行くときは物凄い恐怖感だそうです。 昭和37年から、農家の株を買い取り「有限会社山梨ワイン醸造」が設立。後に株式会社化を経て、2014年、『株式会社くらむぼんワイン』と社名変更がなされた。 野沢たかひこさんは、同社の三代目に当たる。 「フランスから帰国してワイナリーで働き始めた当初は、日本のような雨が多い 気候では農薬を効果的に散布しなければブドウの収穫が出来ないと考えて、叢生 栽培は行っていましたが、化学農薬・肥料は普通に使っていました。」 そういった、謂わば「農家として普通の栽培」を行っていた野沢さんが出会ったのが、福岡正信著作の「自然農法 藁一本の革命」だった。...

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