日本ワインコラム
THE CELLAR ワイン特集
長野・ナゴミ・ヴィンヤーズ
日本ワインコラム | 長野 ナゴミ・ヴィンヤーズ 千曲川ワインバレーの右岸側、長野県東御市和(かのう)上ノ山地区にあるナゴミ・ヴィンヤーズにお邪魔した。インタビューさせて頂いた池さんは、この地で13年前からワイン造りに向き合っておられる。前職は東京でシステム・エンジニアをされていた。今でこそ、千曲川ワインバレーと言われる程、ワイナリーが乱立するこの地域も、移住した当初は1軒だけワイナリーがあるというような状態だった。そこから一つ一つ実績と信頼を積み上げてきた池さんは、畑に常に流れるそよ風のように、どこまでも優しく懐が深い。 ▲ 中央に見えるのがナゴミ・ヴィンヤーズの畑。遠目に見える山が美しい。 やっぱりワインが大好きだから。 前職は、ネットワーク関連のシステム・エンジニア。なぜ、ワイン関連に転向したのだろう? 「技術は入れ替わりが激しく、システムを作ってもすぐにまた新しいものが出てくる世界。そういう仕事をしていて、世代を超えて受け継がれるものに憧れがあった。」とお答えになった上で、 ▲ 穏やかな語り口の池さん。一つ一つに丁寧に答えて下さる姿が印象的だ。 「今まで人に聞かれたらそう答えてきたのだけど、4回仕込みを終えて気付いたことがあるんです。サラリーマンを辞めてワイン農家に転向することはかなりのジャンプで、こう答えることで自分の背中を押してあげていたんだな、と。実際のところは、どうしても造ってみたかった、ということだと思います。それに尽きるな、と。ワインがずっと大好きで。その当時はまだ珍しかったけど、小規模でワインを造っている人がポツポツと出始めているのを記事で読んだりして、居ても立っても居られなかったんです。」 正直な方だなぁ、と思った。嘘偽りのない言葉。 と同時に、自分を鼓舞し続けるための大義名分があったからこそ、乗り越えられた困難も沢山あったのだろうなとも思った。池さんは決して困難を大袈裟に語ろうとしないし、ご自身の凄さを表に出されない。しかし、考えてもみてほしい。移住した当時はワイナリーなんてほぼない場所。そこに東京から移住してきたヨソモノ。しかも農業とは無縁のシステム・エンジニア。ワイン用のブドウを育てたいと言ってすんなりいい土地が見つかることはなかっただろう。池さんも最初は巨峰農家のもとで栽培を学んでいたそうだ。そこで信頼を得て紹介してもらえたのが今の農地。この辺りは巨峰の名産地だ。このエリアは粘土質土壌で、ブドウの粒は伸びにくいが、味が濃いという特徴がある。生食用の場合、目方売りなので粒が小さいのは不利になるが、醸造用のブドウにとってはむしろいい条件になる。ここだ!と思い即決したそうだ。 好きだから苦労が苦労でなくなる。 ブドウは一度植えるとずっと付き合っていくもの。だからこそ、「自分がぐっとくる品種じゃないとやってられない」。池さんが育てるのは、ピノ・ノワール、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブランだ。 ▲ 池さんが「ぐっとくる」品種のブドウ達は、心地よさそうに育っている。収穫が今から楽しみだ。 ブドウの木を植えて9年目。ブドウの木の主幹はしっかりと締まっていて、理想的でゆるやかな成長を遂げている。畑は見込んでいた通り、いい場所だった。南西向きで日照量がしっかりある。穏やかな風が終始スーっと感じられる。標高は高いが、風があるので冷気が溜まらず、凍害もでないそうだ。また、風が吹くことで湿気が溜まりにくく病気にも強い。農家によって株元の雑草に対する考えは異なるし、池さんも昔は刈らなかったと前置きされた上で、今は雑草があると湿気が溜まりやすいと考え、しっかり刈るようにしているそうだ。 粘土質土壌は養分が多く含まれるので、味の濃いブドウに仕上がる一方、水はけの悪さがネックになることも事実だ。池さんの畑はなだらかな斜面になっているので、水の流れはいい。また、池さんが信頼を寄せ、シードル用のリンゴを買い入れている農家のアドバイスを聞き、ブドウの根元に土を盛り高畝に仕上げることで、更に水はけのよさを確保している。 ▲ ブドウの根元には土が盛られて高畝にされている。また、根元の雑草は刈られ、通気性が担保されている。 池さんは言う。 「セオリーではなく、地元の農家のアドバイスが一番だ」 と。柔軟に人の意見を聞き入れ、試してみる。こういう姿勢が地元の人の信頼を勝ち得ている所以なのだろう。 ここまでしっかりと畑の管理をしても、ブドウは病気にかかりやすい。基本的に殺虫剤はまかないが、最小限の農薬は散布する。農薬散布はタイミングが命だと仰る。効果の8割方はタイミングで決まる、と。しっかりと畑のブドウと向き合っているからこそ、タイミングを逸せず、必要最小限の量に抑えることができるのだろう。 ワインが大好きだからできること。大変だけど、心の奥底からやりたいことだから。実際にブドウ栽培してみると面白い。常に前のめりだし、一年があっという間に過ぎる。「気づいたら60、70(歳)になってるんだろうなぁ。」と優しく微笑まれた顔が印象的だ。 優しい造りを心掛ける。 ワイン用ブドウ栽培を始めて5年後の2018年8月、ワイナリーが竣工した。それまでは近くのワイナリーに委託醸造をお願いしていた。ワイナリーを設立するためには、いくつかの条件をクリアにする必要があるのだが、2017年10月、委託醸造を依頼した近所のワイナリーの様子を見学している時に、条件が全て揃っていることに気付いた。今だ!と思い、全力で動いたという。1年未満で竣工しているのだからそのエネルギーに驚かされる。...
長野・ナゴミ・ヴィンヤーズ
日本ワインコラム | 長野 ナゴミ・ヴィンヤーズ 千曲川ワインバレーの右岸側、長野県東御市和(かのう)上ノ山地区にあるナゴミ・ヴィンヤーズにお邪魔した。インタビューさせて頂いた池さんは、この地で13年前からワイン造りに向き合っておられる。前職は東京でシステム・エンジニアをされていた。今でこそ、千曲川ワインバレーと言われる程、ワイナリーが乱立するこの地域も、移住した当初は1軒だけワイナリーがあるというような状態だった。そこから一つ一つ実績と信頼を積み上げてきた池さんは、畑に常に流れるそよ風のように、どこまでも優しく懐が深い。 ▲ 中央に見えるのがナゴミ・ヴィンヤーズの畑。遠目に見える山が美しい。 やっぱりワインが大好きだから。 前職は、ネットワーク関連のシステム・エンジニア。なぜ、ワイン関連に転向したのだろう? 「技術は入れ替わりが激しく、システムを作ってもすぐにまた新しいものが出てくる世界。そういう仕事をしていて、世代を超えて受け継がれるものに憧れがあった。」とお答えになった上で、 ▲ 穏やかな語り口の池さん。一つ一つに丁寧に答えて下さる姿が印象的だ。 「今まで人に聞かれたらそう答えてきたのだけど、4回仕込みを終えて気付いたことがあるんです。サラリーマンを辞めてワイン農家に転向することはかなりのジャンプで、こう答えることで自分の背中を押してあげていたんだな、と。実際のところは、どうしても造ってみたかった、ということだと思います。それに尽きるな、と。ワインがずっと大好きで。その当時はまだ珍しかったけど、小規模でワインを造っている人がポツポツと出始めているのを記事で読んだりして、居ても立っても居られなかったんです。」 正直な方だなぁ、と思った。嘘偽りのない言葉。 と同時に、自分を鼓舞し続けるための大義名分があったからこそ、乗り越えられた困難も沢山あったのだろうなとも思った。池さんは決して困難を大袈裟に語ろうとしないし、ご自身の凄さを表に出されない。しかし、考えてもみてほしい。移住した当時はワイナリーなんてほぼない場所。そこに東京から移住してきたヨソモノ。しかも農業とは無縁のシステム・エンジニア。ワイン用のブドウを育てたいと言ってすんなりいい土地が見つかることはなかっただろう。池さんも最初は巨峰農家のもとで栽培を学んでいたそうだ。そこで信頼を得て紹介してもらえたのが今の農地。この辺りは巨峰の名産地だ。このエリアは粘土質土壌で、ブドウの粒は伸びにくいが、味が濃いという特徴がある。生食用の場合、目方売りなので粒が小さいのは不利になるが、醸造用のブドウにとってはむしろいい条件になる。ここだ!と思い即決したそうだ。 好きだから苦労が苦労でなくなる。 ブドウは一度植えるとずっと付き合っていくもの。だからこそ、「自分がぐっとくる品種じゃないとやってられない」。池さんが育てるのは、ピノ・ノワール、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブランだ。 ▲ 池さんが「ぐっとくる」品種のブドウ達は、心地よさそうに育っている。収穫が今から楽しみだ。 ブドウの木を植えて9年目。ブドウの木の主幹はしっかりと締まっていて、理想的でゆるやかな成長を遂げている。畑は見込んでいた通り、いい場所だった。南西向きで日照量がしっかりある。穏やかな風が終始スーっと感じられる。標高は高いが、風があるので冷気が溜まらず、凍害もでないそうだ。また、風が吹くことで湿気が溜まりにくく病気にも強い。農家によって株元の雑草に対する考えは異なるし、池さんも昔は刈らなかったと前置きされた上で、今は雑草があると湿気が溜まりやすいと考え、しっかり刈るようにしているそうだ。 粘土質土壌は養分が多く含まれるので、味の濃いブドウに仕上がる一方、水はけの悪さがネックになることも事実だ。池さんの畑はなだらかな斜面になっているので、水の流れはいい。また、池さんが信頼を寄せ、シードル用のリンゴを買い入れている農家のアドバイスを聞き、ブドウの根元に土を盛り高畝に仕上げることで、更に水はけのよさを確保している。 ▲ ブドウの根元には土が盛られて高畝にされている。また、根元の雑草は刈られ、通気性が担保されている。 池さんは言う。 「セオリーではなく、地元の農家のアドバイスが一番だ」 と。柔軟に人の意見を聞き入れ、試してみる。こういう姿勢が地元の人の信頼を勝ち得ている所以なのだろう。 ここまでしっかりと畑の管理をしても、ブドウは病気にかかりやすい。基本的に殺虫剤はまかないが、最小限の農薬は散布する。農薬散布はタイミングが命だと仰る。効果の8割方はタイミングで決まる、と。しっかりと畑のブドウと向き合っているからこそ、タイミングを逸せず、必要最小限の量に抑えることができるのだろう。 ワインが大好きだからできること。大変だけど、心の奥底からやりたいことだから。実際にブドウ栽培してみると面白い。常に前のめりだし、一年があっという間に過ぎる。「気づいたら60、70(歳)になってるんだろうなぁ。」と優しく微笑まれた顔が印象的だ。 優しい造りを心掛ける。 ワイン用ブドウ栽培を始めて5年後の2018年8月、ワイナリーが竣工した。それまでは近くのワイナリーに委託醸造をお願いしていた。ワイナリーを設立するためには、いくつかの条件をクリアにする必要があるのだが、2017年10月、委託醸造を依頼した近所のワイナリーの様子を見学している時に、条件が全て揃っていることに気付いた。今だ!と思い、全力で動いたという。1年未満で竣工しているのだからそのエネルギーに驚かされる。...

滋賀・ヒトミワイナリー
日本ワインコラム | 滋賀 ヒトミワイナリー 滋賀県東近江市にあるヒトミワイナリー。 滋賀県と言えば琵琶湖という安直なイメージしか持ち合わせていなかったこともあり、ワイナリーがあると聞いて驚いた。滋賀県は中央に琵琶湖、その周囲に山地がある。東近江市は県の南東部に当たり、そのまま東に進めば三重県境の鈴鹿山脈に抜けるという位置関係で、東に山地、南東から北西に伸びる扇状地、そして西に琵琶湖岸に至る平地に大分される。 ワイナリーがある東近江市永源寺地区は、特に紅葉が有名で、四季を通じて豊かな自然が楽しめる場所だ。 ワイナリーがオープンしたのは1991年。今年で31年目を迎える。 ▲ 赤屋根と壁にツタが覆う素敵な雰囲気のワイナリー。青空に映える! 「ヒトミワイナリーのお客さんの大半はワインが飲めない人です。」 衝撃的なこの一言からインタビューがスタートした。 2014年にヒトミワイナリーに入社された、栗田さんの言葉だ。栗田さんはJSA認定ソムリエ、ANSA認定ワインコーディネーターの資格をお持ちだが、元々ワインが大嫌いだったと言うのだから驚きだ。前職の飲食店で提供するお酒のラインナップを選ぶ中、これも元々嫌いだったというビールの勉強をし始めたら、酵母の香りや旨味が感じられるベルギービールの美味しさに目覚めたという。日本酒でも深い味わいの純米生酛や山廃が好み。 「いいものを見つけてお客様に届けたい!」という気持ちが強くなったという。 その後、ワインの勉強を始め、嫌いなワインでもいくつか飲めると思えるワインが出てきた。そして、日本のワイナリーを巡る中でヒトミワイナリーに出会い、その味わいと美味しさにノックアウトされ、通い詰めたそうだ。 惚れ込んだら一直線…仕事を辞めてヒトミワイナリーの門戸を叩いた。ポストがないと一度は断られたが、諦めずに待っていたら、しばらくして店長のポストを譲り受けたそうだ。猪突猛進という言葉がぴったりの度胸と行動力に、目が点になった。 ▲ ヒトミワイナリーが大好きという気持ちが溢れる栗田さん。 栗田さんは言う。 「日本酒や焼酎でも惚れ込んだ先はあるが、産業のすそ野が広く、好きな蔵元が数件倒産したとしても、まだ自分が飲みたいと思えるものはいくつかある。けれど、ヒトミワイナリーがいなくなったら、自分が美味しいと思えるワインが飲めなくなってしまうと思った。」 このワイナリーが存続する一助になりたい…純粋な願いだった。 「大手が流通する、一般的なワインが飲めないと思っている人の考えを覆したい」と言う。 ヒトミワイナリーのワインならきっと美味しいと思ってもらえるはずだから。 一般的ではない=不味い、ではない。 一般的でなくても美味しいものは美味しいのだから。こういう思いを日々お客様に伝えているという。 始まりは地元にワイン文化の素晴らしさを伝えたいという熱い思いから 時計の針を巻き戻そう。 ヒトミワイナリーの誕生はとても興味深い。創設者の図師禮三(ズシレイゾウ)氏は、もともとアパレルメーカーである日登美(ヒトミ)株式会社の社長だった。アパレル関連の仕事でフランスに行く機会も多く、ワインやパンの虜になった。また、陶芸を始めとする美術品も収集した。ワインもパンも美術品も、全ては日々の暮らしに彩りを与えるものとして魅了されたのだ。 ▲ 創設者がアパレル関連の会社の社長だったということもあり、ワイナリー内には服飾系のグッズも販売されている。...
滋賀・ヒトミワイナリー
日本ワインコラム | 滋賀 ヒトミワイナリー 滋賀県東近江市にあるヒトミワイナリー。 滋賀県と言えば琵琶湖という安直なイメージしか持ち合わせていなかったこともあり、ワイナリーがあると聞いて驚いた。滋賀県は中央に琵琶湖、その周囲に山地がある。東近江市は県の南東部に当たり、そのまま東に進めば三重県境の鈴鹿山脈に抜けるという位置関係で、東に山地、南東から北西に伸びる扇状地、そして西に琵琶湖岸に至る平地に大分される。 ワイナリーがある東近江市永源寺地区は、特に紅葉が有名で、四季を通じて豊かな自然が楽しめる場所だ。 ワイナリーがオープンしたのは1991年。今年で31年目を迎える。 ▲ 赤屋根と壁にツタが覆う素敵な雰囲気のワイナリー。青空に映える! 「ヒトミワイナリーのお客さんの大半はワインが飲めない人です。」 衝撃的なこの一言からインタビューがスタートした。 2014年にヒトミワイナリーに入社された、栗田さんの言葉だ。栗田さんはJSA認定ソムリエ、ANSA認定ワインコーディネーターの資格をお持ちだが、元々ワインが大嫌いだったと言うのだから驚きだ。前職の飲食店で提供するお酒のラインナップを選ぶ中、これも元々嫌いだったというビールの勉強をし始めたら、酵母の香りや旨味が感じられるベルギービールの美味しさに目覚めたという。日本酒でも深い味わいの純米生酛や山廃が好み。 「いいものを見つけてお客様に届けたい!」という気持ちが強くなったという。 その後、ワインの勉強を始め、嫌いなワインでもいくつか飲めると思えるワインが出てきた。そして、日本のワイナリーを巡る中でヒトミワイナリーに出会い、その味わいと美味しさにノックアウトされ、通い詰めたそうだ。 惚れ込んだら一直線…仕事を辞めてヒトミワイナリーの門戸を叩いた。ポストがないと一度は断られたが、諦めずに待っていたら、しばらくして店長のポストを譲り受けたそうだ。猪突猛進という言葉がぴったりの度胸と行動力に、目が点になった。 ▲ ヒトミワイナリーが大好きという気持ちが溢れる栗田さん。 栗田さんは言う。 「日本酒や焼酎でも惚れ込んだ先はあるが、産業のすそ野が広く、好きな蔵元が数件倒産したとしても、まだ自分が飲みたいと思えるものはいくつかある。けれど、ヒトミワイナリーがいなくなったら、自分が美味しいと思えるワインが飲めなくなってしまうと思った。」 このワイナリーが存続する一助になりたい…純粋な願いだった。 「大手が流通する、一般的なワインが飲めないと思っている人の考えを覆したい」と言う。 ヒトミワイナリーのワインならきっと美味しいと思ってもらえるはずだから。 一般的ではない=不味い、ではない。 一般的でなくても美味しいものは美味しいのだから。こういう思いを日々お客様に伝えているという。 始まりは地元にワイン文化の素晴らしさを伝えたいという熱い思いから 時計の針を巻き戻そう。 ヒトミワイナリーの誕生はとても興味深い。創設者の図師禮三(ズシレイゾウ)氏は、もともとアパレルメーカーである日登美(ヒトミ)株式会社の社長だった。アパレル関連の仕事でフランスに行く機会も多く、ワインやパンの虜になった。また、陶芸を始めとする美術品も収集した。ワインもパンも美術品も、全ては日々の暮らしに彩りを与えるものとして魅了されたのだ。 ▲ 創設者がアパレル関連の会社の社長だったということもあり、ワイナリー内には服飾系のグッズも販売されている。...

大阪・カタシモワイナリー
日本ワインコラム | 大阪 カタシモワイナリー 大阪府柏原市に降り立った。柏原市は大阪府の中央東部に位置し、市の東側は信貴生駒山系を隔てて奈良県と接し、西側には大阪平野が続く。山地から低地へと高低差に富んだ地形が特徴の街だ。 今回お邪魔したカタシモワイナリーは、柏原市にある堅下(カタシモ)という土地で、100年以上に亘ってワインを造り続けている老舗だ。 ▲ 山の斜面にあるブドウ畑。太陽の日差しを受け美しさが際立つ。 ▲ 古民家を改装して造られたカタシモワイナリー。趣がある雰囲気だ。 「よぉー来てくれたなぁ!!!まぁ、はよ上がりぃやぁ!!」と威勢よく迎えて下さったのが、インタビューに応じてくれた4代目の高井利洋さん。隣には、5代目で娘さんの高井麻記子さんが、「どうぞ!どうぞ!!」と言いながらチャキチャキと動き回っておられる。 取材前のリサーチで記事を読む中うすうす感じてはいたが、お2人ともパワー全開だ。1言えば10どころか100返ってくるという感じで、ポンポン話が飛んでくる。そして必ずオチなり笑いがあるのだ。恐るべし河内親子。 酸いも甘いも経験して 「わし、嫌々ワイナリー継いだんや。」 「そんなんゆうたら、私かてそうですやん。」 インタビューののっけからパンチの強い親子だ(失礼な物言いでスミマセン!)。 4代目の高井さんは、神戸で別のお仕事をされていたが、1976年、2代目のお祖父様が亡くなられたタイミングで家業を継ぐことを決心(5代目も東京でIT関連のお仕事をされていたが、ワイナリーを継いだ)。2代目が亡くなったタイミングで、3代目のお父様が畑を売ってマンションにしようと考えていることを知り、このままでは慣れ親しんだブドウ畑の風景が消えてしまうという危機感があった。 日本ワインの草創期:売れない日々 継いだ当時のカタシモワイナリーは、一升瓶を使った赤ワインと白ワインをそれぞれ1種類造っているだけという規模感。日本全国を見渡してもまだ12、3軒程しかワイナリーは存在しておらず(今は400軒以上)、日本ワイン産業の草創期と言える時代だろう。2年後の1978年、松竹劇場で行われた「河内ワイン」という題材の公演に併せ、カタシモワイナリーが「河内ワイン」を赤・白・ロゼそれぞれフルボトルとハーフボトルで販売(所謂「河内ワイン」の生みの親はカタシモワイナリーなのだ)。知名度は上がったが、ワインは売れない。酒屋を周ったり、東京のデパートに遠征したりしても、埃にまみれたワインが戻ってくる。 友人がソムリエを務めるホテルでワインを置いてもらったこともある。当時日本ワインの主流だった甘口はNGという友人のアドバイスに従い、辛口のシャルドネと甲州(堅下本ブドウ)を託したが、1ヶ月で3本しか売れず、惨敗。本場ヨーロッパのワインには太刀打ちできない。悔しい現実を突きつけられた。 ワインとして仕込めなかったブドウは、種があっても生食用のブドウとして大企業に持ち込み販売もした。「私ら、押し売り得意なんですぅ。」と明るく語っていたが、その必死さ、辛酸を舐めた悔しさが伝わってくる。 ▲ ワイナリーにある550mlサイズの古いワインボトル。歴史を感じる。 デラウェアと向き合う中での不退転の決意 デラウェアは北米原産ラブルスカ種の生食用ブドウ。 当初、カタシモワイナリーの畑では植えていなかったそうだ。とはいえ、現在、大阪府が栽培するブドウの80%はデラウェアで、その生産量は全国第3位を誇る程、多く栽培されている品種である。安価で大量。付近では「くずブドウ」と言われる扱いだった。 高井さんの幼少期は近所で54軒がワインを造っていたそうだが、住民の高齢化が進む中、ワイン醸造所がマンションに変わったり、畑が耕作放棄地になったりする姿を見てきた。慣れ親しんだブドウ畑が消えていく姿が悲しく、高井さんは高齢化した農家からデラウェア畑を預かるようになる。 今でこそ、デラウェアで造られるワインは珍しくないが、当時、デラウェアで美味しいワインを造ることは技術的に非常に難しかった。近隣の農家の中にはサントリーの赤玉ポートワインの原料として卸すところもあったようだが、地域には大量のデラウェアが残った。何とかしてデラウェアを使ったワインを造って産業を盛り上げたいと考えるようになった。なぜなら、柏原のワイン産業の存続=自社の存続だから。両者は同じ船に乗っているのだ。 転んでも最後に立ち上がればいい 技術的にデラウェアでスティルワインを造るのが難しいのであればと、最初に取り組んだのはジュース造り。ワイナリーだからこそできる収穫後即絞りによるブドウ本来の香りや風味が楽しめる一本に仕上がった。...
大阪・カタシモワイナリー
日本ワインコラム | 大阪 カタシモワイナリー 大阪府柏原市に降り立った。柏原市は大阪府の中央東部に位置し、市の東側は信貴生駒山系を隔てて奈良県と接し、西側には大阪平野が続く。山地から低地へと高低差に富んだ地形が特徴の街だ。 今回お邪魔したカタシモワイナリーは、柏原市にある堅下(カタシモ)という土地で、100年以上に亘ってワインを造り続けている老舗だ。 ▲ 山の斜面にあるブドウ畑。太陽の日差しを受け美しさが際立つ。 ▲ 古民家を改装して造られたカタシモワイナリー。趣がある雰囲気だ。 「よぉー来てくれたなぁ!!!まぁ、はよ上がりぃやぁ!!」と威勢よく迎えて下さったのが、インタビューに応じてくれた4代目の高井利洋さん。隣には、5代目で娘さんの高井麻記子さんが、「どうぞ!どうぞ!!」と言いながらチャキチャキと動き回っておられる。 取材前のリサーチで記事を読む中うすうす感じてはいたが、お2人ともパワー全開だ。1言えば10どころか100返ってくるという感じで、ポンポン話が飛んでくる。そして必ずオチなり笑いがあるのだ。恐るべし河内親子。 酸いも甘いも経験して 「わし、嫌々ワイナリー継いだんや。」 「そんなんゆうたら、私かてそうですやん。」 インタビューののっけからパンチの強い親子だ(失礼な物言いでスミマセン!)。 4代目の高井さんは、神戸で別のお仕事をされていたが、1976年、2代目のお祖父様が亡くなられたタイミングで家業を継ぐことを決心(5代目も東京でIT関連のお仕事をされていたが、ワイナリーを継いだ)。2代目が亡くなったタイミングで、3代目のお父様が畑を売ってマンションにしようと考えていることを知り、このままでは慣れ親しんだブドウ畑の風景が消えてしまうという危機感があった。 日本ワインの草創期:売れない日々 継いだ当時のカタシモワイナリーは、一升瓶を使った赤ワインと白ワインをそれぞれ1種類造っているだけという規模感。日本全国を見渡してもまだ12、3軒程しかワイナリーは存在しておらず(今は400軒以上)、日本ワイン産業の草創期と言える時代だろう。2年後の1978年、松竹劇場で行われた「河内ワイン」という題材の公演に併せ、カタシモワイナリーが「河内ワイン」を赤・白・ロゼそれぞれフルボトルとハーフボトルで販売(所謂「河内ワイン」の生みの親はカタシモワイナリーなのだ)。知名度は上がったが、ワインは売れない。酒屋を周ったり、東京のデパートに遠征したりしても、埃にまみれたワインが戻ってくる。 友人がソムリエを務めるホテルでワインを置いてもらったこともある。当時日本ワインの主流だった甘口はNGという友人のアドバイスに従い、辛口のシャルドネと甲州(堅下本ブドウ)を託したが、1ヶ月で3本しか売れず、惨敗。本場ヨーロッパのワインには太刀打ちできない。悔しい現実を突きつけられた。 ワインとして仕込めなかったブドウは、種があっても生食用のブドウとして大企業に持ち込み販売もした。「私ら、押し売り得意なんですぅ。」と明るく語っていたが、その必死さ、辛酸を舐めた悔しさが伝わってくる。 ▲ ワイナリーにある550mlサイズの古いワインボトル。歴史を感じる。 デラウェアと向き合う中での不退転の決意 デラウェアは北米原産ラブルスカ種の生食用ブドウ。 当初、カタシモワイナリーの畑では植えていなかったそうだ。とはいえ、現在、大阪府が栽培するブドウの80%はデラウェアで、その生産量は全国第3位を誇る程、多く栽培されている品種である。安価で大量。付近では「くずブドウ」と言われる扱いだった。 高井さんの幼少期は近所で54軒がワインを造っていたそうだが、住民の高齢化が進む中、ワイン醸造所がマンションに変わったり、畑が耕作放棄地になったりする姿を見てきた。慣れ親しんだブドウ畑が消えていく姿が悲しく、高井さんは高齢化した農家からデラウェア畑を預かるようになる。 今でこそ、デラウェアで造られるワインは珍しくないが、当時、デラウェアで美味しいワインを造ることは技術的に非常に難しかった。近隣の農家の中にはサントリーの赤玉ポートワインの原料として卸すところもあったようだが、地域には大量のデラウェアが残った。何とかしてデラウェアを使ったワインを造って産業を盛り上げたいと考えるようになった。なぜなら、柏原のワイン産業の存続=自社の存続だから。両者は同じ船に乗っているのだ。 転んでも最後に立ち上がればいい 技術的にデラウェアでスティルワインを造るのが難しいのであればと、最初に取り組んだのはジュース造り。ワイナリーだからこそできる収穫後即絞りによるブドウ本来の香りや風味が楽しめる一本に仕上がった。...

山梨・奥野田葡萄酒醸造
日本ワインコラム | 山梨 奥野田ワイナリー ▲ ワイナリー入口付近にある看板。「美味しいワインはこちら」という言葉にワクワクする。 山梨県甲州市塩山に拠点を置く奥野田ワイナリー。甲府盆地東部に位置する日当たりのよい斜面を利用した畑が印象的だ。この土地で、中村さんはブドウ栽培とワイン醸造を続けて33年目を迎える。 「世界に通用するワインを造りたい」― 変わらぬ熱い思い ― 中村さんのワイン史は、新入社員で入社した勝沼にある老舗、グレイスワインから始まる。還暦を迎えた今のご自身と同年代の工場長と共に、日々、醸造に向き合い、テイスティングを繰り返したという。20代前半だった当時の自分の方が嗅覚も味覚も優れているはずなのに、独学でワインの勉強をしていた工場長には全く太刀打ちできなかった と嬉しそうに語ってくれた。人生の転機になった出来事だ。当時、甲府盆地産ワインに対する評価はかなり低かった。不服に思ったが、使用されていたブドウの品質では世界に通用する訳がないとも痛感していた。 そして、26歳で独立。 「世界に通用するワインを造りたい」 モチベーションは今も昔もこの一つだと言う。 全ては「聴く力」があるからこそ ▲ 日灼圃場入り口にある看板。風情があって素敵だ。 ワイナリーの裏手にある日灼(ひやけ)圃場。中村さんはここで、日本の伝統的なブドウ栽培手法ではなく、欧米で一般的に用いられている手法を参考にワイン用ブドウを栽培している。33年前に栽培を始めた頃、近隣の農家には「ブドウは出荷して食べてもらうもの」という認識しかなかった。小粒で、水分量が少ない、種のあるワイン用ブドウを栽培する中村さんは「クレイジー」と評されたが、屈することはなかった。生食用のブドウの余りでワインを造るのでなく、世界に通用するワインを造るという信念とそれを支えるロジックがあったからだ。 ロジック1:仕立て方を攻略する ▲ 日灼圃場では、垣根仕立てのカベルネ・ソーヴィニヨンが所狭しと植えられている。 甲府盆地でのブドウ栽培の歴史は長く、800年以上も前に遡るが、基本的には生食用で、品種は北米原産のラブルスカ種が主流だ。優しい甘さと溢れ出す果汁。これが生食用のブドウだ。高温多湿で肥沃な土壌を持つ甲府盆地では、生食用のブドウには棚仕立てが適した選択だろう。棚仕立ての植付け量は、約200本/1ha。本数は少ないが、豊富な水分と養分を吸収した一本一本の木は太く、強い樹勢を持つことから、面積当たりの収穫量は世界トップレベルを誇る。 一方、ワイン用ブドウは、ヨーロッパ原産のヴィニフェラ種が主流で、奥野田ワイナリーで栽培するカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、シャルドネ、甲州といった品種が含まれる。ラブルスカ種とは異なり、痩せた土地や乾燥した環境を好む品種が多い。奥野田ワイナリーでは、ヴィニフェラ種のブドウは全て垣根仕立てが採用されており、約9,000本/1haの密度で植えられている。 世界的な植付け密度(4,000本前後〜10,000本超/1ha)と同じレンジだが、日本の伝統的な棚仕立ての植付け量とは大きく異なる。ブドウ間の競争環境を作り出し、ワイン醸造に欠かせない高い糖度と水分量が少なく凝縮された果実味のあるブドウ栽培に心を使っている。詳しくは以下で説明する。 ロジック2:水分過多を攻略する ▲ 水分と養分を奪い合う為、樹齢25年の木であっても、棚仕立てで育てられた木の様に太くはならない。 世界的にワイン用ブドウ栽培地は、乾燥した痩せた土壌環境が多い。銘醸地で多く見られる石灰質土壌は水はけがよい。水分不足が適度なストレスとなり、糖度の高いブドウが育成される。一方、甲府盆地の栽培環境は、気温、降雨量、土壌養分全てが高レベルだ。 そこで、中村さんは、1ha当たりの植付けを多くし、ブドウ同士で水分と養分を奪い合う環境を整えた。その結果、ブドウの根は横に広がらず、地層奥に伸びる(畑の土壌表層は浅く、15cm程度の肥沃な関東ローム層で、その下が岩盤になっている)。ブドウは、土壌表面の栄養豊富な水分ではなく、岩盤奥の低栄養、高ミネラルな水分を吸収する為、pH値が低い果汁を収穫することが可能になる。pH値が低い果汁は酸化しにくい上に、酵母が活発に活動するので、発酵もスムーズに進むというメリットがある。...
山梨・奥野田葡萄酒醸造
日本ワインコラム | 山梨 奥野田ワイナリー ▲ ワイナリー入口付近にある看板。「美味しいワインはこちら」という言葉にワクワクする。 山梨県甲州市塩山に拠点を置く奥野田ワイナリー。甲府盆地東部に位置する日当たりのよい斜面を利用した畑が印象的だ。この土地で、中村さんはブドウ栽培とワイン醸造を続けて33年目を迎える。 「世界に通用するワインを造りたい」― 変わらぬ熱い思い ― 中村さんのワイン史は、新入社員で入社した勝沼にある老舗、グレイスワインから始まる。還暦を迎えた今のご自身と同年代の工場長と共に、日々、醸造に向き合い、テイスティングを繰り返したという。20代前半だった当時の自分の方が嗅覚も味覚も優れているはずなのに、独学でワインの勉強をしていた工場長には全く太刀打ちできなかった と嬉しそうに語ってくれた。人生の転機になった出来事だ。当時、甲府盆地産ワインに対する評価はかなり低かった。不服に思ったが、使用されていたブドウの品質では世界に通用する訳がないとも痛感していた。 そして、26歳で独立。 「世界に通用するワインを造りたい」 モチベーションは今も昔もこの一つだと言う。 全ては「聴く力」があるからこそ ▲ 日灼圃場入り口にある看板。風情があって素敵だ。 ワイナリーの裏手にある日灼(ひやけ)圃場。中村さんはここで、日本の伝統的なブドウ栽培手法ではなく、欧米で一般的に用いられている手法を参考にワイン用ブドウを栽培している。33年前に栽培を始めた頃、近隣の農家には「ブドウは出荷して食べてもらうもの」という認識しかなかった。小粒で、水分量が少ない、種のあるワイン用ブドウを栽培する中村さんは「クレイジー」と評されたが、屈することはなかった。生食用のブドウの余りでワインを造るのでなく、世界に通用するワインを造るという信念とそれを支えるロジックがあったからだ。 ロジック1:仕立て方を攻略する ▲ 日灼圃場では、垣根仕立てのカベルネ・ソーヴィニヨンが所狭しと植えられている。 甲府盆地でのブドウ栽培の歴史は長く、800年以上も前に遡るが、基本的には生食用で、品種は北米原産のラブルスカ種が主流だ。優しい甘さと溢れ出す果汁。これが生食用のブドウだ。高温多湿で肥沃な土壌を持つ甲府盆地では、生食用のブドウには棚仕立てが適した選択だろう。棚仕立ての植付け量は、約200本/1ha。本数は少ないが、豊富な水分と養分を吸収した一本一本の木は太く、強い樹勢を持つことから、面積当たりの収穫量は世界トップレベルを誇る。 一方、ワイン用ブドウは、ヨーロッパ原産のヴィニフェラ種が主流で、奥野田ワイナリーで栽培するカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、シャルドネ、甲州といった品種が含まれる。ラブルスカ種とは異なり、痩せた土地や乾燥した環境を好む品種が多い。奥野田ワイナリーでは、ヴィニフェラ種のブドウは全て垣根仕立てが採用されており、約9,000本/1haの密度で植えられている。 世界的な植付け密度(4,000本前後〜10,000本超/1ha)と同じレンジだが、日本の伝統的な棚仕立ての植付け量とは大きく異なる。ブドウ間の競争環境を作り出し、ワイン醸造に欠かせない高い糖度と水分量が少なく凝縮された果実味のあるブドウ栽培に心を使っている。詳しくは以下で説明する。 ロジック2:水分過多を攻略する ▲ 水分と養分を奪い合う為、樹齢25年の木であっても、棚仕立てで育てられた木の様に太くはならない。 世界的にワイン用ブドウ栽培地は、乾燥した痩せた土壌環境が多い。銘醸地で多く見られる石灰質土壌は水はけがよい。水分不足が適度なストレスとなり、糖度の高いブドウが育成される。一方、甲府盆地の栽培環境は、気温、降雨量、土壌養分全てが高レベルだ。 そこで、中村さんは、1ha当たりの植付けを多くし、ブドウ同士で水分と養分を奪い合う環境を整えた。その結果、ブドウの根は横に広がらず、地層奥に伸びる(畑の土壌表層は浅く、15cm程度の肥沃な関東ローム層で、その下が岩盤になっている)。ブドウは、土壌表面の栄養豊富な水分ではなく、岩盤奥の低栄養、高ミネラルな水分を吸収する為、pH値が低い果汁を収穫することが可能になる。pH値が低い果汁は酸化しにくい上に、酵母が活発に活動するので、発酵もスムーズに進むというメリットがある。...

山梨・ドメーヌ・デ・テンゲイジ
日本ワインコラム | 山梨・ドメーヌ・デ・テンゲイジ 会うと、すぐに虜になる。 ▲ ドメーヌ・デ・テンゲイジの天花寺さんと下川さんは公私共に最強のパートナーだ。 「いい意味で予想外」ーインタビューを終えた時の印象だ。 2016年創業、2017年にワイナリーをオープン、ククラパン ドメーヌ・デ・テンゲイジの歴史は新しい。ワイナリーは山梨県北杜市明野にあり、圃場はワイナリー隣接地と車で15分程離れた韮崎市上ノ山の2ヶ所に跨る。甲府盆地の北西部に位置し、訪れると八ケ岳や南アルプスといった山々に囲まれた日本有数の美しい山岳景観が心を癒してくれる。 そこで、天花寺さんと下川さんは「未来につなぐ、ほんまもんのワイン。」に日々向き合っている。 ちなみに「CouCou」とはフランス語で「やあ!」「ハロー」など、親しみを込めた表現としてよく使われる言葉で、たくさんの仲間たちが集まってくるようなワイナリーになってほしいという想いを込めて社名につけたそうだ。 取材に当たり、ホームページやいくつかの記事を読んでいた。 2人揃って大阪出身。天花寺さんは輸入ワインのインポーターでキャリアを積んだ後、山梨大学院ワイン科学研究センターで修士を取得、ニュージーランドでの醸造研修を経て今に至る。 一方の下川さんは、理学療法士としてのキャリアが長い。理学療法とブドウ栽培は「同じ生理学だ」と断言し、上質でサステイナブルなブドウ栽培と日々向き合っている。「なんだこの情熱、そして行動力!」。強い意志と馬力を持ってゴリゴリと道を切り開くブルドーザーのような二人だと思っていた(失礼だったら申し訳ない…)。 確かに、揺るぎない思いや突き進む力は、こちらの胸を熱くさせる程だ。しかし、ゴリゴリ感は全くない。大阪弁で繰り広げられる2人の話には笑いと涙が随所に散りばめられ、かなり心地いい。そう、芯はあるが「ほんわか」。温かい人柄が滲み出ているのだ。 今すぐ山梨のワインをチェック! 回り道だと思ったら近道だった 2011年に2人で山梨に移住後、2014年に上ノ山で就農。直ちにワイン醸造に取り掛かったのかと思いきや、そうではなかった。上ノ山ブドウ部会の部会長のアドバイスで、ワイン醸造用のマスカット・ベーリーAだけでなく、生食用のピオーネ、ゴルビー、サニー・ドルチェ、ロザリオ・ビアンコも栽培していたという。 ▲ 上ノ山圃場にあるブドウ。澄み渡る青空が美しい。 えー?と思ったし、どっちもやれと言われて、本当に大変だった と当時を振り返る。醸造用と生食用ではブドウの栽培手法は大きく異なる。生食用のブドウは病気になりやすく、粒を大きく育てる為に粒抜きの作業が加わったりと、醸造用ブドウに必要なことと異なる手間がある。醸造用のブドウ栽培に時間を掛けたいのに、生食用の栽培に労力を割かれる状況だと、焦りが出てやる気が落ちそうだ。しかし、2人は腐らずに、一つ一つに向き合った。就農2年目の秋、出来上がったサニー・ドルチェを出荷した時、部会長が他の農家の前でブドウを褒めてくれたそうだ。「質がいい」と。 「その時は泣きそうになった」 と言う。いいものはいいと褒めてくれる文化がそこにはあった。就農した当初は、周囲の農家も醸造用ブドウを栽培する2人を懐疑的な目で見ていたが、出荷したブドウの品質を見て、その目がガラリと変わった。また、どうやって質の高いブドウを育てられるのかと教えを乞われる立場にもなった。周囲に認められた瞬間だった。 「今思うと、部会長は『頭でっかちになるなよというメッセージを伝えたかったのではないかと思う」 と天花寺さんは当時を振り返る。また、下川さんも 「生食用のブドウを栽培することで、 醸造用のブドウを栽培する上で役立つ技術を勉強できた」 と有難そうに語る。 きっと、2人の力を持ってすれば、最初から醸造用ブドウだけ栽培していたとしても成功していただろう。スタートが遅れたという見方もできるかもしれないが、2人は回り道と思える道を敢えて選ぶことで、周囲の信頼と技術の向上を手に入れた。更に道を開拓する上でこれほど心強い武器はないだろう。...
山梨・ドメーヌ・デ・テンゲイジ
日本ワインコラム | 山梨・ドメーヌ・デ・テンゲイジ 会うと、すぐに虜になる。 ▲ ドメーヌ・デ・テンゲイジの天花寺さんと下川さんは公私共に最強のパートナーだ。 「いい意味で予想外」ーインタビューを終えた時の印象だ。 2016年創業、2017年にワイナリーをオープン、ククラパン ドメーヌ・デ・テンゲイジの歴史は新しい。ワイナリーは山梨県北杜市明野にあり、圃場はワイナリー隣接地と車で15分程離れた韮崎市上ノ山の2ヶ所に跨る。甲府盆地の北西部に位置し、訪れると八ケ岳や南アルプスといった山々に囲まれた日本有数の美しい山岳景観が心を癒してくれる。 そこで、天花寺さんと下川さんは「未来につなぐ、ほんまもんのワイン。」に日々向き合っている。 ちなみに「CouCou」とはフランス語で「やあ!」「ハロー」など、親しみを込めた表現としてよく使われる言葉で、たくさんの仲間たちが集まってくるようなワイナリーになってほしいという想いを込めて社名につけたそうだ。 取材に当たり、ホームページやいくつかの記事を読んでいた。 2人揃って大阪出身。天花寺さんは輸入ワインのインポーターでキャリアを積んだ後、山梨大学院ワイン科学研究センターで修士を取得、ニュージーランドでの醸造研修を経て今に至る。 一方の下川さんは、理学療法士としてのキャリアが長い。理学療法とブドウ栽培は「同じ生理学だ」と断言し、上質でサステイナブルなブドウ栽培と日々向き合っている。「なんだこの情熱、そして行動力!」。強い意志と馬力を持ってゴリゴリと道を切り開くブルドーザーのような二人だと思っていた(失礼だったら申し訳ない…)。 確かに、揺るぎない思いや突き進む力は、こちらの胸を熱くさせる程だ。しかし、ゴリゴリ感は全くない。大阪弁で繰り広げられる2人の話には笑いと涙が随所に散りばめられ、かなり心地いい。そう、芯はあるが「ほんわか」。温かい人柄が滲み出ているのだ。 今すぐ山梨のワインをチェック! 回り道だと思ったら近道だった 2011年に2人で山梨に移住後、2014年に上ノ山で就農。直ちにワイン醸造に取り掛かったのかと思いきや、そうではなかった。上ノ山ブドウ部会の部会長のアドバイスで、ワイン醸造用のマスカット・ベーリーAだけでなく、生食用のピオーネ、ゴルビー、サニー・ドルチェ、ロザリオ・ビアンコも栽培していたという。 ▲ 上ノ山圃場にあるブドウ。澄み渡る青空が美しい。 えー?と思ったし、どっちもやれと言われて、本当に大変だった と当時を振り返る。醸造用と生食用ではブドウの栽培手法は大きく異なる。生食用のブドウは病気になりやすく、粒を大きく育てる為に粒抜きの作業が加わったりと、醸造用ブドウに必要なことと異なる手間がある。醸造用のブドウ栽培に時間を掛けたいのに、生食用の栽培に労力を割かれる状況だと、焦りが出てやる気が落ちそうだ。しかし、2人は腐らずに、一つ一つに向き合った。就農2年目の秋、出来上がったサニー・ドルチェを出荷した時、部会長が他の農家の前でブドウを褒めてくれたそうだ。「質がいい」と。 「その時は泣きそうになった」 と言う。いいものはいいと褒めてくれる文化がそこにはあった。就農した当初は、周囲の農家も醸造用ブドウを栽培する2人を懐疑的な目で見ていたが、出荷したブドウの品質を見て、その目がガラリと変わった。また、どうやって質の高いブドウを育てられるのかと教えを乞われる立場にもなった。周囲に認められた瞬間だった。 「今思うと、部会長は『頭でっかちになるなよというメッセージを伝えたかったのではないかと思う」 と天花寺さんは当時を振り返る。また、下川さんも 「生食用のブドウを栽培することで、 醸造用のブドウを栽培する上で役立つ技術を勉強できた」 と有難そうに語る。 きっと、2人の力を持ってすれば、最初から醸造用ブドウだけ栽培していたとしても成功していただろう。スタートが遅れたという見方もできるかもしれないが、2人は回り道と思える道を敢えて選ぶことで、周囲の信頼と技術の向上を手に入れた。更に道を開拓する上でこれほど心強い武器はないだろう。...

北海道・函館 農楽蔵
日本ワインコラム 北海道・函館 農楽蔵 北海道北斗市文月地区 。 「峩朗(がろう)鉱山」を背に函館市街を見下ろす斜面の上に、農楽蔵の自社農園は広がっている。 ▲ 路面電車が横断する、趣のある港町だ。 最近は治ったのですが、謂わば「斜面を見ると葡萄を植えたくなっちゃう病」に罹っていました。 葡萄を栽培する場所を長い間探していたので、癖になってしまって。 何万人にひとりが罹る奇病なのかは知らないが、筆者が知る限りにおいては、はじめての症例だ。前代未聞の病魔に侵されながらも心を燃やし続けたその情熱は計り知れない。 ブルゴーニュでワインの醸造栽培学を修めた後、山梨県でワイン造りに携わっていた佐々木賢さんは、日本各地を回りながら、自分が求める条件を満たす土地を探していた。 ▲ 農楽蔵 佐々木賢氏 僕の場合、もともとはシャルドネが自分の好みのスペックになりそうなところを探していて、7-8年のあいだ日本中を訪ねて回りました。 当時は、フランス留学を終えた後で、山梨のワイナリーで働いていたのですが、そこからまたフランスに戻ったりして。そのあとに、北海道のニセコにきて、月に一回ほどのペースで実際に函館を訪れていました。 言うまでもない。北海道は大きい。 同じ北海道のうちにあっても、各都市は途方もない空間を隔てている。札幌と旭川なんて、六本木と新宿くらいの距離感でしょ。なんて都内在住者のくるった縮尺は一切通用しない。実際に農楽蔵が位置する函館と、北海道のワイン産地として注目を集めている余市や岩見沢の間には、200㎞以上の距離がある。東京からであれば静岡まで到達してしまう距離だ。県をまたぐどころの話ではなく、違う地方といえる隔絶がある。 同じ自治体区分であることが不自然なくらいだ。 だから、まずそのギャップを考慮に入れなければならない。東京に富士山はないし、静岡に愛宕の出世坂はない。つまるところ、余市などとは対照的に、函館近郊には葡萄栽培の歴史はない。 ▲ 自社畑の文月ヴィンヤードの裏手には、ジュラ紀石灰岩「峩朗(がろう)鉱山」 明治二年にプロシア(ドイツ)人が葡萄を植樹したという記録は残っているのですが、それも凍害かフィロキセラかで途絶えているので、函館には葡萄栽培の歴史はないに等しいです。 気候の特徴のひとつとして、余市や岩見沢にはない「やませ」という太平洋側からくる季節風があるのですが、そのような厳しい風が吹き込んでくると葡萄の収量が落ちてしまいます。 「そういった不安定要素、リスクを抱えた土地だったので、葡萄の栽培はあまり栄えて来ませんでした。 ですが、近年暖かくなってきたことによって、その影響がやや緩和されてきました。 気象庁のデータ等をもとにそのような裏付けとった上で、自社圃場を植樹したのです。」 フランスや日本で得た情報、そして現場を訪れて行った徹底したリサーチの結果。佐々木さんが長い時間をかけたのは、それらと自身が求める条件とを擦り合わせだ。より詳細な情報を求め、入念な準備を進めていく中で、葡萄産地、ワイン造りの現場としての函館の優位性は、佐々木さんの中で確固たるものとなっていった。既に葡萄栽培地として名高い余市などと比較した時の、気候に関する微妙な差異なども函館のアドバンテージを証明する特徴となり得た。 ▲...
北海道・函館 農楽蔵
日本ワインコラム 北海道・函館 農楽蔵 北海道北斗市文月地区 。 「峩朗(がろう)鉱山」を背に函館市街を見下ろす斜面の上に、農楽蔵の自社農園は広がっている。 ▲ 路面電車が横断する、趣のある港町だ。 最近は治ったのですが、謂わば「斜面を見ると葡萄を植えたくなっちゃう病」に罹っていました。 葡萄を栽培する場所を長い間探していたので、癖になってしまって。 何万人にひとりが罹る奇病なのかは知らないが、筆者が知る限りにおいては、はじめての症例だ。前代未聞の病魔に侵されながらも心を燃やし続けたその情熱は計り知れない。 ブルゴーニュでワインの醸造栽培学を修めた後、山梨県でワイン造りに携わっていた佐々木賢さんは、日本各地を回りながら、自分が求める条件を満たす土地を探していた。 ▲ 農楽蔵 佐々木賢氏 僕の場合、もともとはシャルドネが自分の好みのスペックになりそうなところを探していて、7-8年のあいだ日本中を訪ねて回りました。 当時は、フランス留学を終えた後で、山梨のワイナリーで働いていたのですが、そこからまたフランスに戻ったりして。そのあとに、北海道のニセコにきて、月に一回ほどのペースで実際に函館を訪れていました。 言うまでもない。北海道は大きい。 同じ北海道のうちにあっても、各都市は途方もない空間を隔てている。札幌と旭川なんて、六本木と新宿くらいの距離感でしょ。なんて都内在住者のくるった縮尺は一切通用しない。実際に農楽蔵が位置する函館と、北海道のワイン産地として注目を集めている余市や岩見沢の間には、200㎞以上の距離がある。東京からであれば静岡まで到達してしまう距離だ。県をまたぐどころの話ではなく、違う地方といえる隔絶がある。 同じ自治体区分であることが不自然なくらいだ。 だから、まずそのギャップを考慮に入れなければならない。東京に富士山はないし、静岡に愛宕の出世坂はない。つまるところ、余市などとは対照的に、函館近郊には葡萄栽培の歴史はない。 ▲ 自社畑の文月ヴィンヤードの裏手には、ジュラ紀石灰岩「峩朗(がろう)鉱山」 明治二年にプロシア(ドイツ)人が葡萄を植樹したという記録は残っているのですが、それも凍害かフィロキセラかで途絶えているので、函館には葡萄栽培の歴史はないに等しいです。 気候の特徴のひとつとして、余市や岩見沢にはない「やませ」という太平洋側からくる季節風があるのですが、そのような厳しい風が吹き込んでくると葡萄の収量が落ちてしまいます。 「そういった不安定要素、リスクを抱えた土地だったので、葡萄の栽培はあまり栄えて来ませんでした。 ですが、近年暖かくなってきたことによって、その影響がやや緩和されてきました。 気象庁のデータ等をもとにそのような裏付けとった上で、自社圃場を植樹したのです。」 フランスや日本で得た情報、そして現場を訪れて行った徹底したリサーチの結果。佐々木さんが長い時間をかけたのは、それらと自身が求める条件とを擦り合わせだ。より詳細な情報を求め、入念な準備を進めていく中で、葡萄産地、ワイン造りの現場としての函館の優位性は、佐々木さんの中で確固たるものとなっていった。既に葡萄栽培地として名高い余市などと比較した時の、気候に関する微妙な差異なども函館のアドバンテージを証明する特徴となり得た。 ▲...