日本ワインコラム
THE CELLAR ワイン特集
              
            長野・シクロヴィンヤード
日本ワインコラム | 長野 496ワイナリー ボルドーにやってきた。のではないが、日本のボルドーと言われる場所にやってきた。東京から新幹線で約1時間半。信州が誇る一大ワイン産地、千曲川ワインバレーだ。千曲川の流域に広がる産地で、右岸と左岸で個性の異なるブドウ栽培が盛んな場所だ。今回訪れた496ワイナリーがあるのは左岸側。そこで飯島さんは奥様の祐子さんと共に2014年からワイン用ブドウの栽培を始め、2019年には自社ワイナリーを設立、ブドウと向き合う日々を過ごされている。 ▲ 訪れた日は生憎の雨。だけど、深緑色の縁取りが素敵なワイナリーと味のある看板を見ると、「着いたー!」とテンションが上がる。ワイナリーの周りに植えられたお花やオブジェも可愛らしい。 496=シクロ=Cyclo=自転車 ワイナリー名の496にはフランス語で自転車を意味する「シクロ」という意味合いが隠されている。実は、飯島さんはもともと自転車競技の選手。個人追い抜き種目のパシュートと呼ばれる競技では、マスターズ部門の世界記録を樹立したという信じられない経歴の持ち主だ。スポーツ選手でこれだけの経歴の持ち主であれば、引退後にスポーツ関連の職に就くことは容易だっただろうと想像する。しかし、飯島さんは40代後半で全く異なる分野のブドウ栽培&醸造家に転身する。このジャンプはどこから来るのだろう?と不思議に思っていた。 ▲ ワイナリーの中にはそれとなく、自転車に関するオブジェがワインと一緒にディスプレイされている。さりげない感じが逆に小粋だ。 飯島さんはきっぱりと仰る。「過去はどうでもいい。今を大事にしている」 と。選手時代には、自転車で地球15周分を走ったそうだ(驚愕!)。もはやそれがどんな距離なのか想像の域を超えているが、永遠とも思える距離を走りぬき、やりきったという感覚があるのだろう。 次は、何かモノを作って、人に喜んでもらいたいという強い思いがあったそうだ。では、何を作るのか?選手時代、海外に遠征に行った時に出されたワインは、「常に楽しい時のわき役」だったという。ワインは幸せの記憶に直結するもの。そして、ワインには「人を繋げる力がある」と言う。 みんなでボトルに入った液体を分け合いながら飲む。ワインの周りには人が集まる。それだけではない。ワインを目的に旅先を選ぶこともあり、ワインを通じた新しい出会いがある。他の農産物で、こんな形で人を結びつけるものはそうはない。ワインで人に喜んでもらいたい、幸せを感じてもらいたい、人との繋がりを大事にしたい。自転車の世界を経験したからこそ見つけられた次の世界だった。 飯島さんは、目標に向かってもくもくと打ち込むタイプだと祐子さんは仰る。これだ!と思ったものに対しては、迷いなく全エネルギーを注ぐ、猪突猛進型。ワインも自転車も長距離走。2つは全く違う畑のように見えるが、飯島さんの向き合い方は変わらない。365日、休みなく畑に出かけて行くそうだ。 畑との出会い — 流れに身を任せたら最高の場所だった 人に喜んでもらいたいという気持ちから始めたワインの道。出来上がったワインを飲んでもらわないと意味がない。お客様の多い関東圏から近い場所にワイナリーを設立したいと思った。 長野県は首都圏からのアクセスがいい。行政も誘致に積極的で、周りの農家達の風通しも良かった。千曲川ワインバレーは、日本有数の日照時間を誇り、降雨量が少なく、標高が高さによる昼夜の寒暖差があり、ブドウ栽培に恵まれた土地だ。ワイナリーの多くは右岸側にある。左岸よりも更に標高が高く、火山性の黒ボク土を土壌とするところが多い。一方の左岸は、右岸よりも標高が低く、粘土質の土壌を持つ。飯島さんも多くのワイナリー同様、移住当時は右岸で農地を探した。もう少しで契約となったが、所有者側の権利関係に不備があることが判明し、破談になったそうだ。そんな折、左岸の農家にお手伝いをしていた祐子さん経由で今の土地に巡りあった。 蓼科山の地下水+強粘土質土壌+寒暖差という好条件が揃うお米の名産地で、畑の目の前は田んぼが広がる。飯島さんの畑は斜面でお米を作ることができないことから田んぼにならず手付かずで残っていたという。 ▲ 畑の前には田んぼが広がる。新緑の稲と整列するブドウ畑のコントラストが美しい。ブドウ畑と田んぼという組み合わせは珍しいが、日本ならではの癒される景色だ。 当時、粘土質土壌の左岸は果樹不毛と言われていた。果樹の成長速度は遅く、一本当たりの収量も少なく経済性が悪い。一方、栄養分が豊富な粘土質土壌で収穫された果実の味わいは濃いという利点もあった。要は、栽培は大変だが、収穫されたものの質は高いということだ。畑は丘陵でなだらか斜面となっており、実際に畑に足を運ぶといい印象を持ったそうだ。飯島さんの畑は標高680mの台地の南東のヘリにある。実は同じ台地の北西のヘリには、老舗シャトー・メルシャンが自社管理圃場として設立し、高品質なブドウが栽培されていると有名な椀子ワイナリーがある。 北西のヘリで高品質なブドウが育つのであれば、朝から十分な日照を得ることができる南東向きのこの土地はもっと良いに違いないと踏んだ。確かに強教粘土質土壌ではあるが、斜面で水はけも良いのでブドウ栽培にとっては好条件だ。ワイン用ブドウを育てる上で最高の場所だと感じた。 ▲ 斜面に植わっているブドウの木。真直ぐと整列する様が本当に美しい。畝も南北に整備されていて、ムラなく太陽の恵みを長時間受けることが可能だ。 飯島さんは過去に固執しないと言ったが、祐子さんも「行ってみてダメなら遮断されるはず。それが運命。」という考えの持ち主だ。お二人は、「目に見えない導きによって流れていく」という考えを共有している。最初の畑の契約がうまくいかなかったのはそういう運命。今の畑に出会ったのも運命。流れに抗わず、今できることに目一杯力を注ぐことで新たな流れが生まれてくるのだ。 右岸の方が左岸よりも標高が高いなら、寒暖差も右岸の方があると思われる読者も多いだろう。しかし、実は左岸の方が寒暖差はあるのだ。右岸にあるワイナリーの多くは標高800mを超えるが、ゆるやかな南西向きの斜面に畑があり、西日を受けた畑は夜の間も熱が残る。一方、左岸にある飯島さんの畑は南東向きで、西日が少なく、朝は放射冷却の影響でぐんと冷え込む。そのため、5月~6月の頭まで遅霜のリスクがある。リスクはあるが、リターンは大きい。まず、日中は標高が低い分、右岸に比べて2-3℃温度が高くなり、ブドウが熟して糖度が上がる。そして、夜は気温が下がり、ワインに必要不可欠な適度な酸を維持することが可能なのだ。ブドウ栽培環境は抜群にいいと胸を張る。...
長野・シクロヴィンヤード
日本ワインコラム | 長野 496ワイナリー ボルドーにやってきた。のではないが、日本のボルドーと言われる場所にやってきた。東京から新幹線で約1時間半。信州が誇る一大ワイン産地、千曲川ワインバレーだ。千曲川の流域に広がる産地で、右岸と左岸で個性の異なるブドウ栽培が盛んな場所だ。今回訪れた496ワイナリーがあるのは左岸側。そこで飯島さんは奥様の祐子さんと共に2014年からワイン用ブドウの栽培を始め、2019年には自社ワイナリーを設立、ブドウと向き合う日々を過ごされている。 ▲ 訪れた日は生憎の雨。だけど、深緑色の縁取りが素敵なワイナリーと味のある看板を見ると、「着いたー!」とテンションが上がる。ワイナリーの周りに植えられたお花やオブジェも可愛らしい。 496=シクロ=Cyclo=自転車 ワイナリー名の496にはフランス語で自転車を意味する「シクロ」という意味合いが隠されている。実は、飯島さんはもともと自転車競技の選手。個人追い抜き種目のパシュートと呼ばれる競技では、マスターズ部門の世界記録を樹立したという信じられない経歴の持ち主だ。スポーツ選手でこれだけの経歴の持ち主であれば、引退後にスポーツ関連の職に就くことは容易だっただろうと想像する。しかし、飯島さんは40代後半で全く異なる分野のブドウ栽培&醸造家に転身する。このジャンプはどこから来るのだろう?と不思議に思っていた。 ▲ ワイナリーの中にはそれとなく、自転車に関するオブジェがワインと一緒にディスプレイされている。さりげない感じが逆に小粋だ。 飯島さんはきっぱりと仰る。「過去はどうでもいい。今を大事にしている」 と。選手時代には、自転車で地球15周分を走ったそうだ(驚愕!)。もはやそれがどんな距離なのか想像の域を超えているが、永遠とも思える距離を走りぬき、やりきったという感覚があるのだろう。 次は、何かモノを作って、人に喜んでもらいたいという強い思いがあったそうだ。では、何を作るのか?選手時代、海外に遠征に行った時に出されたワインは、「常に楽しい時のわき役」だったという。ワインは幸せの記憶に直結するもの。そして、ワインには「人を繋げる力がある」と言う。 みんなでボトルに入った液体を分け合いながら飲む。ワインの周りには人が集まる。それだけではない。ワインを目的に旅先を選ぶこともあり、ワインを通じた新しい出会いがある。他の農産物で、こんな形で人を結びつけるものはそうはない。ワインで人に喜んでもらいたい、幸せを感じてもらいたい、人との繋がりを大事にしたい。自転車の世界を経験したからこそ見つけられた次の世界だった。 飯島さんは、目標に向かってもくもくと打ち込むタイプだと祐子さんは仰る。これだ!と思ったものに対しては、迷いなく全エネルギーを注ぐ、猪突猛進型。ワインも自転車も長距離走。2つは全く違う畑のように見えるが、飯島さんの向き合い方は変わらない。365日、休みなく畑に出かけて行くそうだ。 畑との出会い — 流れに身を任せたら最高の場所だった 人に喜んでもらいたいという気持ちから始めたワインの道。出来上がったワインを飲んでもらわないと意味がない。お客様の多い関東圏から近い場所にワイナリーを設立したいと思った。 長野県は首都圏からのアクセスがいい。行政も誘致に積極的で、周りの農家達の風通しも良かった。千曲川ワインバレーは、日本有数の日照時間を誇り、降雨量が少なく、標高が高さによる昼夜の寒暖差があり、ブドウ栽培に恵まれた土地だ。ワイナリーの多くは右岸側にある。左岸よりも更に標高が高く、火山性の黒ボク土を土壌とするところが多い。一方の左岸は、右岸よりも標高が低く、粘土質の土壌を持つ。飯島さんも多くのワイナリー同様、移住当時は右岸で農地を探した。もう少しで契約となったが、所有者側の権利関係に不備があることが判明し、破談になったそうだ。そんな折、左岸の農家にお手伝いをしていた祐子さん経由で今の土地に巡りあった。 蓼科山の地下水+強粘土質土壌+寒暖差という好条件が揃うお米の名産地で、畑の目の前は田んぼが広がる。飯島さんの畑は斜面でお米を作ることができないことから田んぼにならず手付かずで残っていたという。 ▲ 畑の前には田んぼが広がる。新緑の稲と整列するブドウ畑のコントラストが美しい。ブドウ畑と田んぼという組み合わせは珍しいが、日本ならではの癒される景色だ。 当時、粘土質土壌の左岸は果樹不毛と言われていた。果樹の成長速度は遅く、一本当たりの収量も少なく経済性が悪い。一方、栄養分が豊富な粘土質土壌で収穫された果実の味わいは濃いという利点もあった。要は、栽培は大変だが、収穫されたものの質は高いということだ。畑は丘陵でなだらか斜面となっており、実際に畑に足を運ぶといい印象を持ったそうだ。飯島さんの畑は標高680mの台地の南東のヘリにある。実は同じ台地の北西のヘリには、老舗シャトー・メルシャンが自社管理圃場として設立し、高品質なブドウが栽培されていると有名な椀子ワイナリーがある。 北西のヘリで高品質なブドウが育つのであれば、朝から十分な日照を得ることができる南東向きのこの土地はもっと良いに違いないと踏んだ。確かに強教粘土質土壌ではあるが、斜面で水はけも良いのでブドウ栽培にとっては好条件だ。ワイン用ブドウを育てる上で最高の場所だと感じた。 ▲ 斜面に植わっているブドウの木。真直ぐと整列する様が本当に美しい。畝も南北に整備されていて、ムラなく太陽の恵みを長時間受けることが可能だ。 飯島さんは過去に固執しないと言ったが、祐子さんも「行ってみてダメなら遮断されるはず。それが運命。」という考えの持ち主だ。お二人は、「目に見えない導きによって流れていく」という考えを共有している。最初の畑の契約がうまくいかなかったのはそういう運命。今の畑に出会ったのも運命。流れに抗わず、今できることに目一杯力を注ぐことで新たな流れが生まれてくるのだ。 右岸の方が左岸よりも標高が高いなら、寒暖差も右岸の方があると思われる読者も多いだろう。しかし、実は左岸の方が寒暖差はあるのだ。右岸にあるワイナリーの多くは標高800mを超えるが、ゆるやかな南西向きの斜面に畑があり、西日を受けた畑は夜の間も熱が残る。一方、左岸にある飯島さんの畑は南東向きで、西日が少なく、朝は放射冷却の影響でぐんと冷え込む。そのため、5月~6月の頭まで遅霜のリスクがある。リスクはあるが、リターンは大きい。まず、日中は標高が低い分、右岸に比べて2-3℃温度が高くなり、ブドウが熟して糖度が上がる。そして、夜は気温が下がり、ワインに必要不可欠な適度な酸を維持することが可能なのだ。ブドウ栽培環境は抜群にいいと胸を張る。...
              
            長野・レ・ヴァン・ヴィヴァン
日本ワインコラム | 長野 レ・ヴァン・ヴィヴァン 山梨県出身の貴博さんと北海道出身の朋子さん。山梨県も北海道も名の通った素晴らしいワイン産地だ。にも関わらず、荻野ご夫妻はなぜか長野県東御市でワイン造りに精を出す。この辺りからして、一筋縄ではいかない何かを感じてもらえるだろう。けれども、ご夫妻にとっては自然な流れでここに来たのだ。 冷涼系ブドウを育てたいと思っていたご夫妻にとって、長野県東御市は県内有数の冷涼な気候でドンピシャ。また、千曲川ワインバレーとして県が力を入れている先でもあり、サポート体制もしっかりしているところも安心材料だった。2016年からワイン用ブドウの栽培を始め、2019年秋にはワイナリーも完成した。今回は、そのワイナリーでお2人の哲学をじっくりお伺いしてみた。 ▲ 白い壁が目を引く、雰囲気のあるワイナリー。併設する畑は、ご夫妻が委託を受けて育てているブドウの木が植わっている。 Lightening could strike. ご夫妻は以前、東京のレストランで働く同僚だった。仕事柄、ワインの勉強としてボルドーの格付けシャトーを覚えたり、周りの大人達から薦められて、名の通ったワインを飲んだりもした。確かに、有名どころのワインは美味しいが、体で納得する味わいではなかった。ところがある日、ヴァン ナチュールを初めて飲んだ時に衝撃が走った。お出汁を飲んだみたいに体に沁み込む感じがして、「ワインって本当に美味しい!」と心底思ったのだ。 当時はまだ日本ワインブームの始まりと言われる時期で、日本でヴァン ナチュールを造っているところは少なかった。日本では無理だと言われていたのだ。そうだとしても、自分達も日本でやってみたい・・・最初にヴァン ナチュールを造りたいと言い出したのは貴博さん。朋子さんもすぐに賛同した。15年程前の話である。 ▲ 最初にヴァン ナチュールを造りたいと言い出した貴博さん。朴訥とした語り口の中にアツイ気持ちが見え隠れする。 その後、山梨の中央葡萄酒株式会社(グレイスワイン)で修行を重ね、フランスのボジョレーやアルザスのヴァン ナチュール生産者の元でも経験も積み、今の場所に居を構えることになる。その間、日本のヴァン ナチュール先駆者達も歩みを進めていた。ご夫妻は、金井醸造場のマスカット・ベイリーAを飲んだ時、日本にもこんな考えを持って美味しいワインを造り上げている人がいるなんて・・・!と衝撃を受けたそうだ。自分達もやらなきゃという思いを強くしたと語る。 ▲ ワイナリーの中のディスプレイが一つ一つオシャレ。素朴で温かみがあって居心地がいい雰囲気なのだ。 そう、ヴァンナチュールとの出会いによって、お2人は稲妻並みの衝撃を受け、今の道に繋がったという訳なのだ。「ジョー・ブラックによろしく」という映画をご存知だろうか?アンソニー・ホプキンズ演じる億万長者が娘に「Stay open. Lightening could strike!」と語るのだが、まさに「Stay open...
長野・レ・ヴァン・ヴィヴァン
日本ワインコラム | 長野 レ・ヴァン・ヴィヴァン 山梨県出身の貴博さんと北海道出身の朋子さん。山梨県も北海道も名の通った素晴らしいワイン産地だ。にも関わらず、荻野ご夫妻はなぜか長野県東御市でワイン造りに精を出す。この辺りからして、一筋縄ではいかない何かを感じてもらえるだろう。けれども、ご夫妻にとっては自然な流れでここに来たのだ。 冷涼系ブドウを育てたいと思っていたご夫妻にとって、長野県東御市は県内有数の冷涼な気候でドンピシャ。また、千曲川ワインバレーとして県が力を入れている先でもあり、サポート体制もしっかりしているところも安心材料だった。2016年からワイン用ブドウの栽培を始め、2019年秋にはワイナリーも完成した。今回は、そのワイナリーでお2人の哲学をじっくりお伺いしてみた。 ▲ 白い壁が目を引く、雰囲気のあるワイナリー。併設する畑は、ご夫妻が委託を受けて育てているブドウの木が植わっている。 Lightening could strike. ご夫妻は以前、東京のレストランで働く同僚だった。仕事柄、ワインの勉強としてボルドーの格付けシャトーを覚えたり、周りの大人達から薦められて、名の通ったワインを飲んだりもした。確かに、有名どころのワインは美味しいが、体で納得する味わいではなかった。ところがある日、ヴァン ナチュールを初めて飲んだ時に衝撃が走った。お出汁を飲んだみたいに体に沁み込む感じがして、「ワインって本当に美味しい!」と心底思ったのだ。 当時はまだ日本ワインブームの始まりと言われる時期で、日本でヴァン ナチュールを造っているところは少なかった。日本では無理だと言われていたのだ。そうだとしても、自分達も日本でやってみたい・・・最初にヴァン ナチュールを造りたいと言い出したのは貴博さん。朋子さんもすぐに賛同した。15年程前の話である。 ▲ 最初にヴァン ナチュールを造りたいと言い出した貴博さん。朴訥とした語り口の中にアツイ気持ちが見え隠れする。 その後、山梨の中央葡萄酒株式会社(グレイスワイン)で修行を重ね、フランスのボジョレーやアルザスのヴァン ナチュール生産者の元でも経験も積み、今の場所に居を構えることになる。その間、日本のヴァン ナチュール先駆者達も歩みを進めていた。ご夫妻は、金井醸造場のマスカット・ベイリーAを飲んだ時、日本にもこんな考えを持って美味しいワインを造り上げている人がいるなんて・・・!と衝撃を受けたそうだ。自分達もやらなきゃという思いを強くしたと語る。 ▲ ワイナリーの中のディスプレイが一つ一つオシャレ。素朴で温かみがあって居心地がいい雰囲気なのだ。 そう、ヴァンナチュールとの出会いによって、お2人は稲妻並みの衝撃を受け、今の道に繋がったという訳なのだ。「ジョー・ブラックによろしく」という映画をご存知だろうか?アンソニー・ホプキンズ演じる億万長者が娘に「Stay open. Lightening could strike!」と語るのだが、まさに「Stay open...
              
            長野・テール・ド・シエル
日本ワインコラム | 長野 テール・ド・シエル / vol.2 はこちら 目線を遮るものは何もない。目前にブドウ畑を捉えながら、真直ぐ視線を送れば、八ヶ岳連峰や北アルプス、中央アルプス、そして富士山までもが遠くで連なる様子が見え、眼下には御牧ケ原の台地や小諸市内が見渡せる。山の下の方から風が優しくふわーっと吹き上がる。心地よい風の音、そして鳥と虫の声。気温は山の下の市内に比べると低く、7月でも涼しさを感じる程だ。足を置く土はフカフカと気持ちがいい。ずっとここに立っていたい。そう感じさせる場所である。 ▲ 写真を眺めるだけでも深呼吸したくなってしまう。畑から見える景色は息を飲む美しさだ。 テール・ド・シエル(Terre de Ciel)は、天空の大地という意味のフランス語。長野県小諸市糠地地区にあるワイナリーは標高950m、隣接する畑は標高920-940mに位置しており、日本一標高の高い場所にあるワイナリーだ。ブドウ畑から雲海が見える日もあるというのだから、その高さをお分かり頂けるだろう。 今回は、そこで栽培と醸造の責任者を務める桒原さんにお話を伺った。 ▲ 畑の入り口にある熊の置物はワイン・グローワーの家族を表しているものだそう。 一目ぼれの力 異色の二人がタッグを組む 2015年にこの地でブドウ栽培を開始し、2020年にはワイナリーを設立して自家醸造も手掛けるようになった。最初にワイナリー設立に向けて動き始めたのは、桒原さんの義父の池田さん。池田さんの前職は通信系会社の役員で、定年退職後、第二の人生としてワイン造りの道に進みたいと考え、千曲川ワインアカデミーを卒業されたという、大変パワフルなお方だ。 そして、桒原さんは、そのチャレンジの傍で当初は池田さんの相談役として、そして2020年のワイナリー開設からは池田さんと二人三脚で一緒に走り続けている。桒原さんの経歴も大変興味深い。元々は消防士としてキャリアをスタートされたが、消防士の仕事の関係で指定障がい者支援施設「こころみ学園」を訪れる。同学園が運営するココ・ファーム・ワイナリー(同ワイナリーの詳細はこちらをどうぞ。)で、知的障がいを持つ学園生が労働しながらワイン造りをしていることに興味を持ち、ボランティアとして通う中、ご自身も学園生と共にワインを造りたいと思い、転職されたという。そこで15年以上、ブドウ栽培とワイン醸造の経験を積んでこられたのだ。 ▲ 2020年のワイナリー開設以降、池田さん(左)と桒原さん(右)がタッグを組んでワイナリーの運営に当たっておられる。 前例がないなら自分が前例になればいい 池田さんから畑の場所をどうすべきか相談があった際、桒原さんは、標高の高い場所がいいのではないかとアドバイスをされたという。小諸市は高品質なブドウを育てているワイナリーもあることから有望視していたが、ヨーロッパ系品種を育てるのであれば冷涼な場所が良いと考え、同市内でも特に標高の高い場所が良いと踏んでいた。 池田さんが畑探しを続ける中、小諸市から糠地地区を紹介され、今の畑に出会う。そして、畑からの絶景に一目ぼれ。相談を受けていた桒原さんもこの景色に心を奪われたそうだ。 土地入手の段になって県に相談した時は、あまりにも標高が高いのでブドウ栽培には適さないと反対されたそうだ。長野で育てるのなら、県名産のメルロとシャルドネが有望で、この場所は冷涼すぎると。それでも、この場所はその他のヨーロッパ系品種を育てるにもポテンシャルが高いと見込んでいた。冷涼だが、日照時間が長く、雨が少ない。風もある。寒暖差が大きく、酸がしっかりと残るはず。 この考えが正しいものだったと確証したのが、2017年に池田さんが近くのワイナリーに委託醸造をお願いしたソーヴィニヨン・ブランの仕上がりを確認した時。きれいな酸味が残ったエレガントな仕上がりで、県の考えもガラッと変わった。今では新規就農希望の方に、なるべく標高の高いところで、メルロやシャルドネ以外の品種の栽培も推奨しているそうだから驚きだ。前例がないからといって諦めるのではなく、自らが前例となって後進を育てていく。リスクは避けるのではなくマネージするものと捉え、果敢にチャレンジされる姿に感服する。 テロワールを追い求めて~天・地・人~ 「テロワール」という言葉を聞いたことがある方も多いだろう。ワインの味わいを決める大変重要な要素で、ワインをかじったことのある人なら、「このワインはテロワールがうまく表現されたものだ」なんて謳い文句を耳にしたことが何度かあるだろう。一方で、この言葉の定義を日本語で表現するのはとても難しく、人によって解釈に幅がある言葉でもあるのも事実だ。土壌や気候といったブドウの栽培環境をイメージしている人もいるだろうし、その土地の風土をイメージされる方もいるだろう。 そんな中、桒原さんは、「天:気候」、「地:土壌」、「人:造り手の考え」が三位一体となって表現するものがテロワールだと定義されている。テール・ド・シエルの味わいは、この三要素が重要な骨格となっているので共有したい。...
長野・テール・ド・シエル
日本ワインコラム | 長野 テール・ド・シエル / vol.2 はこちら 目線を遮るものは何もない。目前にブドウ畑を捉えながら、真直ぐ視線を送れば、八ヶ岳連峰や北アルプス、中央アルプス、そして富士山までもが遠くで連なる様子が見え、眼下には御牧ケ原の台地や小諸市内が見渡せる。山の下の方から風が優しくふわーっと吹き上がる。心地よい風の音、そして鳥と虫の声。気温は山の下の市内に比べると低く、7月でも涼しさを感じる程だ。足を置く土はフカフカと気持ちがいい。ずっとここに立っていたい。そう感じさせる場所である。 ▲ 写真を眺めるだけでも深呼吸したくなってしまう。畑から見える景色は息を飲む美しさだ。 テール・ド・シエル(Terre de Ciel)は、天空の大地という意味のフランス語。長野県小諸市糠地地区にあるワイナリーは標高950m、隣接する畑は標高920-940mに位置しており、日本一標高の高い場所にあるワイナリーだ。ブドウ畑から雲海が見える日もあるというのだから、その高さをお分かり頂けるだろう。 今回は、そこで栽培と醸造の責任者を務める桒原さんにお話を伺った。 ▲ 畑の入り口にある熊の置物はワイン・グローワーの家族を表しているものだそう。 一目ぼれの力 異色の二人がタッグを組む 2015年にこの地でブドウ栽培を開始し、2020年にはワイナリーを設立して自家醸造も手掛けるようになった。最初にワイナリー設立に向けて動き始めたのは、桒原さんの義父の池田さん。池田さんの前職は通信系会社の役員で、定年退職後、第二の人生としてワイン造りの道に進みたいと考え、千曲川ワインアカデミーを卒業されたという、大変パワフルなお方だ。 そして、桒原さんは、そのチャレンジの傍で当初は池田さんの相談役として、そして2020年のワイナリー開設からは池田さんと二人三脚で一緒に走り続けている。桒原さんの経歴も大変興味深い。元々は消防士としてキャリアをスタートされたが、消防士の仕事の関係で指定障がい者支援施設「こころみ学園」を訪れる。同学園が運営するココ・ファーム・ワイナリー(同ワイナリーの詳細はこちらをどうぞ。)で、知的障がいを持つ学園生が労働しながらワイン造りをしていることに興味を持ち、ボランティアとして通う中、ご自身も学園生と共にワインを造りたいと思い、転職されたという。そこで15年以上、ブドウ栽培とワイン醸造の経験を積んでこられたのだ。 ▲ 2020年のワイナリー開設以降、池田さん(左)と桒原さん(右)がタッグを組んでワイナリーの運営に当たっておられる。 前例がないなら自分が前例になればいい 池田さんから畑の場所をどうすべきか相談があった際、桒原さんは、標高の高い場所がいいのではないかとアドバイスをされたという。小諸市は高品質なブドウを育てているワイナリーもあることから有望視していたが、ヨーロッパ系品種を育てるのであれば冷涼な場所が良いと考え、同市内でも特に標高の高い場所が良いと踏んでいた。 池田さんが畑探しを続ける中、小諸市から糠地地区を紹介され、今の畑に出会う。そして、畑からの絶景に一目ぼれ。相談を受けていた桒原さんもこの景色に心を奪われたそうだ。 土地入手の段になって県に相談した時は、あまりにも標高が高いのでブドウ栽培には適さないと反対されたそうだ。長野で育てるのなら、県名産のメルロとシャルドネが有望で、この場所は冷涼すぎると。それでも、この場所はその他のヨーロッパ系品種を育てるにもポテンシャルが高いと見込んでいた。冷涼だが、日照時間が長く、雨が少ない。風もある。寒暖差が大きく、酸がしっかりと残るはず。 この考えが正しいものだったと確証したのが、2017年に池田さんが近くのワイナリーに委託醸造をお願いしたソーヴィニヨン・ブランの仕上がりを確認した時。きれいな酸味が残ったエレガントな仕上がりで、県の考えもガラッと変わった。今では新規就農希望の方に、なるべく標高の高いところで、メルロやシャルドネ以外の品種の栽培も推奨しているそうだから驚きだ。前例がないからといって諦めるのではなく、自らが前例となって後進を育てていく。リスクは避けるのではなくマネージするものと捉え、果敢にチャレンジされる姿に感服する。 テロワールを追い求めて~天・地・人~ 「テロワール」という言葉を聞いたことがある方も多いだろう。ワインの味わいを決める大変重要な要素で、ワインをかじったことのある人なら、「このワインはテロワールがうまく表現されたものだ」なんて謳い文句を耳にしたことが何度かあるだろう。一方で、この言葉の定義を日本語で表現するのはとても難しく、人によって解釈に幅がある言葉でもあるのも事実だ。土壌や気候といったブドウの栽培環境をイメージしている人もいるだろうし、その土地の風土をイメージされる方もいるだろう。 そんな中、桒原さんは、「天:気候」、「地:土壌」、「人:造り手の考え」が三位一体となって表現するものがテロワールだと定義されている。テール・ド・シエルの味わいは、この三要素が重要な骨格となっているので共有したい。...
              
            長野・ナゴミ・ヴィンヤーズ
日本ワインコラム | 長野 ナゴミ・ヴィンヤーズ 千曲川ワインバレーの右岸側、長野県東御市和(かのう)上ノ山地区にあるナゴミ・ヴィンヤーズにお邪魔した。インタビューさせて頂いた池さんは、この地で13年前からワイン造りに向き合っておられる。前職は東京でシステム・エンジニアをされていた。今でこそ、千曲川ワインバレーと言われる程、ワイナリーが乱立するこの地域も、移住した当初は1軒だけワイナリーがあるというような状態だった。そこから一つ一つ実績と信頼を積み上げてきた池さんは、畑に常に流れるそよ風のように、どこまでも優しく懐が深い。 ▲ 中央に見えるのがナゴミ・ヴィンヤーズの畑。遠目に見える山が美しい。 やっぱりワインが大好きだから。 前職は、ネットワーク関連のシステム・エンジニア。なぜ、ワイン関連に転向したのだろう? 「技術は入れ替わりが激しく、システムを作ってもすぐにまた新しいものが出てくる世界。そういう仕事をしていて、世代を超えて受け継がれるものに憧れがあった。」とお答えになった上で、 ▲ 穏やかな語り口の池さん。一つ一つに丁寧に答えて下さる姿が印象的だ。 「今まで人に聞かれたらそう答えてきたのだけど、4回仕込みを終えて気付いたことがあるんです。サラリーマンを辞めてワイン農家に転向することはかなりのジャンプで、こう答えることで自分の背中を押してあげていたんだな、と。実際のところは、どうしても造ってみたかった、ということだと思います。それに尽きるな、と。ワインがずっと大好きで。その当時はまだ珍しかったけど、小規模でワインを造っている人がポツポツと出始めているのを記事で読んだりして、居ても立っても居られなかったんです。」 正直な方だなぁ、と思った。嘘偽りのない言葉。 と同時に、自分を鼓舞し続けるための大義名分があったからこそ、乗り越えられた困難も沢山あったのだろうなとも思った。池さんは決して困難を大袈裟に語ろうとしないし、ご自身の凄さを表に出されない。しかし、考えてもみてほしい。移住した当時はワイナリーなんてほぼない場所。そこに東京から移住してきたヨソモノ。しかも農業とは無縁のシステム・エンジニア。ワイン用のブドウを育てたいと言ってすんなりいい土地が見つかることはなかっただろう。池さんも最初は巨峰農家のもとで栽培を学んでいたそうだ。そこで信頼を得て紹介してもらえたのが今の農地。この辺りは巨峰の名産地だ。このエリアは粘土質土壌で、ブドウの粒は伸びにくいが、味が濃いという特徴がある。生食用の場合、目方売りなので粒が小さいのは不利になるが、醸造用のブドウにとってはむしろいい条件になる。ここだ!と思い即決したそうだ。 好きだから苦労が苦労でなくなる。 ブドウは一度植えるとずっと付き合っていくもの。だからこそ、「自分がぐっとくる品種じゃないとやってられない」。池さんが育てるのは、ピノ・ノワール、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブランだ。 ▲ 池さんが「ぐっとくる」品種のブドウ達は、心地よさそうに育っている。収穫が今から楽しみだ。 ブドウの木を植えて9年目。ブドウの木の主幹はしっかりと締まっていて、理想的でゆるやかな成長を遂げている。畑は見込んでいた通り、いい場所だった。南西向きで日照量がしっかりある。穏やかな風が終始スーっと感じられる。標高は高いが、風があるので冷気が溜まらず、凍害もでないそうだ。また、風が吹くことで湿気が溜まりにくく病気にも強い。農家によって株元の雑草に対する考えは異なるし、池さんも昔は刈らなかったと前置きされた上で、今は雑草があると湿気が溜まりやすいと考え、しっかり刈るようにしているそうだ。 粘土質土壌は養分が多く含まれるので、味の濃いブドウに仕上がる一方、水はけの悪さがネックになることも事実だ。池さんの畑はなだらかな斜面になっているので、水の流れはいい。また、池さんが信頼を寄せ、シードル用のリンゴを買い入れている農家のアドバイスを聞き、ブドウの根元に土を盛り高畝に仕上げることで、更に水はけのよさを確保している。 ▲ ブドウの根元には土が盛られて高畝にされている。また、根元の雑草は刈られ、通気性が担保されている。 池さんは言う。 「セオリーではなく、地元の農家のアドバイスが一番だ」 と。柔軟に人の意見を聞き入れ、試してみる。こういう姿勢が地元の人の信頼を勝ち得ている所以なのだろう。 ここまでしっかりと畑の管理をしても、ブドウは病気にかかりやすい。基本的に殺虫剤はまかないが、最小限の農薬は散布する。農薬散布はタイミングが命だと仰る。効果の8割方はタイミングで決まる、と。しっかりと畑のブドウと向き合っているからこそ、タイミングを逸せず、必要最小限の量に抑えることができるのだろう。 ワインが大好きだからできること。大変だけど、心の奥底からやりたいことだから。実際にブドウ栽培してみると面白い。常に前のめりだし、一年があっという間に過ぎる。「気づいたら60、70(歳)になってるんだろうなぁ。」と優しく微笑まれた顔が印象的だ。 優しい造りを心掛ける。 ワイン用ブドウ栽培を始めて5年後の2018年8月、ワイナリーが竣工した。それまでは近くのワイナリーに委託醸造をお願いしていた。ワイナリーを設立するためには、いくつかの条件をクリアにする必要があるのだが、2017年10月、委託醸造を依頼した近所のワイナリーの様子を見学している時に、条件が全て揃っていることに気付いた。今だ!と思い、全力で動いたという。1年未満で竣工しているのだからそのエネルギーに驚かされる。...
長野・ナゴミ・ヴィンヤーズ
日本ワインコラム | 長野 ナゴミ・ヴィンヤーズ 千曲川ワインバレーの右岸側、長野県東御市和(かのう)上ノ山地区にあるナゴミ・ヴィンヤーズにお邪魔した。インタビューさせて頂いた池さんは、この地で13年前からワイン造りに向き合っておられる。前職は東京でシステム・エンジニアをされていた。今でこそ、千曲川ワインバレーと言われる程、ワイナリーが乱立するこの地域も、移住した当初は1軒だけワイナリーがあるというような状態だった。そこから一つ一つ実績と信頼を積み上げてきた池さんは、畑に常に流れるそよ風のように、どこまでも優しく懐が深い。 ▲ 中央に見えるのがナゴミ・ヴィンヤーズの畑。遠目に見える山が美しい。 やっぱりワインが大好きだから。 前職は、ネットワーク関連のシステム・エンジニア。なぜ、ワイン関連に転向したのだろう? 「技術は入れ替わりが激しく、システムを作ってもすぐにまた新しいものが出てくる世界。そういう仕事をしていて、世代を超えて受け継がれるものに憧れがあった。」とお答えになった上で、 ▲ 穏やかな語り口の池さん。一つ一つに丁寧に答えて下さる姿が印象的だ。 「今まで人に聞かれたらそう答えてきたのだけど、4回仕込みを終えて気付いたことがあるんです。サラリーマンを辞めてワイン農家に転向することはかなりのジャンプで、こう答えることで自分の背中を押してあげていたんだな、と。実際のところは、どうしても造ってみたかった、ということだと思います。それに尽きるな、と。ワインがずっと大好きで。その当時はまだ珍しかったけど、小規模でワインを造っている人がポツポツと出始めているのを記事で読んだりして、居ても立っても居られなかったんです。」 正直な方だなぁ、と思った。嘘偽りのない言葉。 と同時に、自分を鼓舞し続けるための大義名分があったからこそ、乗り越えられた困難も沢山あったのだろうなとも思った。池さんは決して困難を大袈裟に語ろうとしないし、ご自身の凄さを表に出されない。しかし、考えてもみてほしい。移住した当時はワイナリーなんてほぼない場所。そこに東京から移住してきたヨソモノ。しかも農業とは無縁のシステム・エンジニア。ワイン用のブドウを育てたいと言ってすんなりいい土地が見つかることはなかっただろう。池さんも最初は巨峰農家のもとで栽培を学んでいたそうだ。そこで信頼を得て紹介してもらえたのが今の農地。この辺りは巨峰の名産地だ。このエリアは粘土質土壌で、ブドウの粒は伸びにくいが、味が濃いという特徴がある。生食用の場合、目方売りなので粒が小さいのは不利になるが、醸造用のブドウにとってはむしろいい条件になる。ここだ!と思い即決したそうだ。 好きだから苦労が苦労でなくなる。 ブドウは一度植えるとずっと付き合っていくもの。だからこそ、「自分がぐっとくる品種じゃないとやってられない」。池さんが育てるのは、ピノ・ノワール、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブランだ。 ▲ 池さんが「ぐっとくる」品種のブドウ達は、心地よさそうに育っている。収穫が今から楽しみだ。 ブドウの木を植えて9年目。ブドウの木の主幹はしっかりと締まっていて、理想的でゆるやかな成長を遂げている。畑は見込んでいた通り、いい場所だった。南西向きで日照量がしっかりある。穏やかな風が終始スーっと感じられる。標高は高いが、風があるので冷気が溜まらず、凍害もでないそうだ。また、風が吹くことで湿気が溜まりにくく病気にも強い。農家によって株元の雑草に対する考えは異なるし、池さんも昔は刈らなかったと前置きされた上で、今は雑草があると湿気が溜まりやすいと考え、しっかり刈るようにしているそうだ。 粘土質土壌は養分が多く含まれるので、味の濃いブドウに仕上がる一方、水はけの悪さがネックになることも事実だ。池さんの畑はなだらかな斜面になっているので、水の流れはいい。また、池さんが信頼を寄せ、シードル用のリンゴを買い入れている農家のアドバイスを聞き、ブドウの根元に土を盛り高畝に仕上げることで、更に水はけのよさを確保している。 ▲ ブドウの根元には土が盛られて高畝にされている。また、根元の雑草は刈られ、通気性が担保されている。 池さんは言う。 「セオリーではなく、地元の農家のアドバイスが一番だ」 と。柔軟に人の意見を聞き入れ、試してみる。こういう姿勢が地元の人の信頼を勝ち得ている所以なのだろう。 ここまでしっかりと畑の管理をしても、ブドウは病気にかかりやすい。基本的に殺虫剤はまかないが、最小限の農薬は散布する。農薬散布はタイミングが命だと仰る。効果の8割方はタイミングで決まる、と。しっかりと畑のブドウと向き合っているからこそ、タイミングを逸せず、必要最小限の量に抑えることができるのだろう。 ワインが大好きだからできること。大変だけど、心の奥底からやりたいことだから。実際にブドウ栽培してみると面白い。常に前のめりだし、一年があっという間に過ぎる。「気づいたら60、70(歳)になってるんだろうなぁ。」と優しく微笑まれた顔が印象的だ。 優しい造りを心掛ける。 ワイン用ブドウ栽培を始めて5年後の2018年8月、ワイナリーが竣工した。それまでは近くのワイナリーに委託醸造をお願いしていた。ワイナリーを設立するためには、いくつかの条件をクリアにする必要があるのだが、2017年10月、委託醸造を依頼した近所のワイナリーの様子を見学している時に、条件が全て揃っていることに気付いた。今だ!と思い、全力で動いたという。1年未満で竣工しているのだからそのエネルギーに驚かされる。...
              
            滋賀・ヒトミワイナリー
日本ワインコラム | 滋賀 ヒトミワイナリー 滋賀県東近江市にあるヒトミワイナリー。 滋賀県と言えば琵琶湖という安直なイメージしか持ち合わせていなかったこともあり、ワイナリーがあると聞いて驚いた。滋賀県は中央に琵琶湖、その周囲に山地がある。東近江市は県の南東部に当たり、そのまま東に進めば三重県境の鈴鹿山脈に抜けるという位置関係で、東に山地、南東から北西に伸びる扇状地、そして西に琵琶湖岸に至る平地に大分される。 ワイナリーがある東近江市永源寺地区は、特に紅葉が有名で、四季を通じて豊かな自然が楽しめる場所だ。 ワイナリーがオープンしたのは1991年。今年で31年目を迎える。 ▲ 赤屋根と壁にツタが覆う素敵な雰囲気のワイナリー。青空に映える! 「ヒトミワイナリーのお客さんの大半はワインが飲めない人です。」 衝撃的なこの一言からインタビューがスタートした。 2014年にヒトミワイナリーに入社された、栗田さんの言葉だ。栗田さんはJSA認定ソムリエ、ANSA認定ワインコーディネーターの資格をお持ちだが、元々ワインが大嫌いだったと言うのだから驚きだ。前職の飲食店で提供するお酒のラインナップを選ぶ中、これも元々嫌いだったというビールの勉強をし始めたら、酵母の香りや旨味が感じられるベルギービールの美味しさに目覚めたという。日本酒でも深い味わいの純米生酛や山廃が好み。 「いいものを見つけてお客様に届けたい!」という気持ちが強くなったという。 その後、ワインの勉強を始め、嫌いなワインでもいくつか飲めると思えるワインが出てきた。そして、日本のワイナリーを巡る中でヒトミワイナリーに出会い、その味わいと美味しさにノックアウトされ、通い詰めたそうだ。 惚れ込んだら一直線…仕事を辞めてヒトミワイナリーの門戸を叩いた。ポストがないと一度は断られたが、諦めずに待っていたら、しばらくして店長のポストを譲り受けたそうだ。猪突猛進という言葉がぴったりの度胸と行動力に、目が点になった。 ▲ ヒトミワイナリーが大好きという気持ちが溢れる栗田さん。 栗田さんは言う。 「日本酒や焼酎でも惚れ込んだ先はあるが、産業のすそ野が広く、好きな蔵元が数件倒産したとしても、まだ自分が飲みたいと思えるものはいくつかある。けれど、ヒトミワイナリーがいなくなったら、自分が美味しいと思えるワインが飲めなくなってしまうと思った。」 このワイナリーが存続する一助になりたい…純粋な願いだった。 「大手が流通する、一般的なワインが飲めないと思っている人の考えを覆したい」と言う。 ヒトミワイナリーのワインならきっと美味しいと思ってもらえるはずだから。 一般的ではない=不味い、ではない。 一般的でなくても美味しいものは美味しいのだから。こういう思いを日々お客様に伝えているという。 始まりは地元にワイン文化の素晴らしさを伝えたいという熱い思いから 時計の針を巻き戻そう。 ヒトミワイナリーの誕生はとても興味深い。創設者の図師禮三(ズシレイゾウ)氏は、もともとアパレルメーカーである日登美(ヒトミ)株式会社の社長だった。アパレル関連の仕事でフランスに行く機会も多く、ワインやパンの虜になった。また、陶芸を始めとする美術品も収集した。ワインもパンも美術品も、全ては日々の暮らしに彩りを与えるものとして魅了されたのだ。 ▲ 創設者がアパレル関連の会社の社長だったということもあり、ワイナリー内には服飾系のグッズも販売されている。...
滋賀・ヒトミワイナリー
日本ワインコラム | 滋賀 ヒトミワイナリー 滋賀県東近江市にあるヒトミワイナリー。 滋賀県と言えば琵琶湖という安直なイメージしか持ち合わせていなかったこともあり、ワイナリーがあると聞いて驚いた。滋賀県は中央に琵琶湖、その周囲に山地がある。東近江市は県の南東部に当たり、そのまま東に進めば三重県境の鈴鹿山脈に抜けるという位置関係で、東に山地、南東から北西に伸びる扇状地、そして西に琵琶湖岸に至る平地に大分される。 ワイナリーがある東近江市永源寺地区は、特に紅葉が有名で、四季を通じて豊かな自然が楽しめる場所だ。 ワイナリーがオープンしたのは1991年。今年で31年目を迎える。 ▲ 赤屋根と壁にツタが覆う素敵な雰囲気のワイナリー。青空に映える! 「ヒトミワイナリーのお客さんの大半はワインが飲めない人です。」 衝撃的なこの一言からインタビューがスタートした。 2014年にヒトミワイナリーに入社された、栗田さんの言葉だ。栗田さんはJSA認定ソムリエ、ANSA認定ワインコーディネーターの資格をお持ちだが、元々ワインが大嫌いだったと言うのだから驚きだ。前職の飲食店で提供するお酒のラインナップを選ぶ中、これも元々嫌いだったというビールの勉強をし始めたら、酵母の香りや旨味が感じられるベルギービールの美味しさに目覚めたという。日本酒でも深い味わいの純米生酛や山廃が好み。 「いいものを見つけてお客様に届けたい!」という気持ちが強くなったという。 その後、ワインの勉強を始め、嫌いなワインでもいくつか飲めると思えるワインが出てきた。そして、日本のワイナリーを巡る中でヒトミワイナリーに出会い、その味わいと美味しさにノックアウトされ、通い詰めたそうだ。 惚れ込んだら一直線…仕事を辞めてヒトミワイナリーの門戸を叩いた。ポストがないと一度は断られたが、諦めずに待っていたら、しばらくして店長のポストを譲り受けたそうだ。猪突猛進という言葉がぴったりの度胸と行動力に、目が点になった。 ▲ ヒトミワイナリーが大好きという気持ちが溢れる栗田さん。 栗田さんは言う。 「日本酒や焼酎でも惚れ込んだ先はあるが、産業のすそ野が広く、好きな蔵元が数件倒産したとしても、まだ自分が飲みたいと思えるものはいくつかある。けれど、ヒトミワイナリーがいなくなったら、自分が美味しいと思えるワインが飲めなくなってしまうと思った。」 このワイナリーが存続する一助になりたい…純粋な願いだった。 「大手が流通する、一般的なワインが飲めないと思っている人の考えを覆したい」と言う。 ヒトミワイナリーのワインならきっと美味しいと思ってもらえるはずだから。 一般的ではない=不味い、ではない。 一般的でなくても美味しいものは美味しいのだから。こういう思いを日々お客様に伝えているという。 始まりは地元にワイン文化の素晴らしさを伝えたいという熱い思いから 時計の針を巻き戻そう。 ヒトミワイナリーの誕生はとても興味深い。創設者の図師禮三(ズシレイゾウ)氏は、もともとアパレルメーカーである日登美(ヒトミ)株式会社の社長だった。アパレル関連の仕事でフランスに行く機会も多く、ワインやパンの虜になった。また、陶芸を始めとする美術品も収集した。ワインもパンも美術品も、全ては日々の暮らしに彩りを与えるものとして魅了されたのだ。 ▲ 創設者がアパレル関連の会社の社長だったということもあり、ワイナリー内には服飾系のグッズも販売されている。...
              
            大阪・カタシモワイナリー
日本ワインコラム | 大阪 カタシモワイナリー 大阪府柏原市に降り立った。柏原市は大阪府の中央東部に位置し、市の東側は信貴生駒山系を隔てて奈良県と接し、西側には大阪平野が続く。山地から低地へと高低差に富んだ地形が特徴の街だ。 今回お邪魔したカタシモワイナリーは、柏原市にある堅下(カタシモ)という土地で、100年以上に亘ってワインを造り続けている老舗だ。 ▲ 山の斜面にあるブドウ畑。太陽の日差しを受け美しさが際立つ。 ▲ 古民家を改装して造られたカタシモワイナリー。趣がある雰囲気だ。 「よぉー来てくれたなぁ!!!まぁ、はよ上がりぃやぁ!!」と威勢よく迎えて下さったのが、インタビューに応じてくれた4代目の高井利洋さん。隣には、5代目で娘さんの高井麻記子さんが、「どうぞ!どうぞ!!」と言いながらチャキチャキと動き回っておられる。 取材前のリサーチで記事を読む中うすうす感じてはいたが、お2人ともパワー全開だ。1言えば10どころか100返ってくるという感じで、ポンポン話が飛んでくる。そして必ずオチなり笑いがあるのだ。恐るべし河内親子。 酸いも甘いも経験して 「わし、嫌々ワイナリー継いだんや。」 「そんなんゆうたら、私かてそうですやん。」 インタビューののっけからパンチの強い親子だ(失礼な物言いでスミマセン!)。 4代目の高井さんは、神戸で別のお仕事をされていたが、1976年、2代目のお祖父様が亡くなられたタイミングで家業を継ぐことを決心(5代目も東京でIT関連のお仕事をされていたが、ワイナリーを継いだ)。2代目が亡くなったタイミングで、3代目のお父様が畑を売ってマンションにしようと考えていることを知り、このままでは慣れ親しんだブドウ畑の風景が消えてしまうという危機感があった。 日本ワインの草創期:売れない日々 継いだ当時のカタシモワイナリーは、一升瓶を使った赤ワインと白ワインをそれぞれ1種類造っているだけという規模感。日本全国を見渡してもまだ12、3軒程しかワイナリーは存在しておらず(今は400軒以上)、日本ワイン産業の草創期と言える時代だろう。2年後の1978年、松竹劇場で行われた「河内ワイン」という題材の公演に併せ、カタシモワイナリーが「河内ワイン」を赤・白・ロゼそれぞれフルボトルとハーフボトルで販売(所謂「河内ワイン」の生みの親はカタシモワイナリーなのだ)。知名度は上がったが、ワインは売れない。酒屋を周ったり、東京のデパートに遠征したりしても、埃にまみれたワインが戻ってくる。 友人がソムリエを務めるホテルでワインを置いてもらったこともある。当時日本ワインの主流だった甘口はNGという友人のアドバイスに従い、辛口のシャルドネと甲州(堅下本ブドウ)を託したが、1ヶ月で3本しか売れず、惨敗。本場ヨーロッパのワインには太刀打ちできない。悔しい現実を突きつけられた。 ワインとして仕込めなかったブドウは、種があっても生食用のブドウとして大企業に持ち込み販売もした。「私ら、押し売り得意なんですぅ。」と明るく語っていたが、その必死さ、辛酸を舐めた悔しさが伝わってくる。 ▲ ワイナリーにある550mlサイズの古いワインボトル。歴史を感じる。 デラウェアと向き合う中での不退転の決意 デラウェアは北米原産ラブルスカ種の生食用ブドウ。 当初、カタシモワイナリーの畑では植えていなかったそうだ。とはいえ、現在、大阪府が栽培するブドウの80%はデラウェアで、その生産量は全国第3位を誇る程、多く栽培されている品種である。安価で大量。付近では「くずブドウ」と言われる扱いだった。 高井さんの幼少期は近所で54軒がワインを造っていたそうだが、住民の高齢化が進む中、ワイン醸造所がマンションに変わったり、畑が耕作放棄地になったりする姿を見てきた。慣れ親しんだブドウ畑が消えていく姿が悲しく、高井さんは高齢化した農家からデラウェア畑を預かるようになる。 今でこそ、デラウェアで造られるワインは珍しくないが、当時、デラウェアで美味しいワインを造ることは技術的に非常に難しかった。近隣の農家の中にはサントリーの赤玉ポートワインの原料として卸すところもあったようだが、地域には大量のデラウェアが残った。何とかしてデラウェアを使ったワインを造って産業を盛り上げたいと考えるようになった。なぜなら、柏原のワイン産業の存続=自社の存続だから。両者は同じ船に乗っているのだ。 転んでも最後に立ち上がればいい 技術的にデラウェアでスティルワインを造るのが難しいのであればと、最初に取り組んだのはジュース造り。ワイナリーだからこそできる収穫後即絞りによるブドウ本来の香りや風味が楽しめる一本に仕上がった。...
大阪・カタシモワイナリー
日本ワインコラム | 大阪 カタシモワイナリー 大阪府柏原市に降り立った。柏原市は大阪府の中央東部に位置し、市の東側は信貴生駒山系を隔てて奈良県と接し、西側には大阪平野が続く。山地から低地へと高低差に富んだ地形が特徴の街だ。 今回お邪魔したカタシモワイナリーは、柏原市にある堅下(カタシモ)という土地で、100年以上に亘ってワインを造り続けている老舗だ。 ▲ 山の斜面にあるブドウ畑。太陽の日差しを受け美しさが際立つ。 ▲ 古民家を改装して造られたカタシモワイナリー。趣がある雰囲気だ。 「よぉー来てくれたなぁ!!!まぁ、はよ上がりぃやぁ!!」と威勢よく迎えて下さったのが、インタビューに応じてくれた4代目の高井利洋さん。隣には、5代目で娘さんの高井麻記子さんが、「どうぞ!どうぞ!!」と言いながらチャキチャキと動き回っておられる。 取材前のリサーチで記事を読む中うすうす感じてはいたが、お2人ともパワー全開だ。1言えば10どころか100返ってくるという感じで、ポンポン話が飛んでくる。そして必ずオチなり笑いがあるのだ。恐るべし河内親子。 酸いも甘いも経験して 「わし、嫌々ワイナリー継いだんや。」 「そんなんゆうたら、私かてそうですやん。」 インタビューののっけからパンチの強い親子だ(失礼な物言いでスミマセン!)。 4代目の高井さんは、神戸で別のお仕事をされていたが、1976年、2代目のお祖父様が亡くなられたタイミングで家業を継ぐことを決心(5代目も東京でIT関連のお仕事をされていたが、ワイナリーを継いだ)。2代目が亡くなったタイミングで、3代目のお父様が畑を売ってマンションにしようと考えていることを知り、このままでは慣れ親しんだブドウ畑の風景が消えてしまうという危機感があった。 日本ワインの草創期:売れない日々 継いだ当時のカタシモワイナリーは、一升瓶を使った赤ワインと白ワインをそれぞれ1種類造っているだけという規模感。日本全国を見渡してもまだ12、3軒程しかワイナリーは存在しておらず(今は400軒以上)、日本ワイン産業の草創期と言える時代だろう。2年後の1978年、松竹劇場で行われた「河内ワイン」という題材の公演に併せ、カタシモワイナリーが「河内ワイン」を赤・白・ロゼそれぞれフルボトルとハーフボトルで販売(所謂「河内ワイン」の生みの親はカタシモワイナリーなのだ)。知名度は上がったが、ワインは売れない。酒屋を周ったり、東京のデパートに遠征したりしても、埃にまみれたワインが戻ってくる。 友人がソムリエを務めるホテルでワインを置いてもらったこともある。当時日本ワインの主流だった甘口はNGという友人のアドバイスに従い、辛口のシャルドネと甲州(堅下本ブドウ)を託したが、1ヶ月で3本しか売れず、惨敗。本場ヨーロッパのワインには太刀打ちできない。悔しい現実を突きつけられた。 ワインとして仕込めなかったブドウは、種があっても生食用のブドウとして大企業に持ち込み販売もした。「私ら、押し売り得意なんですぅ。」と明るく語っていたが、その必死さ、辛酸を舐めた悔しさが伝わってくる。 ▲ ワイナリーにある550mlサイズの古いワインボトル。歴史を感じる。 デラウェアと向き合う中での不退転の決意 デラウェアは北米原産ラブルスカ種の生食用ブドウ。 当初、カタシモワイナリーの畑では植えていなかったそうだ。とはいえ、現在、大阪府が栽培するブドウの80%はデラウェアで、その生産量は全国第3位を誇る程、多く栽培されている品種である。安価で大量。付近では「くずブドウ」と言われる扱いだった。 高井さんの幼少期は近所で54軒がワインを造っていたそうだが、住民の高齢化が進む中、ワイン醸造所がマンションに変わったり、畑が耕作放棄地になったりする姿を見てきた。慣れ親しんだブドウ畑が消えていく姿が悲しく、高井さんは高齢化した農家からデラウェア畑を預かるようになる。 今でこそ、デラウェアで造られるワインは珍しくないが、当時、デラウェアで美味しいワインを造ることは技術的に非常に難しかった。近隣の農家の中にはサントリーの赤玉ポートワインの原料として卸すところもあったようだが、地域には大量のデラウェアが残った。何とかしてデラウェアを使ったワインを造って産業を盛り上げたいと考えるようになった。なぜなら、柏原のワイン産業の存続=自社の存続だから。両者は同じ船に乗っているのだ。 転んでも最後に立ち上がればいい 技術的にデラウェアでスティルワインを造るのが難しいのであればと、最初に取り組んだのはジュース造り。ワイナリーだからこそできる収穫後即絞りによるブドウ本来の香りや風味が楽しめる一本に仕上がった。...