2022.09.05 更新

北海道・余市 木村農園

北海道・余市 木村農園

木村農園

代表 木村幸司 氏

時間をかけて育てたからこそ見える景色がある

 

日本ワインコラム |北海道・余市  木村農園

日本のピノ・ノワールの第一人者。そう言っても過言ではない。今でこそ、余市町のピノ・ノワールの知名度は高いが、木村農園は、栽培が難しいとされるピノ・ノワールを黎明期からずっと育て続けてきた。その質の高さに魅了され、余市町でピノ・ノワールを栽培する農家やワイナリーが増加。今では余市の代表的な品種の一つとなり、国内外から熱い視線が送られている。今回は、その木村農園で先代と共にピノ・ノワールの栽培を続けてこられた木村幸司さんにお話しを伺った。

木村農園3代目の木村幸司さん。 ▲ 木村農園3代目の木村幸司さん。

美しい畑を闊歩する

北海道西部、積丹半島の付け根に位置する余市町。余市湾を眺めるように、なだらかな丘陵地にブドウ畑が広がる。木村農園は余市湾から少し内陸に進んだ場所に位置する。穏やかな起伏が連続する畑は適度な傾斜があり、心地のよい風が常時吹き抜ける。丘に広がる一枚畑の広さは8.5ha。見渡す限りのブドウ畑が美しい。

▲ 広大で美しい、圧巻の畑。
▲ 毎日歩いておられるからか、木村さんは「そんな急斜面でもないですよ」と仰られたが、畑を登っていくと少し息が上がるようなスロープが続くところも。

暖流の対馬海流の影響で、道内では比較的温暖な気候を誇る余市町。この温暖な気候を活かし、明治時代から果樹の栽培が盛んな土地だ。木村農園は、木村さんのお祖父様の代からこの地でリンゴを中心に、サクランボ、梨、プラム、生食用ブドウの栽培を稼業としてきた。しかし、2代目となるお父様が農園を切り盛りしていた1970年代からリンゴ価格が暴落。この危機を乗り越えようと、近隣農家7人で一念発起し、ワイン用ブドウの栽培を開始した(→詳細はこちら「安藝農園」から)。木村農園には、隣の農家の藤本氏から「リンゴ、切れるか?」と声がかかったそうだ。農園がある場所は、土壌・気温・風の通り、どれをとっても果樹の栽培に適した場所。それはワイン用ブドウにとっても同じだった。畑は斜面にあるので冷気もたまらず、霜の被害もない。通常であれば、収穫後、ブドウの葉は落葉するが、畑の中には冬でも雪と共に青々とした葉を付け続ける木もあるというのだから驚きだ。

1984年、最初に植えたのはケルナー。続く1985年に植えたのがピノ・ノワール。当時広さ50aだった畑の6割を占めたケルナーは、今も古木として現役だ。また、当時植えた古木のピノ・ノワールも現存している。現在は、それらに加え、シャルドネ、ピノ・グリ、ムニエを合わせた5種類を栽培している。育てたブドウは、千歳ワイナリー、ココ・ファーム・ワイナリーの2社を中心に提供し、残る小ロットをスポットで他のワイナリーに卸すこともあるそう。

▲ ブドウが色付く姿に見惚れて足が止まってしまう。

恩義を決して忘れない

7軒でスタートした余市でのワイン用ブドウの栽培は、現在は50軒まで成長。北海道の中でも群を抜いてトップクラスの収穫量を誇る。また、2010年以前は1社だったワイナリーの数も、今は15軒まで増加。とは言え、小規模のワイナリーが多く、余市で生産されるブドウの多くは道外を含む他地域に卸されている。この現状を木村さんはどう思っているのか、率直に聞いてみた。やはり手塩にかけて育てたブドウなのだから、近くでワインになってほしいと思っているのだろうと思っていたが、意外にも「外に出るブドウも必要」と即答された。

インタビューを通じて感じてきたが、木村さんはとても義理堅い。常にワイナリーとの関係を第一に考えておられる。木村農園を含めた7軒がワイン用ブドウの試験栽培を始めたのが1983年。7軒が協力して最初に契約したのが、はこだてわいん。苗木を植え、3-4年で目標とする生産量をオーバーしたのだ。果樹栽培の経験があったとは言え、こんな短期間で目標を超えるとは・・・凄い技術力だし、何よりも気迫を感じる。嬉しい悲鳴ではあるものの、余ったブドウを何とかしなければならない。7軒それぞれが契約先を開拓する中、木村農園が契約することになったのが千歳ワイナリー(当時:中央葡萄酒)だった。千歳ワイナリーから栽培を頼まれたのはピノ・ノワールだったが、木村農園からお願いしてケルナーも合わせて契約してもらった。1990年代からずっと続く関係だ。

木村さんが先代から経営移譲されたのは2008年。その年は、今まででベストと言える高品質なピノ・ノワールを収穫できたこともあり、強く記憶に残っている。それまでは、需要はあるもののブドウの品質が追い付いていないという不安感があった。果たしてこれを売っていいのだろうか、と。日照量や積算温度が足りないことから未熟なブドウが多かった。1985年にピノ・ノワールを植えたのは、木村農園だけではない。他にも何軒かあったのだ。ピノ・ノワールは皮が薄く病気に弱い。また、他の品種に比べて、気温や土壌環境等の生育環境を選ぶこともあり、栽培が難しいと言われる品種だ。何軒かでスタートしたピノ・ノワールの栽培だったが、一軒また一軒と栽培を辞める農家が増え、木村農園だけが残ったのだ。植え始めて20年の歳月をかけて、漸く納得のいくものができた。その達成感、高揚感、安堵感・・・想像するだけで涙がでそうだ。

仲間が次々とピノ・ノワールから離れる一方、自分の手元にあるのは未熟なブドウという現実。どれだけ不安だっただろうか。その時、隣で伴奏してくれたのが千歳ワイナリーだった。本当の意味で苦楽を共にしているからこそ、強い絆がある。そして恩義もある。千歳ワイナリーでは、木村農園のピノ・ノワールとケルナーで造られるワインを、メインブランド「北ワイン」として販売している。同社が契約する農家は木村農園だけ。ここまで太い関係が築かれているのは、強い信頼関係があるからこそだ。

▲ 千歳ワイナリーホームページより。KIMURA VINEYARDの文字がしっかりと刻まれるエチケット。

千歳ワイナリーとの二人三脚でピノ・ノワールとケルナーを世に出してきた木村農園。その品質の高さは徐々に周りの目に留まることになる。現在のもう一つの主な契約先であるココ・ファーム・ワイナリーがその一つだ。同社との契約ができてから、シャルドネ、ピノ・グリ、ムニエを追加で植えるようになった。同社にはピノ・ノワールも卸している。ココ・ファーム・ワイナリーと契約を結ぶ前は、畑のスペースも余っていたこともあり、ワイナリー立ち上げを検討した時期があったそうだ。しかし、今は畑の90%は契約ブドウ。そのブドウの栽培だけで手一杯。木村さんを含め家族5人で管理しているとは言え、8.5haはかなり広大な土地だ。契約相手に対する恩義を忘れない。その為にもワイナリーに最高の品質のブドウを届けることを第一に考える。

「ワイナリーがいらないと言うまで作り続けたい」

そう仰った木村さん。プロとしての気概が伝わってくる。

ただ指をくわえて待っていた訳ではない~マサル・セレクションを取り入れる

20年かけてようやく納得のいくピノ・ノワールになったという木村さん。確かに地球温暖化の影響で、余市町も気温が上がり、ピノ・ノワールを育てる上で適温地になってきたという側面はある。しかし、高品質なピノ・ノワールが生まれる理由はそれだけではない。温暖化による影響よりも、木村さんが地道に続けてきたことこそが、品質向上にとっては重要な要素だったのだ。尚、同じタイミングに植え始めたケルナーにとっては、逆に今後は厳しい環境になることが想定される。これまで古くなってきた畑は補植して対応してきたが、改植も視野に入れているそうだ。

40年前に始めたワイン用ブドウの栽培。当時は今のようなクローン管理が行われておらず、様々なクローンが入り混じった状態で畑に植わっていた。同じ場所で同じように育てたのにも関わらず、しっかり熟すものとそうでないものがある。実の付き具合も異なる。自分の畑の環境に適合する、健全なブドウの木だけを残したい・・・そういう気持ちから木の選抜(マサル・セレクション)を始めたそうだ。木村さんは、

「増やしたい特性のある株を複数選抜した後は、苗木屋で穂木を接いでもらえれば翌年から植えることが可能で、そんなに大変ではない」

と謙遜されるが、そんなことはない。そもそも40年前に植えられた木はクローン選定されていないので、クローン毎の性質が分かっている訳ではない。それぞれの木の成長度合いや実の付具合等、どのような特性があるのか、時間をかけて把握する必要があるのだ。それこそ気の遠くなるような作業だ。また移植作業が全て成功するとも限らない。病気等に対する挿し木の衛生管理も必要になる。つまり、苗木を購入するよりも、改植に時間も手間もかかるのだ。ただ、こうして長い時間と手間暇をかけてマサル・セレクションを続けた畑には、その土地に合ったクローンが複数生き残ることになり、その土地の個性を上手に引き出すことが可能になる。20年近い時間をかけて木村農園のピノ・ノワールが花開いたことと合致する話だ。

毎日、この広大な畑に出て、手入れを行う。と同時にどの木を増やすのかを見極めるそうだ。ただただ感服する。 ▲ 毎日、この広大な畑に出て、手入れを行う。と同時にどの木を増やすのかを見極めるそうだ。ただただ感服する。

根っからの農家

木村少年の目を輝かせたお父様のように、(台風の時に外には出ないが)スーパーヒーロー農家となった! ▲ 木村少年の目を輝かせたお父様のように、(台風の時に外には出ないが)スーパーヒーロー農家となった!

木村さんは小さいころから農家になるのが夢だったそうだ。小さい頃は、まだ畑の7割がリンゴで、その他にサクランボや梨、プラム、生食用ブドウが植わっているという、典型的なリンゴ農家で生まれ育った。忘れられない光景があると言う。ある日、台風で強風が吹き荒れる中、畑を心配したお父様が一目散に出かけて行ったそうだ。「今は絶対やらないですよ。」と笑いながら仰っていたが、嵐をものともせず畑に出かけて作業する父の姿がヒーローのように見え、将来自分もそうなりたいと強く思ったそうだ。木村少年の目がキラキラと輝いた様子が目に浮かぶ。

ワイン用ブドウの栽培を始めたのはお父様だが、その傍らで、木村さんもずっと二人三脚でブドウ栽培を行ってきた。徐々にブドウが畑に占める比率が増え、最後まで残っていたサクランボの木を切り落とした時のことは印象的だ。サクランボは7月に収穫があり繁忙期を迎える。一方、7月はブドウの誘引のタイミングで非常に忙しい。後は食べてもらうだけという状態まで育ったサクランボだったが、ブドウ栽培に全ての労力を費やすと判断し、泣く泣く切り落としたそうだ。ワイン用ブドウ100%の農家に切り替わった瞬間だった。

もう一つの忘れられない転機がある。木村さんが100%専業の農家になった瞬間だ。驚いたのだが、木村さんはLPガスの配管工を20年間副業として生業にしていたそうだ。専業農家になったのは10年程前のこと。それまでは週4日は札幌で配管工として働き、週2-3日を畑で過ごすという生活だったそうだ。当時は農家として経営が安定していなかったこともあり、農家をしたいなら配管工としても働けというのがお父様からの条件だったそう。休みが全然ないではないか・・・!けれども、木村さんには、農家になりたいという強い気持ちがあった。ヒーローだったお父様に一日でも早く近づきたいという思いもあったのではないかと推測する。それが10年前に専業農家になれた!!ご自身が思い描いていた姿になった瞬間だ。

小さいころからどっしりと構える方だった、と木村さんはご自身を表された。古木のような人間だと。たとえ自分の意見と異なったとしても、まずは人の話をきちんと聞く。その上で、受け入れるかどうかは自分の判断で、周りに左右されない、と。あぁ、だから、ずっとピノ・ノワールと向き合い続けられたのだな、と腑に落ちた。周りがピノ・ノワールの栽培から手を引いていくのは認めつつ、自分は周りに流されずに判断する。質の高いブドウを育てるのはどうしたらいいのかを考え、たとえ時間がかかったとしてもマサル・セレクションを続ける。物事を決めるまで、色んな人の話を聞いたりして勉強を重ねられたと思うが、一度決めたことに対しては、結果がすぐに出なくとも早々には諦めない。どっしり構える胆力があるのだ。

ぜひ一度、木村農園のブドウを使ったワインを手に取ってみて頂きたい。長い時間をかけたからこそ引き出される味わいを楽しめるはずだ。

木村さん、畑を見ながらのお話、ありがとうございました! ▲ 木村さん、畑を見ながらのお話、ありがとうございました!

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Interviewer : 人見  /  Writer : 山本  /  Photographer : 吉永  /  訪問日 : 2022年9月5日

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