ローラン・ペリエ
1812年に創立したローラン・ペリエは、現在世界で有数の優れたシャンパンメゾンの一つとして知られています。
元樽職人であるアンドレ・アルフォンソ・ピエルにより、ローラン・ペリエの前身となる一つのネゴシアンが興され、彼を継いだウジョーヌ・ローランと彼の妻であるマティルド・エミリー・ペリエの姓を一つにしてローラン・ペリエというシャンパンメゾンの名が生まれました。
世界恐慌などによって会社の経営は傾きかけましたが、マリー・ルイーズ・ランソン・ドゥ・ノナンクールというローラン・ペリエを革新した人物がメゾンに救いの手を差し伸べました。
同氏は、シャンパンに対する情熱、伝統、自然、そして何よりも「人」に対する敬意を尊重し、この小さなメゾン(当時の販売量80,000本、シャンパーニュメゾンの中で98位)の革新を開始いたしました。
経営を掌る前の修行のおかげで、シャンパンメゾンでは極めて稀な「現場の仕事に精通している経営者」でした。
様々のぶどう栽培業者との固い絆、伝統と革新を融合したシャンパン造りへの飽くなき追求。
それにより、「フレッシュさ」「エレガントさ」「バランスの良さ」というメゾンのスタイルを確立し、独創的なラインナップにより、今日では世界147カ国に輸出する世界指折りのメゾンにまでに引き上げました。
2010年10月29日に永眠するまで、ローラン・ペリエのメゾンの、シャンパーニュの顔としてその手腕を発揮し続けました。
彼のそのスピリットは、今もなお経営陣に引き継がれています。
現在、ローラン・ペリエのシェフ・ド・カーヴ(最高醸造責任者)はミッシェル・フォコネが担っています。農業大学在学中に研修生としてローラン・ペリエに加わり、それ以来シャンパン造りに関わる様々な業務の経験を積みました。
当初はシャンパン造りに関して全くの素人だったミッシェルはセラーの下働きから始まり、徐々に実力をつけ1983年以降は当時のシェフ・ド・カーヴであったアラン・テリエのアシスタントとして技術だけでなく、哲学や魂を学びました。キャリアの全てをシャンパンに対する情熱、厳しさ、完璧主義を持って、このメゾンに捧げています。