日本ワインコラム | Cave an
「山梨のコート・ドールみたいでしょ?」
そう呟きながら、山梨市万力(まんりき)地区にあるワイナリー入口に立ち、道路を挟んで向こう側の小高い山の斜面に自社畑が並ぶ様子を満足気に見つめるのは、今回の取材相手カーヴ・アンの安蔵正子さんだ。なるほど、確かにそう言われるとこの景色はブルゴーニュを彷彿とさせる。小高い山はコート・ドールに広がる丘陵に似た視野の広がりがあり、太陽の光が燦燦と降り注ぐ斜面にはブドウ畑が並ぶ。
▲ 山梨のコート・ドール!
安蔵さんと言えば、日本ワイン業界における女性ワイン醸造家の第一人者だ。男性社会だったワイン造りの世界に若くから飛び込み、山梨県勝沼町にある老舗、丸藤葡萄酒工業の醸造担当として長く活躍されてきたので、ご存知の読者も多いだろう。
そんな安蔵さんが2022年に独立した。実力も認知度も十二分にあり、既に成功しているのにも関わらず、敢えてゼロから再挑戦することを選んだのだ。その決断の裏にあったのは何だったのか?取材を通して見えてきたのは、「ワインバカ」と自称する言葉の裏にある、真っすぐで変わらないワインに対する一途な思い。今回は、ワイン造りに人生を捧げると決めた一人の女性のしなやかな強さをお届けしたい。
目に見えない小さい存在に魅せられて
安蔵さんがワインの世界に足を踏み入れるきっかけとなったのは少女時代まで遡る。親御さんの転勤に伴い、中高生時代を鹿児島で過ごす中、たまたま訪れた焼酎工場で甕の中がプクプクと泡立つ様子を見て衝撃を受けた。「泡を吹き込んでいるのかと思ったのですが、それが微生物の力だと聞いて面白いなと思った」そうだ。もともと小さいものに興味があったが、目に見えない微生物が繰り広げる「発酵」の世界に魅せられた。このことは心の琴線に触れた体験として今も鮮烈な記憶として残ると共に、安蔵さんの知的好奇心を爆発させるきっかけとなる。その後、山梨県出身の両親からワイン醸造を学べる大学が山梨にあると教えてもらい、山梨大学化学生物工学科への進学を決め、ワインの扉を開くことになる。
▲ 少女時代からの好奇心をそのまま持ち続けている安蔵さん。映画「ウスケボーイズ」や「シグナチャー」にも登場していて、「シグナチャー」では夫である安蔵光弘さんと共に、2人の半生が主軸として描かれている。これは要チェックだ!
大学での学びを活かしてワイナリーへの就職を希望していたが、男女雇用機会均等法は制定済とは言え、1990年代半ばの日本の職場環境は今よりもずっと男性中心。ワインの製造現場となると、重労働ということも相まって更に男性社会で、女性が現場に出ることは難しいとされていた。そのため、卒業後は一旦食品会社に就職するも、ワイン造りへの情熱が増すばかり。1年ほどで退職することになるが、引き寄せの法則が働いたのだろう。安蔵さんの心の叫びは現実化し、知り合いを通じて勝沼町の老舗、丸藤葡萄酒工業を紹介してもらい、ワイン造りの道に進むことになったのだ。
ずっとワインを造り続けるために選んだ「独立」という道
念願のワイン造りをスタートさせたが、女性が現場にいない時代だったため、「35歳くらいまでしか現場で使ってもらえないのではないか」という漠然とした不安が付きまとった。大好きなワイン造りを一生続けていくには、早いタイミングで独り立ちする必要があると若い頃から考えていたそうだ。しかし、情熱も技術も揃った安蔵さんを会社側が手放すことはなく、35歳を越えた後も丸藤葡萄酒で経験を重ねることに。途中、ご主人の転勤でフランス・ボルドーに4年滞在した間にサンテミリオンのワイナリーで栽培・醸造を経験し、ボルドー大学醸造学部にて「ワイン利酒適正資格(DUAD)」を取得し帰国した際は、丸藤葡萄酒に再就職したというのだから、会社側も安蔵さんを待っていたのだろう。とは言え、自分が歳を重ねるにつれ、会社組織で働く以上は後進に道を譲る必要性を感じるようになる。大好きなワイン造りだからこそ、その面白さを独り占めにしない。全員にとって最善の選択が「独立」だったのだ。安蔵さんの凄いところは、情熱を燃やしつつ、現実的な視点を持ち合わせているところだろう。ままならない外部環境に異を唱えて戦うという手法もあるが、安蔵さんは制約を受け入れた上で自分の情熱を育てる道を選んだのだ。
▲ ブドウを大事にする安蔵さんの気持ちが伝わるCave anのロゴ。
アルコール発酵が酵母という微生物の働きによることを突き止めたフランスの科学者、ルイ・パスツールが、「幸運は用意された心のみに宿る」という有名な言葉を残しているのをご存知だろうか。幸運は偶然に訪れるのではなく、日々努力を重ね、準備をしている人だけが目前のチャンスを掴めるという意味の言葉だ。安蔵さんの人生はまさにこの言葉の通り。2022年に独立を果たしたが、実は2000年に自社畑を入手するなど、独立を見据えて着々と準備を進めてきたのだ。具体的に見てみよう。
時間をかけて形作った畑
丸藤葡萄酒で勤務していた頃からワイナリー所在地の万力地区の近くに住み、この地域の環境がブドウ栽培に適していると睨んでいたが、畑は簡単に手に入るわけではない。安蔵さんはじっくり腰を据え、時間をかけて約1.3haまで自社畑を広げていった。「特に最初の畑を借りるのが至難の業で、近所に住む親せきに口利きしてもらう形でスタートした」と振り返る。2000年に借りた最初の畑は山の麓にあり、1樽分のワインになる程度の小さなものだった。「この辺で畑を新たに手にするには、空いた場所を借りていくしかないので、畑が飛び地になる恐れがあった」そうだが、安蔵さんの評判を耳にした近所の方々から声がかかるようになり、2番目以降に借りた畑は繋がり、作業効率は落ちることがなかった。因みに、自社畑のとある区画を借り始めてから3年間、隣でブドウ栽培するおじいさんは安蔵さんの畑の前を通る時に軽トラを減速してじっくり観察するものの、一言も話してくれなかったそうだ。それ程「よそ者」に対する警戒心は強いのだ。しかし、安蔵さんの仕事ぶりを見て納得したのだろう。今では会話を交わす仲になっているそうだ。
日当たりと水はけの良さを重視
安蔵さんが畑を借りる上で重視したのが、日当たりと水はけの良さの2点だ。最初に借りた標高430mと後から追加した標高500m弱の上下2か所に同面積ずつ広がる畑は全て南向きで抜群の日当たりを誇る。また、山の斜面にあるので水はけも良い。土壌は保水性の良い粘土質だが、表面が非常に粒子の細かい土が隙間なく存在する強粘土質のため、雨が地中に染み込まずに斜面を流れていく上に、粘土質の下部に軽石があるので土壌内部の排水性が確保されている。そのため暗渠も不要だ。更に、畑に立つと気持ちのよい風を感じる。湿潤な日本においては、湿気を押し流してくれる風は病気対策の上でも有効だ。
ブドウにとっては最高の環境だが、人間にとっても同じとは言えない。南向き斜面で太陽光が垂直に近い形で降り注ぐので、日照時間が長い上に日射量も多く、特に夏場の作業は人間には堪える。除草剤を使わない畑では、乗用モアや刈払機などの機械を用いて草刈り可能とのことだが、斜面での作業は平地に比べて身体への負担は大きく、転倒リスクもある過酷さが伴う。それでも、「畑に立つと先の方に富士山が見えますよ」と教えてくれた安蔵さんは満足気だ。この景色を眺めながら作業することで、大変さが少し軽減するのだろう。
▲ 取材時は富士山が雲間に隠れていたが、それでも畑からの景色も最高だ。
▲ Cave anのインスタ投稿より。富士山の頭が見えている。
一日でも長く畑仕事を続けるために
一生ワイン造りに従事したいがために独立した安蔵さん。「体力的には今後、衰えるしかない」と認めた上で、「だからこそ、手を抜いてでも質の高いものをどう育てるかが大事」と冷静に語る。そこで肝になるのが、栽培環境に合った品種選びと人間にも優しいブドウ栽培管理手法の選択だ。
<環境にあった品種選び>
現在栽培中の品種は、以下の通り。温暖化の影響を考慮し、気温が高い中でも酸落ちしにくいことや湿度の高い環境でも病気になりにくいものを選んでいる。
・白ブドウ:プティ・マンサン、甲州、アルバリーニョ、グロ・マンサン
・黒ブドウ:タナ、プティ・ヴェルド、メルロ、マルスラン(カベルネ・ソーヴィニヨン×グルナッシュ)
▲ 垣根栽培で育つプティ・マンサン。この畑以外にも、もともとマスカット・ベーリーAが植わっていた畑を3年前に借りて、棚仕立てのプティ・マンサンに改植して栽培している。マスカット・ベーリーAと言えば甲州と並んで山梨県を代表する品種だが、「マスカット・ベーリーAも美味しいのですが、『マスカット・ベーリーAっぽくなくて美味しい』と評されるのが納得いかず、改植した」と明かしてくれた。そのままのブドウの姿に愛情があるからこその選択だ。
▲ プティ・マンサンは「バラ房で、房自体も小さく収量が少ない」そう。そのため摘房は行わず、1枝に2-3房残して収穫している。
温暖化は日中の気温上昇だけではなく夜温の下がりにくさにも繋がり、アントシアニンの合成に悪影響を及ぼす。黒ブドウの中ではメルロの着色に難しさを感じているそうだ。一方、手応えを感じているのはプティ・マンサン、タナ、プティ・ヴェルドの3品種。プティ・マンサンは糖度が上がりつつ酸落ちせず、病気にもなりにくいということで、白ワインの主力に据えている。また、タナやプティ・ヴェルドも糖度が上がりつつ酸落ちしにくい上に色付きもいいと期待を寄せている。
▲ タナは「ムチムチになるが、決して皮が潰れないところもいい」とのこと。
▲ 3年前に入手した標高500m弱の畑で棚栽培しているプティ・ヴェルド。色付きは良いが、皮が薄く割れやすいようだ。
棚栽培が合っている
16-7年前に定植したタナとメルロ、またプティ・マンサンの一部区画は垣根栽培だ。「当時は垣根栽培がいいだろうと判断してスタートしたのですが、徐々に棚栽培の方がこの地に合っているのではないかと考えるようになり、新しく改植した畑の多くは棚栽培にしています」と安蔵さんは教えてくれた。日本の中では降雨量は少なめとは言え十分な雨量があり、粘土質土壌で肥沃、日照量も多いとなると、必然的にブドウの樹勢は強くなり新梢が暴れやすい。垣根栽培よりも棚栽培の方が新梢を伸ばして管理しやすい上に、直射日光をもろに受ける垣根栽培では夏は作業不可能に近い程過酷な暑さになるが、棚の下は日陰になるので体感温度が全く異なる。自分の身長に合わせた棚の高さにすれば、腰をかがめる作業が多い垣根栽培に比べてかなり楽にもなるし、フルーツゾーンが高い位置にある棚栽培の方が湿気対策にも有効だ。垣根栽培は欧米で多く採用されている仕立て方だが、栽培環境が異なる日本でそのまま当てはまるとは限らない。そのことが良く分かる事例だろう。
▲ 垣根仕立てで栽培中のメルロとタナの畑。
▲ フルーツゾーンが170cm程の高さにある棚仕立てで栽培中のプティ・ヴェルド。プティ・ヴェルドの新梢はとても柔らかいそうで、「垣根栽培で垂直に伸ばすよりも棚栽培で寝かせる管理の方が楽」とのこと。取材日はカンカン照りの酷暑だったが、棚の下は日陰になっていて体感温度が随分違った。
一人でも作業ができる状態を保つ
垣根栽培のブドウにはフルーツゾーンに雨除けビニールがかけられていたが、棚栽培のブドウには一房ごとに傘かけがなされていた。20aの広さの甲州の畑の傘かけは、「知り合いにサポートに入ってもらい、4人で1日半かけて行った」そうだ。安蔵さんのお人柄があるからこそ、毎年サポートに入ってくれる人がいるのだろうが、「手伝いがなくても対応できるように、傘かけも1回は全部自分で対応した上でどれくらいの時間と労力がかかるか把握しています」とのこと。自分一人で対応可能な状態にしているからこそ、サポートを依頼する側も入る側も気持ちよく作業できるのだろう。
▲ 一房ずつ傘かけされている甲州。薄紫色に色付き始めている。
傘かけや雨除けビニールの他、先守的防除を基本に据えた病気対策を行う。薬剤散布は必要最低限で、「通常、年間10回程度行われる甲州ブドウでも、6回程度に抑えている」そう。防除は時間、体力、経済的にも負担のかかる作業なので、回数が少ない方が楽なのは事実。とは言え、単に回数を減らすだけでは病気が萬栄するばかりなので、普段から樹冠の通気性のよさを確保していることが肝要になる。こまめに畑の管理をしているからこそ、重労働を避けられるのだろう。
▲ 猪が掘った跡。獣害は多くないそうだが、標高約500mにある畑では、猪、鹿、ハクビシン、ウサギといった獣が出るそうで、畑の周りを柵などで囲って対策しているそう。
バランスを見極めたい
一緒に畑を回っている中で安蔵さんが何度か口にされたのが、「バランス」という言葉だ。
自社畑は太陽光、水分、養分が十分に揃う環境にあるため、ブドウの樹勢は強くなる。野生の環境では、樹勢の強いブドウは日光を求めて枝を長く伸ばす徒長成長に向かうが、枝葉の成長ではなく果実の成長に向かわせたい。では樹勢を抑えれば良いのかというとそんな単純な話でもない。樹勢の強いブドウを小さく栽培しすぎるとバランスが崩れて健全なブドウが収穫できないし、翌年以降のブドウ樹の成長にも悪影響が及ぶ。「健全でありつつ、適度に樹勢を抑えて果実の成長に向かわせるためのバランスの見極めが非常に難しい」と吐露された。
▲ 安蔵さんをもってしても難しいと言わしめるブドウ栽培。知れば知るほど奥深い世界だ…。
また、品種の個性や栽培環境の影響から、品種ごとに味わいの構成要素に強弱の差がある。差が大きい場合、単体で仕込むと特定の要素が突出して味わいのバランスが崩れたり、平坦な印象になったりすることもあるが、ブレンドすることで味わいのバランスが取れることがある。例えば、前段で紹介した垣根栽培のタナとメルロは、一列毎に交互に植わる混植だ。当時は混植が流行っていたのと、病気の発生を抑えられると言われていたための選択で、病気については、「混植しても発生します。実際に植えてみないと分からないものですね…」と総括されたが、混植による嬉しいメリットもあった。タナの熟度に合わせて9月中旬に一度に収穫するブドウは混醸する。「着色が難しいメルロですが、タナと一緒に仕込むことで問題がなくなりますし、その名前の由来になる程タンニンが豊富で、ビターチョコレートを思わせる味わいがあるタナは、単体で仕込むと面白みに欠けますが、ジューシーで肉厚な味わいのメルロが加わることでいいバランスのワインになります」と評されるように、ブレンドの妙が活きてくるのだ。
▲ バラバラに植える混植の場合は管理が大変なので、タナとメルロ一列ずつ並べるスタイルを選んだそう。
プティ・マンサンは糖度が上がりつつ酸落ちしないので手応えを感じている品種だが、最近は想定以上に糖度が上がるようになった。ワイン用ブドウの糖度は最低20-23度必要と言われている中、2025年の収穫では酸を保持した状態で26度まで糖度が上がったそうだ。ここまで糖度が上がると、アルコール度数が高い辛口タイプか、アルコール度数は抑えつつ甘口の仕上がりになる。アルコール度数だけが突出すると味わいのバランスが取れないし、甘口よりも辛口の方が食事にも合わせやすく日常使いしやすい。これらのことを考慮し、果汁が多いグロ・マンサンの栽培を増やしているそう。樹勢を抑えやすい台木を選び、自らグロ・マンサンを接いで育てている。プティ・マンサン主体の白ワインにグロ・マンサンが加わったものがお目見えする日も遠くないはずだ。
▲ グロ・マンサンを自ら接ぎ木して育てている様子。奥側で接いだ部分が成功して、枝が伸びているのが分かる。
▲ プティ・マンサンに比べて房も粒も大きいグロ・マンサン。
一人で動くのにちょうどいいコンパクトな醸造所
2022年、山梨市の「ワイン特区制度」を利用して醸造所が完成した。特区の認定を受けたことで、通常、最低6,000Lの年間製造量が求められるところ、2,000Lの製造量で醸造免許取得が可能になった。原料は山梨市産のブドウに限定されるが、自社ブドウをメインに醸造することを行うことを想定していた安蔵さんにとって非常にありがたい制度だ。
▲ シンプルでござっぱりしているワイナリーは、無駄がなく落ち着いた雰囲気だ。
一から建てたというワイナリーはコンパクトで機動的な造りになっている。2,000Lの大きいステンレスタンクは設置型だが、その他のタンクは可動式なので限られたスペースでも効率的に作業することができる。ステンレスタンクの他、樹脂製タンクや卵型のコンクリートタンクも完備している。発酵タンクが並ぶ部屋の隣には貯蔵庫があり、熟成中の樽や瓶詰されたワインが並ぶ。「コロナの影響でワイナリー建設費用が予算よりも高くなったこともあり、倉庫の建設を後回しにしたのですが、貯蔵庫も手狭になってきているので、早いタイミングで建てたい」と、拡張を計画されているようだ。
▲ 可動式のステンレスタンクは底面が決まっているそうで、2000Lの設置型のタンクに比べて、500Lや1000Lの可動式タンクは背が低い。「細長いものが来るのかなと思っていたのでびっくりしましたが、背が低いとワインの手入れをする際に使いやすい」と、嬉しい発見があったようだ。
甲州醸しは異なるタンクを使い分け仕上げる
卵型のコンクリートタンクは甲州醸しの貯蔵用に2024年に導入したものだ。ステンレスタンクは酸素との接触を防ぐことができるので、フレッシュなスタイルのワイン造りに向いているが、醸しスタイルは、果皮と種子を一緒に漬け込みタンニンが抽出されるので、酸素を通して渋みをまろやかにしたい。「最近は白ワイン用の古樽を入手するのが非常に難しく、購入を諦めました。当初は樽と同等の空気透過性があると言われていた卵型の樹脂製タンクを使っていたのですが、コンクリート製も導入し、今は両方で貯蔵しています」とのこと。
▲ 左側にあるのが北海道製の卵型コンクリートタンク。3Dプリンターを用いて作られたそう。容量は500Lと少なめだが、壁が非常に分厚いので重さは1.2トンになる。その右隣にあるのが樹脂製の卵型タンク。甲州醸しは、これらタンクの中で6ヶ月強程シュール・リーで貯蔵される。
一方、貯蔵の前の発酵段階ではステンレスタンクを用いている。「前職では醸しスタイルのワインをコンクリートタンクで発酵させていました。確かに澱の対流は素晴らしいのですが、発酵に要する時間はステンレスタンクと変わらなかったので、効率性を考え、発酵自体は扱いやすいステンレスタンクで行って、貯蔵のタイミングで切り替えることにしました」と説明してくれた。ジョージアを訪問した際に醸造家にクヴェヴリの良さを聞いてみたそうで、発酵ではなく貯蔵のタイミングでその良さを発揮する旨の回答を得たことも後押しになったようだ。
優しい味わいのブドウだからこそ温度管理や複雑味を大切に
▲ 醸造スペースに並ぶ形で設置された保冷庫。
味わいのバランスが良く、パンチの強さよりもエレガントなワインであること。そして、食事と合わせやすく、いつの間にかグラスが空になっていている…そういうワインを目指している安蔵さん。醸造過程で大事にしていることを尋ねると、「温度管理」と即答した上で、「仕込んでしまえば酵母が頑張ってくれるので、様子を見ながらですね」と付け加えられた。残暑厳しい9月中旬頃に仕込みをスタートするので、酸化や雑菌の繁殖を抑えるためにも収穫されたブドウは保冷庫で一旦冷やしてから発酵に移る。
発酵は基本的には野生酵母を使用。「この辺りのブドウは力強さよりも繊細さが主体の味わいなので、野生酵母を利用することで、発酵の初期段階で様々な酵母が共存することで生まれる複雑味を足したい」と、その考えを明かしてくれた。但し、野生酵母の使用ありきではない。赤ワインや甲州の醸しスタイルの場合は、野生酵母のみで問題なく発酵が完了するが、甲州やプティ・マンサンなど果汁のみで発酵させる白ワインは、途中で発酵が止まりそうな場合には培養酵母を加え、きちんと発酵を終えて辛口に仕上げるようにしているそうだ。
▲ 現在のラインナップは4種類。最初の「ア・ターブル甲州」は契約農家の甲州で造られたシュール・リータイプのもの。それ以外は全て自社ブドウが原料で、順番に「ア・ターブル 甲州醸し」、「万力ブラン」、「万力ルージュ」と並ぶ。プティ・マンサンで造られた「万力ブラン」はほのかな甘みを感じる仕上がり、「万力ルージュ」は自社畑の黒ブドウ全てがブレンドされた複雑味のある味わいだ。
熟成樽はフレンチオークとステンレス製の両方を活用
赤ワインは2,000Lのステンレスタンク等を活用して発酵した後、全て樽熟成される。木樽は全てフレンチオークで、毎年2樽ほど買い足すそうだ。強さよりもエレガントさを重視していることから、「本当は新樽の強い香りではなく、1回使用したくらいの樽が欲しいのだけど、古樽が出回っていないので新樽を買って、自分で1回使うことで理想の樽に仕上げていっています」と、事情を明かしてくれた。因みに新樽にはプティ・ヴェルドが眠っているそう。タナとメルロは混醸、プティ・ヴェルドとマルスランは品種別に発酵・熟成され、最後に4品種全てブレンドされるので、「万力ルージュ」には新樽のニュアンスも感じられるだろう。
▲ 貯蔵庫内の様子。木樽の奥にあるのがステンレス製の樽。取材時は9月の瓶詰に向けて、赤ワインが樽に眠っていた。
木樽以外にステンレス製の樽も複数完備されている。昨今は、木樽のみならずステンレスタンクも価格が倍近く高くなってきており気軽に買い足せるものでもないが、「小さいサイズなので満了貯蔵に向いていますし、例えば酵母別に仕込むなど、醸造手法を変えて分析したい時などに非常に便利」とのことだ。
Never ending story~納得したら終わり~
独立してからワイン造りへの向き合い方に変化はあるかと聞いてみたところ、「変わらない」との回答があった上で、「醸造は最低限のテクニックしか使っていませんし、きわめてシンプルな造りです」と付け加えた。一方で、「自分の力の8-9割はブドウ栽培に当てたい」と、畑での作業に力点を置く。時々ワイナリーに顔を出す知り合いから「いつもいない」と言われるそうなので、安蔵さんに用事がある際は畑に直行した方が良さそうだ。
▲ この景色のどこかに今日も安蔵さんは立っているのだろう。
これほどの実績があるにも関わらず、進化は止まらない。「プティ・マンサンの仕上がりをもう少し辛口に寄せられるよう収穫のタイミングを厳しく見極めたいし、赤ワインは真ん中の広がりが出るようにしていきたい」と自分に発破をかける。更に、「やっぱり食事の最初は泡ものが欲しい」ということで、商品ラインナップにアルバリーニョを使った瓶内二次発酵のスパークリングワインを追加する方向で検討しているそうだ。アルバリーニョは棚仕立て自然形長梢剪定で栽培していたが先端が枯れてしまい、昨年の収量は想定していた約500kgから約50kgまで激減したそうで、短梢剪定に変更して様子を見守っているところだ。ある程度の収量を見込む来年の収穫からスパークリングワイン造りを開始したいとのことなので、首を長くして商品化を待ちたい。
▲ 仕立て方を変更して栽培中のアルバリーニョ。瓶内二次発酵のスパークリングがどんな姿になるのか、今から楽しみだ!
「現状に満足していませんし、納得したら終わりだと思っています」と語る安蔵さん。「まだまだです」と断言される言葉そのものは厳しいが、悲壮感や切迫感を感じさせないのは、理想を追い求めるプロセス自体に楽しさを見出しているからなのではないだろうか。安蔵さんをワインの世界に誘った微生物との関係性に変化があったか聞いたところ、「微生物はいっこう言うことを聞いてくれないけど、発酵過程の泡は見ていて飽きないです」と笑顔で答えられた。少女時代の安蔵さんが感じたセンス・オブ・ワンダーは色褪せることなく、今も生き続けているのだ。
▲ 安蔵さん、素敵なお話の数々をありがとうございました!今後も続く挑戦の数々についても、またお話をお伺いできる日を楽しみにしています。
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